『奇々耳草紙 憑き人』について

はじめに

 評価は次のように行います。

 まず、総評。S~Dまでの5段階です。

 S…価格、提供される媒体に関係なく手に取るべき。恐怖のマスターピース

 A…購入推奨。もしくはkindle unlimitedにあればぜひ勧める。恐い。

 B…購入してもよい。もしくはkindle unlimitedにあれば勧める。

 C…図書館で借りる、もしくはkindle unlimitedなら読んでもよい。

 D…読むだけ時間のムダ。ゴミ。(少なくとも俺には)。

 

 続けて、本の中で印象に残った作品を評価します。

 ☆…それ一品で本全体の価格を担保できてしまうような作品のレベル。

 ◎…一冊の中に三品以上あると、その本を買ってよかったと思えるレベル。

 ◯…一冊に七〜八品あるとその本を買ってよかったと思える作品。

 

 最後に、あらためて本全体を総評します。

 

 こういう書き方をするのは、初見の人に本を勧めつつ、できるだけ先入観を持たない状態で触れてほしいからで、評価が下に進むほど、ネタバレしてしまう部分も増える、というわけです。よければ、こちらもどうぞ。

 

 実話怪談という「本」について - 惨状と説教

 

総評

 S

 我妻俊樹作。2017年刊行。

 

 我妻俊樹祭り、第三弾の『奇々耳草紙 憑き人』である。

 あんまり触れたくないことなのだが、言わざるを得ないことなので、以下のことを話す。

 俺は、我妻俊樹の怪談の本質は、読み手のうす暗い記憶や感情をひそかにつかまえてしまうことで、メチャクチャな怪異を飲み込ませてしまうことにある、とずっと書いてきた。
 しかし、『奇々耳草紙 憑き人』には(比較的)それがあまり感じらない。ひたすら情景が鮮やかに浮かび、鋭く突き刺さってくるだけだ。
 こういうことをやられると、顔が歪んでしまう。
 なにしろ、「何が怖くて」「良かったか」、ちゃんと言葉にして説明するために記事を書いているわけだから、よくわからないけどメッチャ良かったです、としか言えないのは全然意味がないからだ(「あらためて、総評」に続く)。

 

 この本はkindle unlimitedで読めます。 

 

各作品評

 カラオケ林…◯
 こしあん…◯
 たのしいたのしい…◯
 3周年…◎
 遺跡公園…◎
 黄色い女…◎
 穴へ…◯
 資料館…◯
 髪の毛…◯
 父親とドライブした山…◯
 薔薇の女…◯。嫉妬、なんだろうか。自分に似たもっと完璧なものは、オバケでも不愉快に感じるらしい。
 赤ちゃん…◯
 〒…◯
 雄鶏…◯
 猫供養…◎。後述。
 死ぬ地蔵…☆。後述。

あらためて、総評

 こんなことを実話怪談に対して抱くのはおかしいかもしれないが、「カッコいい」のだ、この本。
 本当に、めちゃくちゃかっけえ。ロックバンドが音楽シーンにざくっと突き刺した傑作アルバムのようにイカしている。
 他の作家の怪談とは明らかに異質で、もはや怪異と呼ぶのが適切かどうかさえわからない奇天烈さ。それが本当にドライで、こちらの反応を盗み見るようなところがまったくなくて、読者のセンスを打ち抜くことの確信だけがある。
 描かれているものの斬新さが印象的だ。
 『黄色い女』や『薔薇の女』なんて色彩の鮮やかさが主役みたいな話だし、『猫供養』の恐怖でも不安でもなく、なんと「歯がゆさ」が積み重なっていく感じ、『死ぬ地蔵』の入り組んだ設定…。
 怪談をそういうものを表現するツールとして使い、巧みに成功させてしまうところ。…この本には、こんなことしか言えないな。難しい。
 
 で、『猫供養』。悪行のマウンティングという意味不明な状況だが、体験者の方に応戦するつもりがないので成立もしないという、なんとも気持ちの悪い状況。
 降りかかるべき罰は待っても訪れず、性根を見透かされたと思いきや誤解も重なり、どんな方向にも事態が解決しないという、アンチカタルシスきわまる作品。
 
 『死ぬ地蔵』は、実話怪談とは思えない心理戦(?)が展開する作品。
 俺たちは、目の前の怪異をどんな理由で説明することもできる。しかし、その本当の理由を探し当てることは絶対にない。
 ポストモダン的というか、実話怪談の最後まで行って、また戻ってきたような傑作。
 ところで、この話の体験者もどこかおかしい。いかれてる話者に取材するときは、その異常さにフィーチャーするより、静かに距離を取ったみたいなこういう具合が好きだな。
 
 第36回はこれでおわり。次回は、『奇々耳草紙 死怨』を紹介します。以上、よろしくお願いいたします。

 

奇々耳草紙 憑き人

奇々耳草紙 憑き人