八虎の誠実さ。そして、不二 桐緒は何者か? 『ブルーピリオド』13巻の感想について

はじめにーここまでのあらすじー

 主人公・矢口八虎、美大2年目。東京藝大への現役合格を、合理的な目標意識と猛烈な努力で果たした八虎だが、日々の中で少しずつ、自分の方向性に迷いを持ち始める。

 授業の課題である「罪悪感」がテーマの作品作りにも着手できないまま、八虎が出会ったのは、美術界におけるヒエラルキーの外部に位置する反権威的アート集団「ノーマークス」。そして、その代表者である美人で純粋で不穏な芸術家・不二 桐緒。

 不二の思想と人柄に次第に惹かれていく八虎だが、一方で、不二の周囲にある不気味な気配も徐々に見え始めてくるのだった。

 

感想

 ノーマークス/「罪悪感」編決着。

 ドラマティックな結末ではなかったけど、とてもよかったと思う。

 

 不二との出会いを経て八虎が得た結論、その経験を生かした「罪悪感」についての説明は、別に、すごく新鮮なものではない。言ってしまえば、まあ一般論だ。

 でも、八虎は自分の実体験を通じて答えを見つけた。それは、どんなぶっ飛んだ悟りを開くよりも大事なことで、普通な答えだからこそ誠実だと思う。

 

 犬飼教授の寸評を聞いたあとの八虎の反応も良い。これまで、何を考えているかよくわからなかった、独善的で残酷にも見えた教授から手放しで称賛されても、八虎は特に喜ばない。

 それでいいんだと思う。ここで大喜びしてしまうなら、八虎は「権威」側に完全に取り込まれてしまうからだ。

 ノーマークスという、あやしくて実際にいびつだけど、確かにある種の魅力を持つ世界にも理解を示した八虎なんだから、ここでそんなに喜ばなくていい。このバランス感は、八虎が良い意味で大人になった表れだと思う。

 

 物語の終盤で、不二 桐緒は八虎の前から去る(きわめて穏やかなかたちで。念のため)。少し話はズレるが、この不二という人物について、犬飼教授の発言もふまえて、もうちょっと考えてみたい。

 犬飼教授は不二が嫌いなようだが、彼は不二について次のように語る。

 「反権威主義集団・ノーマークスが解体されても、不二がいる限りは、ファンやパトロンによって何度でも復活する」

 「しかし、権威の正当性を証明するためには、反権威主義にいてもらわなくてはならない」

 この発言を深読みすると、「権威」と「反権威」とはある種の共犯関係にあるのかもしれないな、と思える。そして、次のように考えてみる。

 

 不二はおそらく、根っからの反権威主義者なのだろう。でも、実は最初は、ニュートラルで体制側でも反権威でもない、単に優れた一人のアーティストだったのかもしれない。

 同じ時代に存在する傑出した者たちの中で、ある個人がたまたま、「反権威」という役目を負うのではないだろうか。それが不二だったのかもしれない。

 犬飼教授の「不二 桐緒がいる限りノーマークスは復活する」という言葉は、もう少し広い意味で考えてもいいかもしれない。つまり、仮に今の不二が芸術界から去っても、別の誰かに同じ役目が移るだけだということ、「不二 桐緒」というのは一人のキャラクターであるともに、ある種のアイコンなんだろう。

 

 とにかく、不二は物語を去った。彼女は再度登場するだろうか?

 以前、どこかで読んだ感想に俺も賛成するのだが、俺は『ブルーピリオド』は少年マンガだと思っている。つまり、最終章の世界大会編(?)で不二が再び登場してもいいんじゃないでしょうか。どうでしょうか。

 

 そう、八虎が大人になったと言えばもう一つ。八虎は課題の制作を未経験の方法で行うにあたって、桑名さんをはじめ、他の人に助けてもらうことを学んだ。これも大事なことだと思う。

 

 13巻の後半からは八雲と鉢呂、桃代がメインキャラクターとなる新章。なかなか重い雰囲気。とりあえず、田舎の建物の空気感がすげー上手すぎる。

 あと、八雲23歳で思ったより歳いってた。俺は八雲、せいぜい20くらいだと思ってた。

 だから、18-19歳の八虎が八雲を「さん」付けするの、ちょっとでも上だったらそうするのってマジメって言うか、ヤンキーっぽいな、と思ってたけど、23歳ならそれはそうだな、と。以上です。