「最強」の定義、映画『オアシス:スーパーソニック』の感想について

はじめに

自分を変えることのできる特別な人たちが、いったいどれだけいるのだろう?

変わった生き方を許される人生が、いったいどれだけあるというのだろう?…『Champagne Supernova

どうすれば生きている実感が手に入るのか、見当もつかない

いったいどうすれば、自分の中に眠っているものの目を覚めさせることができるのかが…『Acquiesce』

 

 知らない人が見たら、自分に自信のない、悩みと苛立ちを抱えた世界中どこにでもいる若者の言葉に聞こえるだろう。

 わかる人だけがわかる。これが、20代で全世界1000万枚以上のCDを売り上げ、2日間で25万人を動員する超ド級のライブ公演を実現した怪物のようなバンドの歌詞だということが。

 

 (ときどきよその曲をパクるけど)稀代のソングライターであるノエル・ギャラガーと、基本チンピラなんだけどステータスの割り振りをカリスマ性に全振りしたようなフロントマン リアム・ギャラガーの兄弟を中心としたバンド、oasis

 ある時代、確かに世界の頂点に君臨し、やがて失速し、そして自壊したoasis

 そのドキュメンタリー映画、『オアシス:スーパーソニック』が公開されたので観てきた。以下、未見の人向けに見どころと感想を書いてみます。

■目次

    1. はじめに
    2. ライブ映像~小さいハコからネブワースまで~
    3. インタビュー~母ちゃんの語り、名曲誕生の秘話~
    4. おわりに~最強の定義とoasisの今後~

 

ライブ映像

 上で書いたとおり、曲は初期のものがほとんどです。筋金入りのファンはもちろん、初期の曲しか知らない、という人でも楽しめます。

 演奏はどれもエネルギーと確信に満ち溢れていて、リアムは「歌い上げる」という表現がぴったりの王様っぷりで、聴いてて妙に泣きそうになった。思わず合唱して映画館で不審者になるところだった。危なかった。

 それほど大きくないハコから音楽番組のスタジオ、そしてなんといってもネブワースまで色んなとこで演っている映像が観られる。

 特筆すべきはやっぱりネブワース。『オアシス:スーパーソニック』は、このネブワースにぎっしりとどこまでも、果てしなく人々がひしめている様子を空撮で映すところから始まっていて、もうライブ会場というより難民キャンプみたいな規模に見えて、正直怖くなるレベルだった。

 これだけの数の人たちが、ただoasisの曲を聴くために集まったのだ。それを前にしたノエルは、そしてリアムは何を感じたんだろうか。

 珍しい音源も聴ける。兄貴の『wonderwall』とか、兄貴加入前にバンドが作った曲とか、あとはリアムがシャブでラリラリになってたアメリカの音楽番組の映像とか…。

 

インタビュー

 音源についてはすでにつべとかで漁っていた人もいただろうから、ディープなファンは、むしろ映画の製作にあたって関係者に行われた、最新インタビューとしての内容の方が気になるかもしれない。

 

 まず驚いたのは、ノエルがoasisに加入する経緯について、実は兄貴はリアムにお願いして「加入させてもらって」いたとノエル本人が語るくだり。

 「お前たちはどうしようもないクズバンドだ。だがリアムのパフォーマンスには少しだけ光るものがある。俺の曲を演ってビッグになるか、このままマンチェのクズバンドで終わるか、どっちだ?」

 兄貴のこのハートウォーミングな挨拶がきっかけでノエルはoasisに加入した、というのが定説だったはずなので、これは意外だった。まあ、時間が経って当時大げさに言っていたことをいまはむしろひかえめに表現している、ということかもしれないけど。

 他にも兄貴の発言で意外だったのは、フロントマンとしてのリアムをイケメンとか身長高いとか言って素直にほめているところ。でも、二人の大ゲンカでバンドが解散を迎えたことを考えると、なんか心温まるというよりは「冷静に過去を振り返っちゃってる」感じで、少し寂しい気がした。

 

 『Talk Tonight』という曲の誕生をめぐる逸話は、兄貴のロックスターとしての面目躍如と言ったところ。

 アメリカでのライブ中にリアムにムカついてバンドから失踪してしまったノエルは、そのまま現地で出会った女性のもとへと、彼女が暮らすサンフランシスコへと行ってしまう。そして、その後の数日間という短い期間でこの名曲を作り上げてみせる。

 

朝が来るまで、今夜はあなたと話していたいんだ。あなたが、どうやって俺を救いだしてくれたかについて…『Talk Tonight』

 

 ノエルは最後に付け足す。あっさりと。「今では彼女の顔も覚えていないけど」。

 でもその一方で、とても大切な記憶なんだろう、ということも伝わってくる。しびれる。

 

