『おしえて! ギャル子ちゃん』の感想、もしくは彼女たちの15年間について

 高1のある日、教室から出た俺が下の階に降りようと階段に向かうと、上り階段の方に誰かが一人が腰かけて、携帯電話で誰かと話をしていた。
 それは学年に何人かいるギャルのうちの一人だった。髪の毛を思いっきり茶髪にして、メイクして、うちの高校は私服だったのだがファッションで学生の制服を着てくるような女の子たちの一人。
 俺が盗み見する向こうで、ギャルは電話をしながら泣いていた。
 漠然と、恋のことかな、と思ったのを覚えている。
 皮相な想像だけども、彼女より少し年上の、優しいけどいろんな意味でスマートな男の人を、俺はその電話の向こうに思い描いた。
 
 俺以外のみんなにもみんなの人生があり、俺の知らないところでそれを展開している。俺は、そんな当たり前のことにそのときようやく気づいたような気がする。
 
 それは、俺がいかに他の人のことを表面的にしか見ていなかったかを示す体験だった。俺には、俺以外の人間が俺とおんなじように十何年も日々を生きてきた(全力でか惰性でかは別として)ということがよくわかっていなかったので、そいつを形づくっているものとか、見えないところにある強さとか優しさとか怖さとか、あるいは水面下の悩みとか、そういうものを見てとる能力がまったく培われていなくって、他者とはなんとなく良い奴、なんとなくやな奴、良い奴だけど今日は機嫌が悪い奴、やな奴で今日は機嫌が良いようなのでなおさらやな奴、という存在でしかなかったのだった(ちなみにこれはいまでもそうで、なので俺は勝手に他人に期待をして後で裏切られたと思って落ち込んだり、勝手に人を悪人だと思って後で勘違いだったと知り自己嫌悪で落ち込んだりしているんだけど、これは脱線なのでこのへんでよす)。
 
 ともかくギャル。このギャルの一件で、俺は俺以外の人たちみんなが俺の知らないところでちゃんと生きていて、彼女ら彼らで自分の人生に起きる色々に奮闘していて、俺が見ている彼女たちの姿は、彼女らが体験してきた無数の出来事がつくった人格のいち側面に過ぎないんだ、ということを知った…ような気がしたんだった。
 
 そんな俺が相当なボンクラなのはまあ認めるとして、でも高校生ってだいたいそんな年頃なんじゃねえ、とも思う。自分以外の同年代がちゃんと生きてきた何かを実感させられる瞬間瞬間。それが「こいつスゲーな」と思わせたり。「俺ダメダメじゃん」と思わせたり。そんなんもあって、人と仲良くなる、あるいは嫌うという行為が、一段重さを増す時代…なんじゃねえかな、と思う。
 
 という知ったような口をききつつ、2巻も出たところなので(2015年6月下旬現在)、『おしえて!ギャル子ちゃん』の感想と紹介。
 
 ギャル子はギャルだ。パツキン。見た目、色んなものでじゃらじゃらしている。可愛い。遊んでそうで頭悪そう。でも実は(っていうのも含めてお約束なのかもしんないけど)、純情で、優しくて、料理上手で、色んなことを真面目に考えている。
 
 ギャル子の友だちはオタ子。オタク。眼鏡でちっちゃくてそばかす。本が好き。漫画も好き。教室の隅にいる。でもギャル子とは仲良し。
 
 ギャル子の友だちもうひとり、お嬢。黒髪ロング。なんか色々得意で勉強もできるし運動もできる。天然。天然だけど自分の中心が自分じゃなくて友だちにあるのは、きっと優しいんだろう。
 
 今回は、ギャル子のかわいさを横においてみて、オタ子とギャル子の関係、あとお嬢のキャラいいよね、ってとこからこの漫画を推薦したい。
 
 オタ子とギャル子は属性が違うけど、友だちだ。一応映画とかアニメとか共通の趣味があるけど、それだけが理由でもないんだろう。また、属性が違うためにお互い色々な発見があって盛り上がるだろうけど、それは漫画のネタ的には面白さを提供してくれるが、仲良くしてる理由としてはやはり違う気がする。
 たぶんそこには、自分だけが嗅ぎとれる相手のよさ、特別さ…みたいなものがあったはずだ。それは現実の俺たちの友だち関係でも同じで、だから俺たちの友だちは、話上手で誰にでも面白がられてて、性格もいい優しい奴ばっかじゃないけど、俺ら自身にとってそいつらは絶対に特別なのだ。
 そして、そいつを形づくっている教養とか人物史とかそういうのが、俺ら自身十何年も生きてきたなりに時々察せられるので、なおさら好きになったりする(実際にはそれが逆に幻滅を誘うこともあるだろうけど)。
 スクールカーストという概念が一応あるこの漫画の世界観で、オタ子は最初ギャル子が嫌いで、でも仲良くなった。それは二人がいわゆる良い奴で、そしてそれ以上に、誰も踏み入れないところでお互いがお互いだけの基準で良い奴だったからだろう。二人の関係にはなんかそういう俺らの場合と同じような現実感があるので、それがいいなあと思う。
 
 もうひとりのギャル子の友だち、お嬢の良さを書くと、なんかこれもフィクションとしては妙に生っぽいから、ということになる。
 お嬢は天然だ。でも他の作品で天然枠を張ってる人たちに比べると相当泥くさい。天然なので色々自由なんだけど、本人なりに友だちの輪に入ろうとして頑張るし、下ネタには赤面したりする。
 それは二次キャラとしては作り込みが足んないってことなのかなー…とも思うけど、俺はこれでいい気がする。天然たれと命じられた天然ではなく、本人なりに頑張ってるのに結果としてよくわかんない行動に出力されるので周りからどうしても認定されてしまう天然(なんかめんどくさいな)。そういうお嬢が許される世界観が好きだ。
 
 この漫画を手に取るべき理由は、三つあると思う。
 
 ①ギャル子含む可愛いJKのイラストとか彼女らがわきゃわきゃする物語が見たい
 ②JKの生態が知りたい
 ③誰かと誰かが友だちになる物語が見たい
 
 色んな作品で可愛いキャラがシノギを削るこのご時世、③なんて正直オマケみたいなもんだろう。でも、『おしえて! ギャル子ちゃん』のすごく大事なファクターだ。
 ①と②、それだけで手にとっていいと思う。でも、色んな本の中からどれか一つを選ぶとき、「そういやこの本にはこんな良さが…」つってこの記事が少しでも思い出されてこの漫画が手に取られるなら、俺はとても嬉しいと思うのだった(次回は第2巻の話)。