はじめに
デスゲームとはなんであろうか。
その主な二つの要素は、
①殺し合うこと
②殺し合いの誘発と離脱防止が、システマチックに管理されていること
…だと思っている。
人類は有史以来、①をずーっとやってきた。あとは②でシチュエーションを整えるだけで、いついかなる時代・場所でもデスゲームはつくれる理屈である。
つまり、人類はデスゲーム製造機である。そういうわけで、本作の舞台は明治時代である。
いきなり余談だが、未来では人間は殺し合いを完全にやめているだろうか?
それは、人類の知性の発達とお互いの信頼にかかっているだろう。
最近はAIが怖いぐらい発達してきているので、もう人間そのものには期待せずに、そっちに任せたほうがいいかもな、と思わなくもないのだが、AIにすべてを委ねた果てにある戦争と破滅は、『火の鳥』ですでに描かれてもいるのだった。
本題
そういうわけで、デスゲームはいつの時代だろうと描ける。
ただ、現代でやるのとそれより前の時代でやるのとでは、違うところがある。『イクサガミ』の場合、殺人という行為の意味合いがいまと根本的に違う。
現代において、殺人は悪行であり犯罪である。
「お前、さっき『人間はどんな時代でも殺し合ってる』って書いてたじゃねえか」と言われると苦しいが、とにかく今の時代、人は人を殺してはいけないことになっている。
だから、現代を舞台にしてデスゲームを描く場合、仮にルールに強制されていようが、人を殺めてもいいのか、という葛藤が最初の焦点になる(ただ、このあたりは大量の作品によってコスられ続けているので、もはやチープになりつつある)。こうした殺人の葛藤は、都合のいい戦闘狂的なキャラクターが登場し、作中における殺人を大っぴらに解禁するまで続く。
一方、『イクサガミ』では殺人は悪ではない。
なんでかというと、江戸〜明治のどさくさで普通に人を殺していたような連中ばかり、基本的に集められているからである。
彼らは人を殺すことが何かの表現であったり、思想を示す手段であったり、というか普通に飯の種であったような魑魅魍魎だらけなので、殺人の葛藤とかゼロである。むしろ、「いつまでもあんまり、人とか好き勝手に斬るんじゃねーぞ」みたいな、時代がそんな雰囲気になりつつあって、じゃあ俺たちの意義って…みたいなやつさえいる。
人殺したちの最後の残光というか、滅びゆくさだめ。デスゲームとしての緊張感だけでなく、こうした時代の流れみたいなものも、今作のテーマかもしれない。
他にも、当時の雰囲気とか時勢を上手く描写している作品である。けっして、「ちょっと奇をてらったデスゲームものとして、舞台を明治にしよう。時代考証とかはどうでもいいぜ」みたいなノリではない。ちゃんとした時代劇である。
ただ、作品の大筋はというと、ほぼベタなデスゲームものである。
特にキャラクターの設定。新奇さはない。逆に言えばみんなの好物が多いとも言える。
例えば、主人公。人殺しに苦悩はあり、弱者を見捨てられない甘さを抱えるが、いざというとき腕は抜群に立つ。
関西弁で得体の知れない、同じく強いライバル。
正体不明で不気味な強ジジイ(みんな強ジジイ好きだよな。俺もだけど)。
主人公と同じ修行を積んだ、因縁のある同門の徒。
混沌とした時代の中にあってさえネジが飛んでる、異質のヤバい殺人鬼。
この手のジャンルではありがちで、といっても目が離せない者たちが入り乱れて、殺し合いながら、点数(となる札)を奪い合い、目的地である東京を目指す、そういう物語である。
ちなみに、「点」と「移動」が物語の核になっているあたり、本作の枠組みは『スティール・ボール・ラン』にも近い。デスゲームというよりは、「SBRっぽい作品だよ」という方が雰囲気がうまく伝わるような気もする。
以下は、気になった点や今後の予想を書いておく。
・覆面男は何者か?
