『呪術廻戦』21巻の感想について。もしくはギャンブルとフィクション偏愛の話

はじめに

 猛烈に面白かったので感想書きます。

 

石流生存!

 うれしい。良いキャラだったんで。

 ただ、なんつーか、「死にそうなところで生き残ったのが、むしろ将来の死亡フラグ」みたいな漫画なんで、そこがつらいところです。

 

シャルルVS秤

私の脳にゴミのような情報を流すんじゃなぁい!!!

 めちゃくちゃ笑ってしまった。

 

 ゴミのような情報を流す秤の能力はかなり複雑なんだけど、敵側にルールが共有されるって特徴もあって、これがマンガ的によくできてる。

 仮に内容がややこしい上に正体自体が不明、となると読んでる側もしんどい。例えば、綺羅羅の能力はマジできつかった。

 この点、坐殺博徒の場合は、ある意味で敵の方が能力の解説役になってくれる。便利。

 

 さて、なんだかんだ、パチンコへの順応性高いシャルル。すぐにルールが理解できる。

 呪術師はみんな頭いいもんな~、からの「帰ってくれ夢!!」は素晴らしかったです。思いっきりハマっている。

   

 関係ないが、『呪術廻戦』とよく比較される漫画に『HUNTER×HUNTER』があるけど、ハンタの方は意外と、ガチの戦闘真っ最中にはギャグはさまないよな、と思った。もちろん、どっちが優れてるということでもないけど、この辺はやっぱり、呪術の方が最近の漫画っぽいなあ、と思う。

 

鹿紫雲VSパンダ

 「お姉ちゃん」、前から存在が匂わされてて切り札っぽかったけど不発。

 

第185話「バイバイ」

 よかった。わかりにくいって感想があったのは、現実のパンダと三男坊の小さいパンダの性格が違いすぎて、読んでる側でそこがちゃんとリンクしなかったんだと思う。あと、キツネとかタヌキとか、どっから出てきてん、という。

 芥見さんは、人外のキャラの表情を描くのがクソ上手い。

 

鹿紫雲VS秤

 シャルルと同じくパチンコへの順応性が妙に高い鹿紫雲。「うっかり特快リーチ!!」。

 乙骨対石流もそうだけど、受肉した過去の呪術師はみんな付き合いがいいよな。勝ち負けよりも、相手の全力を受けきってから自分の全力で上回る美学というか。それが結果として強さになってるからタチが悪いんだけど。

 

鹿紫雲、仲間になる

 対宿儺用の一回きりの術式があるそうで。

 俺は性格がゆがんでるので、「じゃあ、そのうち宿儺とバトって、そこで術式披露するけど宿儺には通じなくて、そこで死ぬのね」とか思ったけど、さて、どうなるでしょう。

 

ギャンブルとフィクション偏愛

 おそらくパチンコ未経験のシャルルが、戦闘の過程で完全にギャンブラーになってしまう描写が素晴らしかった21巻。

 それを爆笑しながら読んでいた俺はパチンコ未経験。たぶん、今後も打たないで死ぬと思う。

 それは賭け事が嫌いだからじゃなく、始めたらたぶん、浸かってしまうから。

 「帰ってくれ夢!!」というシャルルと同じような叫びは、パチンコ店や賭博場だけじゃなく、きっとあらゆるところで発されている。俺たちはみんな、それぞれの場所で叫んでいる。

 それは、家で漫画を読みながら。シアターで映画を観ながら。つまり俺たちは、物語というものと接するとき、「こうあってくれ」「こうあるべき」という感情を無意識のうちに引きずり出されている。

 ギャンブルはきっと、俺たちの脳みそを人類のはじめから焼き続けてきた「虚構」という神の一種だと思う。そして俺は、自分がこの「虚構」に強烈に魅入られている自覚があるので、バクチを始めたらきっと、この新しい神に人生を丸まる持っていかれてしまうだろう。

 だからやらない。他人(シャルル)が打っているのを見ながらへらへら笑っていられるぐらいがちょうどいいんだと思っている。以上。