海べりの街で暮らしている。
ランニングをやるときのコースは決まっていて、家を出てからまっすぐ南に、海岸に向かって進んでいく。
10分弱ほど走っていると海に着く。コンクリート舗装された道を降りて浜に立ち、波打ち際に沿って走っていくと、やがて一つの川が海に注いでいる河口にぶつかる。ここで引き返して、浜の最初の場所まで戻ってくる。これをもう一往復。そして、海に来た道を逆に帰っていく。おおよそ30分ほどの距離になる。
晴れている日の海岸を、海水に濡れてかたくなった砂を踏んで走っていくのは気持ちいい。
特段澄んだ海ではないけれど、視界の片側に波間がゆったりと、陽光に照らされながらうねるのが見える。浜辺には貝殻はもちろん、海藻だとか木の枝とか、その他よくわからないものが打ち上がって力尽きているので、これらをちょっとしたアトラクション気分で避けながら走っていく。
というのは、晴れた昼間に走った場合。
夜、そして天候が崩れていると、文字通り様相が変わる。
俺は一度やると決めると予定を変更できなくなるところがあって(別に意志が強いわけではなく融通がきかないのだ)、「今日はランニングをする」と思ったら、よほどの嵐でない限り雨の中でも外に出る。
砂浜に出る道路だが、砂地に向かってゆっくりとくだるかたちになっており、最後はトンネルを抜けていく。
真っ暗なトンネルの向こうに雨の日の海が見える。
灰色をした砂浜以外には、濃度の違う闇しかない。うっすらガスがかかったような大気。どす黒い海。その上に広がる暗い夜空。
砂地でさえ、灰色に見えるのは水際から離れているところだけで、波と接する辺りに近づくほど濡れて黒くなって、闇と同化している。
ただ、そういうところの方が砂が「しまって」走りやすい。俺は波がかからない程度まで水際に近づいて走り始める。
潮の満ち引きの関係か、雨の影響か、浜辺の雑多なものが何もかも海にさらわれていったらしく、海藻だのゴミだの何一つ砂浜に落ちていなくて、浜辺はひと際なんだかわからない、むなしく漠然と暗い広がりという感じになっていた。
よくわからない浮遊感がある中を走り続ける。しばらく行くと暗い地面が少し明るく見えるようになるのは、光が現れたからではない。
逆に、砂地と比べてもっと暗いものがそこにあるからだ。河口だ。街の中を流れる川が暗い流れになって、ここで海に流れ込んでいる。
さらに水気を増してぐずぐずしはじめた砂を踏んで、水際のぎりぎりまで歩いていく。
雨のせいか普段より水位が上がっている気がする。
それが理由かもしれないが、普段であれば水流に削られた砂がかなり鋭い角度で立っている川との境界が、今日はならされたように滑らかになっている。いまにも水が砂地まで音もなく広がってきそうに見える。
しばらく真っ暗な水面を見ていた。
唐突に、なんだか嫌な感じがした。水の中からとろとろと、何か浮かび上がってくるような気がした。
俺は河口に背を向けた。そして、再び走り始めた。
俺はいわゆる怪談を好んでいる。しかし、お化けを信じているかというと、かなりの割合で「否」にかたむく。
ただ、暗い水面を見ていたあのときは、なんだか「このままだとまずい」というものを感じた。それを予感と表現したくないのは、ただの矜持だ。
何が「まずかった」のか。次のような理由だと思う。
二つの世界が接するところには、境界という特殊な地帯が生まれる。今回であれば砂地:水面。怪談的に言えば現世:異界 となる。
そして、こじつけて考えると、境界とは言葉が通じない者同士が約束を交わすためにある場所だと思う。
例えば、現世の中で生活する限り、約束というのは基本的にすでに交わされているものだ。
ルールや常識の多くは、いちいち口に出して確認しなくても大半の人が共有しているからだ。しかし、もしも意見が食い違うのであれば、明確に言葉にしてすり合わせることになる。
一方、仮に完全に異界へと踏み込んでしまったとすれば、向こうの決まり事に身を任せるしかない。
ここでは、現世のように言葉を用いる必要がないのではなく、使用する余地がない。約束を交わす猶予もないので、「相手」のなされるがままになる(だから、絶対に踏み込んではならない)。
では、現世でもなく、異界でもなく、その境界では何が起こるか。
二つの世界の間をとって、言葉が通じない者同士、通じないなりに約束を交わしましょう、ということになる。もっと言えば、境界にいること自体、何かの約束を交わしたいという意思表示になる。
「なる」というか、「なってしまう」と言うべきか。
こんなことは俺も考えたことがなかったが、あのとき、このまま砂地と水際の縁に立っていることが何を意味するのか、どんなサインとして「向こう」に受け取られるのか、俺はなんとなく直感した。だから嫌な感じがしたのだろう。
まるでお化け肯定派の意見だが、繰り返すと、どちらかといえば否定派だ。
ただ、どうも俺のイメージするお化けは、境界を超えた者を理不尽にとって食いながら、境界に留まる者に対しては約束というステップを踏む存在であるらしい。
別に優しいとも理性的とも思わないし、向こうが勝手に境界を定めて気づかないうちに約束を交わそうとしている場合もあるだろうから、油断も隙もない。
ただ、この微妙な一線こそ怪異を単なる(つまらない)理不尽な災厄と区別している気がするし、踏み込んで言えば、俺の好きな実話怪談はいずれも、この琴線に何かしら触れている気がする。