悪夢について4

  俺は政府の要職で、他の高官たちと一緒にある国との会議に参加していた。

  その国の会議室で、俺たちは相手から敵意のないことを示せと求められた。何があっても抵抗できない姿勢で地べたに体を預け、こちらを完全に信頼していることを表せ、という。

  不思議にも馬鹿げているとか屈辱だとか思わなかったし、俺以外の人間もそうであるらしかった。

  ためらいなく相手に無抵抗な姿を晒せるというのは、服従ではなくむしろ精神的に上に立つ行為だと思ったのかもしれない。それは俺たちのマッチョイズムと矛盾するものではなかった。

  そもそも、国同士の会合というのは映像に残されたり文字に書き起こされたりすることばかりだけではない。むしろそのやり取りの多くは闇の中で交わされるこうした馬鹿げた虚勢の張り合いによって占められている。

  俺たちはスーツ姿のままぞろぞろと身を床にかがめた。

指示された姿勢は奇妙なものだった。仰向けになり、両方の手のひらを空中で開いて何も握っていないことを示せ、という。それが敵意がないことを示すためのこの国における作法であるらしかった。 

  四つ足で立っている動物の人形、ちょうどあれをひっくり返したようなかたちで、俺は地面に寝転んだ。そのとき、ばすばすばす、という衝撃を腹に感じた。

  俺の横に女性が一人立っていて、手に小銃をさげている。撃たれたのだ。

  痛みはあまりなく、ただ自分の体がもう取り返しがつかないほど破壊されてしまったこと、もうすぐやってくる死に急いで備えないといけないことがはっきりと理解されて、悲しいような呆然とするような気持ちだった。

  俺はなんだこれは、と思いながら、これまで世界中で同じように死んできた人たちがいることを、ようやく身をもって知った。

  あまりに無意味だ。なにかを後悔する時間さえない。あまりに急すぎる。女性が俺の背中に銃を向けて、またばすばすばすと撃った。

  

悪夢について3

  友人と一緒にいて、そいつが「俺の叔父さんがさあ、」と親戚の話を始める。

  あたりが妙に暗い。誰もいない工場のような、地下室のような、知らない機械がたくさんあって室内を無数の配管が走っている。
  「別の叔父さんがさあ、」と友人はまだしゃべっている。
  「あと別の叔父さんがさあ、」と友人が言うので、「お前叔父さん何人いんだよ」と言って相手の顔を見る。
  友人の目の中に、瞳が蜂の巣のように無数にぎっしり集まっていて、それがてんでんばらばらに色んな方向を見ている。「あと別の叔父さんがさあ、」とそいつが言う。
  これが本当に自分の友達なのか、わからない。ただ、こいつの言っている叔父さんなんていうのは、この世のどこにもいないんだろうということは、なんとなくわかる。

悪夢について2

  知人から犬を預かった。むくむくしたぬいぐるみのような小型犬で、よく知りもしない俺のことを嬉しそうに嗅ぎまわって後をついてくる。俺も楽しくなって、よせばいいのに友達と路上でサッカーをするのにその犬を連れていった。
  犬は跳ね回るようにして俺と友達の間を行き来するボールにじゃれついていた。ふと、俺が蹴りそこなったボールがよその家の庭に転がっていった。犬がそれを追って中に飛び込んでいったとき、あ、まずいな、と思った。
  その庭にはとても凶暴な別の犬が飼われているのだ。慌てて追いかけると、果たして知人の犬はその家の犬に噛みつかれ、ぼろきれのように振り回されていた。
  俺は一瞬どうしたらいいかためらって、というのは噛み付いている方の犬だって誰かに大事に飼われている存在ではあるからで、それでも噛み付いている方の犬を思い切って蹴り飛ばした。犬は人が苦悶するときのような奇態な声を上げて相手を放した。解放された方の犬はうずくまってぶるぶる震えていた。その震えている動きが、体は小さいのに、やけに大きく感じられた。
  俺はサッカーをしていた友達と手分けして、噛まれた犬と俺が蹴った犬をそれぞれ別の病院に連れて行くことにした。俺は自分が蹴った犬を腕に抱えて、その犬はよく見ると犬というより丸はだかの内臓に歯を並べたような正体のわからない生き物で、すぐに俺の手に噛みつこうとするので連れて行くのに非常に苦労した。
  病院までの道は車がおそろしい勢いで行き来していた。まるで道路に空隙ができるのを憎悪しているかのように、ひっきりなしに車が行き交って、もうもうとほこりが上がっていた。
  携帯電話が鳴ったので出ると、相手はもう一匹の犬を連れて行った友達で、医者に見せたところ大事はないということだった。安心したそのとき、俺は腕の中の犬に噛み付かれてうっかり相手を放してしまった。犬はだっと道路に駆け出していった。犬はそのままやってきた車にはね飛ばされ、黒ずんだ溜まりを路上にひろげてまったく動かなかった。

悪夢について

  何をしていたのかわからないが職場にいたら、隣で役員と話をしていた会計課の課長が突然、「はい!  はい!  少々お待ちください!」と叫ぶと、命令された、というより社会人としての義務感、といったような切迫さをあふれさせながらこちらに飛んできて、俺の頭を何か重いもので思いっきりぶっ叩いた。床に倒れながら、自分が何か重大なミスを犯したことを悟った。絨毯の柔らかなざらざらした感じの上に倒れながら、口の中が妙に気持ち悪いと思ったら、半端な量のゲロがあふれてきた。
  せめて盛大に吐ければよかったのに、と思う。これで少しは周りも同情してくれるだろうか、と考えたとき、そう思っている自分に気がついて、たまらなく悲しくなった。

   気がついたら社内の飲み会の席にいた。先ほどの失態の記憶は生々しく頭に残っている。
  隣には同じ課のいつも物静かで優しい先輩が座っていて、その表情がいつもとどこか違うので、この違和感の正体はなんだろうな、と思っていたら、その人が唐突に「君は私がいつも何を考えてるかわかるかな?」とたずねてきた。
  実は常日頃からちょっと真意をつかみかねるところがある人なので、なんだか安心したような気がして、「正直よくわからないこともあります」と照れ笑いしながら答えたところ、その人は「私も君が何を考えてるかまったくわからないんだよ!」と言って、狂ったように笑い始めた。そのとき、先ほどからあった違和感の正体は、普段あまり笑わないこの人が今日だけ笑みを浮かべていたせいだと気づいた。

  結局会社を辞めることになって、世話になった先輩二人とのんびりとした飲み会を開いた。
  「ちょうどいいから、何かこれまで言えなかったことがあったら教えてよ」
  そう言われたので、「言えなかったことっていうか…あのとき俺はなんで殴られたんですかね?」と尋ねたところ、二人は同時に無表情になって、片方が「それは君がこれから考えることだよ」と言った。それから二人一緒ににやにや笑い始めた。
  俺は少し考えてみたが、やはり答えはわからなかった。二人はいつまでもにやにや笑っていて、気がつくと俺も一緒になって笑っていた。