『ジャンケットバンク』は『嘘喰い』と違うルートに進んだか? ということについて

はじめに

 平穏な日常を過ごしていた青年が、ある日、一人のギャンブラーに出会う。青年は、そのギャンブラーの持つたぐいまれな洞察力や人間性に魅せられていき、やがて、謎の組織が仕切る生死を賭けた勝負の世界に自らも身を投じていく…。

 

 というと、これは『嘘喰い』の概要。であると同時に、いまヤングジャンプで連載中の『ジャンケットバンク』の概要でもある。

 パクりだなんだ、という話ではない。

 単に、両者はかなり似た物語のフレームを持っており、『嘘喰い』と同じく『ジャンケットバンク』も面白いので、『嘘喰い』が好きだった人は読んで欲しいということである。

 

 と言いながら、現時点では『嘘喰い』の方が優れた作品だと思っている。

 ギャンブルに格闘をかけ合わせた『嘘喰い』の独自性はすごい強みだし、もっと単純な話、『ジャンケットバンク』よりも『嘘喰い』の方がギャンブルのルールがわかりやすいので、決着したときのカタルシスがより大きいからである。

 『ジャンケットバンク』の各勝負のオチも面白いが、ゲームの取り決めが複雑なので、ついていくのでわりと精一杯、最後の種明かしを楽しむ余裕がなかったりする。

 やや批判になるが、ギャンブル漫画のお約束でルールの中には必勝法がひそんでいるわけだけど、『ジャンケットバンク』ではルールを過剰に複雑にすることで読者に勝ち筋を見えにくくしている、という印象も強く、最後にいまいち爽快感がない場合がある。

 ちなみに、これは『嘘喰い』の方が作品としてフェアという意味ではない。

 『ジャンケットバンク』が勝負の複雑さで読者をケムに巻いているのに対し、『嘘喰い』は対戦相手の多くがイカサマ野郎であり、ルールが単純な代わりに人間の方が見破れっこないズルで読者をケムに巻いているという違いであって(貘はそれでも見抜いてしまうが)、『嘘喰い』の方が俺のようなバカにも優しい、という話である。なお、『嘘喰い』には珍しくイカサマ抜き、真っ向勝負の頭脳戦となった「業の櫓」は完全に理解がお手上げだった。

 

『ジャンケットバンク』は『嘘喰い』と違うルートに進んだか?

 その『ジャンケットバンク』が7巻で、『嘘喰い』と明確に違うルートに進んだような気がするので書いておく。

 

 『嘘喰い』には梶ちゃんという、いち芸に秀でるものの基本的には常人、という立ち位置のキャラクターがいるが、これと同じく『ジャンケットバンク』にも御手洗暉(みたらいあきら)という銀行員が登場する。

 6巻で御手洗は大勝負で失策してしまい、人間としての権利を剥奪されてアンダーグラウンドの世界に落とされる。7巻は、御手洗が文字通り命のかかった勝負に挑んで地上にカムバックするまでが描かれる。

 

 この勝負で御手洗はいくつかの成長と変化を遂げるが、注目するべきは、自分が生き残るために他のプレイヤーを犠牲にし(=死亡させる)、かつ、その死を観察して楽しむという変貌を御手洗が遂げたことである。

 積極的に他プレイヤーを除外したわけではなく、巻き添えを食らわないために回避したという面が強いが、これが重要なのは、『嘘喰い』と比べた場合におそらく、梶ちゃんは同じことをしないだろう、という点である。

 梶ちゃんならたぶん、自分以外の誰かを犠牲にして勝ち残ろうとはしないし、その脱落を楽しむこともない。

 メタ的に身もフタもない言い方をすれば、「他者を蹴落とさなくても、自分も相手も救済できるギャンブル」しか梶ちゃんは戦わなかった。だから、どうしても他人を見殺しにしないと自分が生き残れない勝負で梶ちゃんがどうしたかはわからない。

 ただ、とにかくこれで、梶隆臣と御手洗暉は、魔性の魅力を持つギャンブラーに惹かれる第二の主人公という同じ立場でありながら、違う道を歩き始めた。そして、もしかすると『嘘喰い』と『ジャンケットバンク』も。

 

 梶ちゃんと御手洗とどちらの道が厳しいか、と言われると、明らかに梶ちゃんの方が厳しい。

 デスゲームで対戦相手の命を気にかけ、最後まで相手を死なせない方法を模索しながら自分も勝つ、というのは、あらためて考えると異常な勝負観だ(だからこそ、対戦相手も、本来なら一方的に他者を魅了するだけのはずの班目貘も、梶ちゃんに惹かれるのだと思う)。

 ただ、主人公側にいて善性を抱えながら、同時に人が死んでいくところを楽しんで見物できる、という御手洗のキャラクターは梶ちゃんとは違う意味で異常であり、どちらが登場人物の人格として珍しいか、先が気になるか、というと御手洗の方である気がする。

 そういう意味で、御手洗がこれからどうなっていくかに注目している。彼が完全にダークサイドに堕ちている、という見方もできるが、本来の健全な倫理観と狂気が同居している、という方が断然魅力的で、8巻以降でそこが見れるといいと思っている。