 兄弟の母親ペギー・ギャラガーのインタビューも印象に残っている。

 夫のDVに悩まされながら、ノエルたちを育て上げた苦労人のペギー。彼女の言葉には、あのもの静かなノエルとやんちゃなリアムが、大人になってずいぶん遠いところにいってしまったものだという驚きがある。

 でも、そこに世界で最大級に有名な兄弟の母親としての特別な語り口みたいなところはなくて、本当にどこにでもいる普通のお母さんのようで、それはつまり彼女からすればあの兄弟も普通の、でも自分の大切な息子、という感じで、とてもよかった。

 

おわりに

 観終わってもっとも考えさせられたものは、リアム・ギャラガーというフロントマンの存在感と、こいつを表現するにはもう「最強」の2文字しかねえな、という感嘆である。

 リアムの映像を観ていると、自然にある印象を抱く。それは、リアムが常に「観客VS俺」、「世の中VS俺」という対決の構図の中で生きていること、そしてその戦いを勝ち抜くために、常に自分の方が相手よりも強いのを疑っていないということである。

 リアムはバンドが始動してわずか数年で膨大な数のアルバムを売り、ネブワースで怪物のような規模のライブを行ったときに最大の「戦果」を得たわけだけど、リアムがそうした大きなサクセスを夢見て戦い続けてきたとは、あまり俺には思えない。

 映像を観ていると、リアムの戦いはただひたすら「今」「目の前」にあったのだと感じる。目の前の観客、自分を取り巻いている環境…それが誰で、ステージはどこで、どんなタイミングであろうと、リアムはそれを一回こっきりのタイマンだと認識して、そしてすべての勝負を等価として扱った。

 ネブワースはその戦いの果てにたどり着いた新たな敵というだけであって、立ち向かう相手として強大ではあったけれど、自分を信じて一対一で戦わざるを得ないという意味では、これまでの戦いとなんら変わるものではなかったのでは、とさえ思う。

 で、俺は思う。その戦い方こそが、oasisが世界中で受け入れられ、それこそ俺みたいな極東のひきこもりのこころまで奪った理由なんじゃないか、と。

 なぜなら、そうやって自分自身を超えないといけない場面は誰の人生にも存在するはずだからだ。

 1000万枚CDを売って大観衆の前で歌う必要はなくても、ここ一番を「この世の全てVS俺」という構図で戦わざるを得ない場面は、きっと誰の人生にもある。そしてそのとき、俺たちは「俺は相手より強い」と信じずにはいられない。なぜなら、その狂信こそが俺たちを勝負のリングに上げてくれるからだ。

 oasisが、そしてリアムの歌が世界中のハートをわしづかみにしたのは、きわめて自己本位的に歌っているにもかかわらず、誰もが戦う大勝負を支える一つの応援歌として認識されたから、だと思う。

 さて、リアムのすごいところは、普通そういう戦いは人生の節目で何回かくぐり抜ければいいはずのところを、いちステージいちステージそういう気概で戦っているところだ。そして、おそらく誰が相手だろうと自分の方が強いことを信じて疑わないところだ。

 敵が何人もいる中で一番強い、のではない。正確には、いま目の前にいる相手より自分の方が強くありさえすればいい。ただしその結論は、相手が誰であろうと、戦いがどのタイミングで起ころうと、揺らぐことはない…。

 その意志が目に見えるから、だからこの頃のリアムは「最強」なのだ。誰にでも似ていながら、誰にもマネできない、リアムだけが体現できる「最強」さなのだ。

 

 不満点もあるけど(3rd以降の曲がかからないところや、そして後の兄弟二人の決定的な大ゲンカによるバンド解散についてまったく触れていないところなど)、ファンの人は絶対観て後悔しない内容のはず。

 兄貴はそろそろ弟許してやろうぜ? またoasisやろうぜ? と外野で勝手に思う。インタビューでノエルがバンドとリアムについて語る言葉は妙に冷静なところがあって、それはもうoasisに未練がないことのあらわれなのかな、と思わないでもないんだけど。

 でも、いいじゃないか。ペギー母さんの息子二人、悪童ノエルとリアム。たまたま両方ともミュージシャンになって、たまたま二人とも同じバンドに入って、もうどうしようもなく離れられない因縁があって、一度は解散したけどモトサヤになって、性懲りもなくケンカは繰り返すけどぎゃあぎゃあやりながらカッコよくおっさん二人で歌う。

 それでいいじゃないか、と勝手に思う。思いながら、『オアシス:スーパーソニック』をお勧めする。以上。