物語で顔を隠しているキャラクターには、何か隠す理由がある、と思っている(メタ的に)。
上記のとおり、『イクサガミ』には「こいつは別格でヤバい」という人物が何人か登場する。
そのほとんどはゲームの参加者だが、覆面男だけは異なり、彼は主催者を守る護衛である。参加者たちの中から「お前ら運営の好きにはさせないぜ」とタンカを切って出てきた実力者を、開始早々圧倒的に叩き斬ってデスゲームを本格始動させるという、まあいかにもというか、物語において大変無駄のない仕事をしたキャラである。
俺は、戦乱を生き延びた新撰組の有名人が正体では、と思っている。斎藤一とか、永倉新八とか。
覆面をめくって、「いや、どちらさんですか?」よりは、その方が美味しい。あと、主人公は新撰組と因縁があるようなので、そういう点でも美味いと思う。
・強ジジイは何者か?
ゲームの開始直後に別格の強さと危険さを見せたジジイがいる。
主人公が使う剣術の傍流に一人、ヤバいジジイがいる、というエピソードが挟まれているので、もしかしたら強ジジイはそいつかもしれない。
・黒札のゆくえ
今作の特殊なギミックに、「黒札」がある。
物語の基本的なルールとして、主人公たちは京都から東京を目指すことを命じられる。旅程の途中、それから最後の東京に関所があって、他のプレイヤーが身につけている木の札(一人一点)を一定数集めないと通過できない。殺し合いは、この札をめぐって発生する。
ただ、札を失うのが殺された場合だけとは限らず、路上で力尽きたり、勝手に捨てるやつが出てくるかもしれない(捨ててはいかん、とは言われている)。そうすると、その分の点数が盤上から消滅してしまうことになる。
黒札はそれを埋めるもので、第三ステージを最後に通過したプレイヤーに、「それまでに消滅した全ての点数分」として、(強制的に)運営から渡される、一枚で大量の得点を意味する札になる。
一気にたくさんの点がもらえるのはラッキーだが、同時に強烈なデメリットがあり、黒札の保持者は他のプレイヤーに通知されてしまう。こうして、黒札を巡って戦闘が加速する、という運営側のモクロミである。
黒札を争って起きそうな展開をいくつか予想してみる。
① 主人公がうっかり持ってしまう
冒頭から、他人にかけた情けのせいで周囲から目立ったターゲットになってしまう主人公なのだが、それがさらに悪化する、という展開。
ただ、今のままでも十分標的になっているし、黒札持ってもあんまり変わらないか?
② 強敵にわたる
ヤバすぎて絶対に戦ってはいけない、もしくは心情的に戦いたくない相手に黒札がわたる。上で書いたとおり、関所を通過するには一定の点数が必要になるため、なんらかの理由で大量の点数が必要になった主人公が、黒札の持ち主と戦わざるを得なくなるという展開。
③ 故意に押しつける/押しつけられる
黒札については、一つ疑問がある。
黒札は誰かに奪われたあとも黒札なのか、それとも、奪われた後は同じ点数分の普通の札に換えられるのか?
もし、相手に奪われたあとも黒札のままなら、一種のババとして、故意に押しつけることもできそうだ。ここからの黒札の行方に注目したい。
・みんな、人の顔よく覚えてんな
敵プレイヤーを認識するのに、「スタート会場で見た顔」という根拠でみんな山林や街道でいきなり戦い始める。俺なら覚えてられないが…。
・あいつは生きてる
主人公の仲間になる…という罠を見破られ、重傷を負って姿を消したキャラクターがいるが、死んだとは描かれてないので、生きていると信じている。俺は詳しいんだ。
・続編いつ出んの?
沢山聞かれるので……連載の隙間で、すでに書き始めております。
— 今村翔吾 (@zusyu_kki) 2022年11月8日
頑張ります。はい、頑張ります。 pic.twitter.com/lxvF94wRhn
昨年11月の時点で書き始めている、なので(2023年2月現在)、それなりのところまでは進んでいる。
…かもしれないし、いないかもしれない。
気長に待ちたいと思う(追記:2023年5月16日、続刊となる『イクサガミ 地』が発売されました)。
以上、よろしくお願いいたします。