『第三脳釘怪談』について

はじめに

 評価は次のように行います。

 まず、総評。S~Dまでの5段階です。

 S…価格、提供される媒体に関係なく手に取るべき。恐怖のマスターピース

 A…購入推奨。もしくはkindle unlimitedにあればぜひ勧める。恐い。

 B…購入してもよい。もしくはkindle unlimitedにあれば勧める。

 C…図書館で借りる、もしくはkindle unlimitedなら読んでもよい。

 D…読むだけ時間のムダ。ゴミ。(少なくとも俺には)。

 

 続けて、本の中で印象に残った作品を評価します。

 ☆…それ一品で本全体の価格を担保できてしまうような作品のレベル。

 ◎…一冊の中に三品以上あると、その本を買ってよかったと思えるレベル。

 〇…一冊に七〜八品あるとその本を買ってよかったと思える作品。

 

 最後に、あらためて本全体を総評します。

 

 こういう書き方をするのは、初見の人に本を勧めつつ、できるだけ先入観を持たない状態で触れてほしいからで、評価が下に進むほど、ネタバレしてしまう部分も増える、というわけです。よければ、こちらもどうぞ。

 実話怪談という「本」について - 惨状と説教

 

総評

 S。

 朱雀門出作。2019年刊行。

 

 第一弾、第二弾と竹書房から発行された脳釘怪談シリーズの三作目。今作は電子書籍という形式であり、個人で刊行された模様。

 俺は、出版社と作家の関係とか売り上げの取り分とかよく知んないが、実力ある人はこういうかたちでの出版どんどんやったらいいよな、と思う。なお、最新作の「第五弾」は竹書房での発刊になるみたいです。

 

 作品としては、オバケなんだかよくわからない怪異を扱った話が多い。まだちゃんとした名前のついてない妖怪というか、怪現象というか…みたいな感じで、当然、そういうものを上手く処理する方法なんてないので、体験者はみんな混乱したり不快になったりする。

 雰囲気としては我妻俊樹に似ていると思う。ただ、おそらく、朱雀門出の方が読み手を気持ち悪くさせるのではないかと思った(良い意味で。これは本当に褒めてる。詳しくは後述する)。

 

各作品評

 どの作品もよいが、特に印象に残った作品を挙げる。

 奇怪な像が在った場所…◎。後述。
 庭に咲いた地底人のはなし…◎
 知らないケモノ…◯
 集会所の石像…◯
 ひも…◯。後述。
 きむらタンでちゅか…◯。後述。
 イが来たはなし…◯
 わざわざ訪ねてきた人が途中でやめたはなし…◯
 死にゆくペコ…〇
 変態するヒトのはなし…〇
 真実の世界…◎
 いみださん…◎
 三人の小人…〇。後述。
 

あらためて、総評

 上で我妻俊樹に似ていると書いたのには理由があって、この本と同じように、『第三脳釘怪談』も人間の暗い感情をフックにして、読者の心に入り込んでいる感じがする。

 ただ、朱雀門出がとっかかりにしている感覚は、俺たちのより無意識のところ、もっとぐちゃぐちゃしたところにある気がする。

 我妻俊樹が、後悔や罪悪感、寂しさといった、比較的理性的な感覚を狙い撃ちしているのに対して、『第三脳釘怪談』の場合、闇とか血の近くにあるもの、情欲とか、なんかそういうものがターゲットにされている感覚がある。

 そういう意味では二人の作家は似て非なるもので、我妻俊樹が「不安」の作家だとしたら、朱雀門出の方が「不快」だと思う(褒めている)。

 

 『奇怪な像が在った場所』について。情欲、といえばこの話がまさにそうだ。

 一連の怪異(悪夢を含む)がお互いに関係してるんだかなんだかわからない感じが不気味だ。ただ、そもそもの発端である例の像がやっぱり一番不穏で、セックスというものをおおざっぱにくくった結果、ああいう奇怪なものとして現れました、見せつけられました、と仮定すると、泥を飲まされたような気分になる。

 

 『ひも』は最後が強烈。「わけのわからないもの」をフリにして「わけのわからない人」が出てくるのは怖い。

 

 『三人の小人』は、これを本の最後に配置する構成にやられた。

 怪談で大きな惨劇が扱われると、恐怖よりも嘘くささを感じてしまうことがある。ただ今回は、本全体を通じて淡々とわけのわからない話を読ませられていたため、それが信頼感につながったというか、「まあそういうこともあるのかな…」と悲劇のショックを割とモロに食らうことになり、感動した。

 

 『きむらタンでちゅか』。読んでいて、「おい、おかしいぞ」と。変なことが起きてるぞ、と。

 この違和感はちゃんと最後に回収されるのだが、考えてみると、この気持ち悪さは個別の作品という枠を超えて、朱雀門出の魅力そのものだと思う。

 基本的にこの人、おかしいのだ。

 異常な出来事や怪異を扱っているのに作者の側があまりに淡々としているというか、それが一番気持ち悪い(褒めてる)。

 また、「かくかくしかじか、こういう不思議なことがありました。〇〇さんは驚きました」みたいなところまで書いて、バツン、と話が終わってしまったりする。

 え、そこで終わり…? となる。これが本当に気持ち悪くて、話の中で起きたことより、話の存在自体が不気味だったりする。

 俺は以前の記事で、「実話怪談を名乗るなら、話として詰めるべきディテールがもっとあるよな?」と言って、ある作家の作品群をメタクソに批判した。

 朱雀門出の場合それとも違っていて、途中まで中身はちゃんと詰まっているのだ。それを、たぶん意図的に最後まで書かずに(なぜならその方が怖いから)ぶった切っていて、狙ってやってんのかな? すげえな、と思う。

 

 怪談本に対するひとつの褒め言葉として、「不穏過ぎて手元に置いておきたくない」というものがある。

 『第三脳釘怪談』がまさにそうで、非常に暗くてつかみどころがない。

 電子書籍なので物としては残らないわけだが、それがかえって気味が悪く、たまたま道でUSBメモリを拾ったら、中にわけのわからない物語がぎっしり詰まっていたという感じで、後悔を誘うぐらい禍々しい。とてもよい。

 

 第23回はこれでおわり。次回は、『東京伝説―忌まわしき街の怖い話』を紹介します。以上、よろしくお願いいたします

 

第三脳釘怪談

第三脳釘怪談