はじめに
ネタバレします。注意。
めちゃよかったぜ。
面白かった。
『アベンジャーズ』も含めて、MCUの作品をいくつか観ているが、たぶん一番面白かった。
正直、2時間30分を超える視聴はかなりの体力勝負だったが、(良い意味で)混沌と織り込まれた無数のテーマを取り扱い、壮大な決着をつけるには、必要な時間の量だった気もする。
MCU作品なのでヒーローが登場するわけだが、今回のキャラクターたちは人間ではなく、宇宙人という存在に近い。
彼らの役目は一般人を「守る」というよりは「導く」というものであって、その間接的な関係性が、そのまま深く考え込むような内容になっている。
例えば、非人間から人類を助けるために力を振るったり、技術的成長をバックアップするのはOKだけど、人間同士の争いは、どれだけ非道であろうと歴史のたどるべき道程だから介入できない、とか。
「人間は繁栄したけど、まるで善良じゃないし、このままでいいのかな? …っていうか、俺らのいる意味ってないんじゃね?」。
同じ人間がヒーローを務めるのとは違う、立っている次元が異なるゆえの苦悩。キャラクターによっては葛藤を覚えて任務から離脱してしまったりする。あるいは、存在を永らえすぎて精神が壊れてしまったりとか。
いや、Marvelすげえな。思い込みかも知らんけど。
そして、この「導く」という役割を、物語の途中で盛大にうっちゃってしまうのが更にすごいところだ。
地球における人類の繁栄という任務を負って「誕生した」と、このように自分たちでは認識していたエターナルズだが、実際は、同じようなことを他の惑星で繰り返し行ってきており、そのたびに記憶をリセットされていただけであることが明かされる。
人間に対する支援も、本当の目標は繁栄させることではなく、宇宙を安定させる礎を築くために必要なエネルギーとして活用することが真の目的であることがわかる。
メンバーの一人にスプライトというヒーローがおり、空間に映像を投影して物語(ムービー)を人々に見せることができる、という能力を持っているのだが、映画の展開とあわせて考えて、俺は次のようなことを思ってしまった。
つまり、MCU(Marvel)に限らず、アメリカのエンターテインメント界でも日本でも、世界中で創作者という存在は人々のために連綿と架空の物語をつむいできたわけだ。
それは、もちろん自己実現や名声というエゴイスティックな動機もあっただろうけど、感動させるためでもあるし、いくらかは、世の中を少しはより良くしようという理念があったはずだ。
でも、それは本当に功を奏していただろうか?
結局のところ、同じような内容のストーリーを語り手だけ変えて繰り返し、無為に消費させ、最後は資本に変換してきただけではなかったのか?
俺は『エターナルズ』で明かされた物語をそういう暗喩として見てしまった。そして、それをMarvel自身が表明することがすごいというか、クリエイターとしてのある種の告白のように感じてしまった。
そう思って、「たいしたことやってんなー」と見守りながら鑑賞していたので、要するに大変面白かった。
多様性とか。
観ればわかるとおり、いわゆるダイバーシティをすごく意識した作品でもある。
俯瞰してみたフレームは「一つのプロジェクトが女性のリーダーシップによって解決される物語」というものだし、ヒーローたちの顔ぶれも、東洋人・黒人・聴覚障碍者・同性愛者を含めて、おそらく多様性を意識して構成されている。
ゲイカップルのキスシーンはよかったな。
でも、あれが「特別に」いいって感じるうちは、まだまだなんだろう。これまでの異性愛者による場面と同じように、あれが単なる恋人同士のいち風景としていつか映るようになるまで、挑戦は続くのだと思う。
優秀な能力を持つ白人男性が旧来の価値観にとらわれ、ある意味で障害になるという展開は、世の中的にどう受け止められるのだろう。
『ジョーカー』的な社会では反感を呼んだりするのだろうか(ちなみに、俺の『ジョーカー』理解は白人男性がどうとか世の中への復讐とか関係ないもので、俺は俺の鑑賞が一番正しいと思っていて、一般的な感想は全部間違ってると思ってます)。
でも、俺的には彼の結末はビターな救済なんだ。
「自分が率先してチームをまとめて目標を達成しないと」っていう、それまでのマッチョな価値基準に苦しめられていたのは彼自身でもあって、ようやく楽になれたわけだから。
俺はこんな性格で、男性的とは程遠いように見えるだろうけど、意外とそこに共感するんだよな…。
最後に、ティアマット(地球人類を犠牲にして誕生する宇宙の礎)自身が主人公に協力して自らの発動を停止させた、みたいな超重要なことがさらっと言われてましたね。
これ、すげえことだと思うんだよな。そこが掘り下げられなかったのが、不満と言えば不満でした。
以上、よろしくお願いいたします(好き勝手書くつもりだったから「感想ではないもの」と題したけど、意外とそれっぽくなったぞ)。