『正反対な君と僕』第14話の感想について

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はじめにー「奇蹟の残り香」「エレナの聖釘」ー

 久しぶりに『HELLSING』を読んでいたらアーカードアンデルセンの最終決戦で、切り札・「エレナの聖釘」で怪物の力を得て宿敵に対抗しようとするアンデルセンに、アーカードがこう言う。

 「やめろ!! アンデルセン!! 化け物になる気か!! 神の化け物!!」

 「やめろ人間!! 化け物にはなるな 俺のような」

 

 アーカードは自然の摂理を外れて人間から吸血鬼という化け物になり、基本的にそれでずっと楽しそうに戦い続けているので本人も満足している…と思いきや、すべてがすべてそうでもなく、こころのどこかで、外法によって力を得た自分を誰かが真っ当な方法で倒すことを望んでいる。

 その願望は世の中に対する願いというか、仮に自分が滅んでも、正しい者が誤った者を乗り越え、世の中がちゃんとしていることがわかって滅びるなら別にいいという、そういう願いなのだ。

 

 俺はなんの話をしているのだろうか?

 人というのは長く生きていると濁ったりゆがんだりしてきて、そのせいか、場合によっては自分以外の誰かまで道徳的に非があったり間違ったりすると嬉しくなることがある。

 しかし、「じゃあ自分も含めてみんながみんな、悪いことをするようになるといいよねえ」というとそうでもなく、結果として自分の弱さが際立つことになっても、誰かの正しさや誠実さを見届けたくなることもある。

 『正反対な君と僕』という漫画はどこかにそういう魅力があって、全員が全員まじめで他人のことを思いやっているので、それを見にいくために読んでいる。

 俺はまじめではないので、読むとダメージを食らうこともある。RPGで言ったら回復アイテムを投げられたら逆に致命傷を負うアンデッドがすすんで薬草を浴びるようなものなのだが、それでいいと思っている。

 …というとなんかすごくおかしな楽しみ方のように聞こえると思うので付け足しておくと、読んでいると普通にへらへら笑えるぐらい会話が楽しいので好きなのだ。

 

第14話

 鈴木の元カレということで以前から名前が出ていた岡理人が登場し、文化祭で鈴木と理人が遭遇する。

 余談だけど、男子の名前はみんな地形(?)なんですね。谷、山田、平、岡…。

 

 14話はずっと演出が素晴らしい。一方、それとは別にすごく良い構成だと思ったのは、過去の鈴木が理人と手をつないだときに「なんか違う」と理屈抜きに瞬間で感じた場面と、それから年月が経った現在、「純愛とは?」ということを鈴木が言葉で考える場面が同じ回に収録されていることだと思う。

 

 相手に触れた・触れられたときに「違う」と感じるのは、言葉や理性ではどうにもならない領域の話だ。なにしろ、当時の鈴木は理人のことが、好きか嫌いかで言えば好きだったわけで、それでも違うと感じたものは、どれだけ言葉で考えても「やっぱ違わないです」と変わったりしない。

 もしかすると、時間が経ってお互いが変われば「違わなく」なるのかもしれないが、少なくとも今この瞬間では無理な話だ。そのときの鈴木の反応から状況を理解したときの理人の描写もいい。

 

 一方、現在の鈴木は谷くんと自分の関係を見直すにあたって、純愛という概念を言葉で考え直している。この場面では、自分の気持ちや進んでいる方向がおおよそ間違っているわけではないけど、イマイチ落ち着かないというか微調整が必要なタイミングならば、言葉がうまく機能することが描かれている。

 

 「好きだけど恋人にはなれない」という生理的な感覚を言葉で変えることはできない。しかし、「この感情に間違いはないと思うが、少し手直しする必要がある」というときは言葉は役に立つ。

 

 俺はものすごく貧しい恋愛経験しか持っていない。しかし、恋愛感情を持たない相手を理屈で好きにはなれない残酷さと、理屈の部分で自分の気持ちをクリアにすることで得られる勇気が、両方とも色恋で大きな意味を持つことはわかる。

 言葉でどうにかなる・ならない、一方だけを一回の話で描くことは多いが、両方収まっているのはめずらしい。そして、すごい。だから14話が好きなのだ。

 最後の校内放送もすごい演出ですね。いやはや。

 

 あと、全然関係ないが、鈴木の足が遅いというのはすばらしいキャラだと思う。うまく説明できないけど。

 

 もう一つ。前から匂わされていた平と東の関係にも、はっきりフラグが立ったように見える。

 ただ、フラグが先行しているというか、ここからどっちがどっちをどういうかたちで意識するのか、まったくわからない。なにしろ、お互いに相手に引いている場面ばかり出てくる。

 このままずっと、「また平と東が接触しているぜ…。この二人はいつになったら…」と読者を思わせながら、何も起こらないのもいいのかもしれない。俺は、平と東がお互いに引いている光景を見ることでしか得られない栄養があると思っている。