インターネットを利用した選挙工作に関する本をいくつか読んでいる。
その中で興味深かったものに、『ディープフェイク』という書籍で紹介された、Internet Reseach Agency(IRA)というロシア企業による「荒らし」作戦の一つがある。
ロシア政府との関与が疑われるIRAは、2016年のドナルド・トランプとヒラリー・クリントンとの大統領選で暗躍したとされている。
その工作活動の中には、実在しない組織、架空の運動をネット上にでっち上げ、ヒラリーに対する誹謗中傷を量産したと指摘されるものも含まれる。そして、こうした「この世にない集団」の中には、リベラル派や黒人を騙るものもあったという。
アンチヒラリー≒親トランプと言えば、白人の保守主義が中心、というイメージだ。しかし、IRAはそうした層と親和性の高いメッセージを発信するだけではなく、同時に、もう一人の大統領候補であり強硬な左派のバーニー・サンダースへの支持を表明したり、黒人の立場から意見を示すことも行っていたらしい。
もちろん、あえてのことだと推測されている。
サンダースを推しているのは、同じ民主党のヒラリーと競合させて勢いをそぐため。黒人を騙ったのも、「ヒラリーの政策は黒人層を尊重していないのでは?」という疑義をアメリカ社会に広めるのが目的で、黒人からヒラリーへの共感を損なわせる目的があったという。
つまりIRAは、単純に親トランプの勢いを強めるだけでは不十分だと考えていたのだろう。
それだけでは、対立陣営側の結束をかえって強めてしまうかもしれない。トランプとヒラリーの敵対を煽るだけではなく、民主党内に、ひいてはアメリカ全体に不和を持ち込み、「話をややこしくすること」が重要だったのだと思う。
これが選挙工作であり、その実態はロシアの法人によるハリボテであることなんて、表面上は誰にもわからないのが困った話だ。
おそらくは、サンダースは評価するがヒラリーは推せない、というリベラル派も、ヒラリーの人種政策に疑問を持つ黒人層も、実際に存在したはずだからだ。そもそも、この社会にはそういう複雑さがはじめから内在していて、選挙のためにそれを統一しようというのが過剰に人為的というか、不自然なことなのかもしれない。
そうなのだ。世の中というのは基本的に(たぶん)複雑なのだ。
最近、『ここは今から倫理です』という漫画の感想を書いて、その中では「どんな悪人にもささやかな良心がある」という、ヒューマニズムというか、他人という存在への信念のようなものが登場した。
これも一種の複雑さだと思う。
他者の人格を想像するとき、特定の色一つで塗りつぶさず、いくらかのグラデーションを含ませる。
おそらく、自分の知性とか、それこそ良心を完全に信頼するのが難しいからこそ、反対に、どれだけ気に入らないクソ野郎が相手でも、そこに善の要素が存在する可能性を残しておく。
非常に高尚な話だが、おそらくその人間観はある程度正しい。その認識を実践できるかどうかは別問題だけど。
というアンバイで、おそらく社会もそこに暮らしている人間もそれなりに複雑で、それが自然なので、単純化するよりはその方が良いような気もする。
二項対立しか認めないとか、俺たち善人とあいつら悪人しかこの世にはいないとか。そういう考え方よりは良い。たぶん。
ただ、この複雑さを悪用しようという発想も当然あるわけで、歴史の中で人道を踏みにじった集団や個人に対して、「悪だと言われるけど、こういう善いこともしたからね。こういう技術を生み出したからね」と言われると、釈然としない。「うん?」と思う。
じゃあ、その「善いこともした集団」に人権を踏みにじられた人たちやその子孫のところに行って、「『こういう善いこともしたから別に問題ないですよね』ってその口で言ってこいよこの野郎、っていうか、そういう問題じゃねえってわかってて、話をややこしくするためだけに言ってるだろ、おめえらはよ」と思うが、言わない。
俺も似たようなロジックで自分の思想や生活を擁護することもあるので、そういうことを言えるほど品行方正に生きていない。
この文章でずっと、この世界の複雑さを認識することに「たぶん」「たぶん」と繰り返してきたのは、正直、俺たちの知性と言うか脳ミソに、それを正確に理解する容量があるとは信じられないからで、機能的に可能だとも、仮に可能だったとして、それで幸せになれるとも思えない。
「世の中、複雑ですからね。皆さんが悪だと批判するものも、そうでない面もありますよ」というのは、事実でありながら、おためごかしのレトリックでもある。
おそらく多くの人間は、後者の意味だけで表面的に複雑さを利用しながら、実際は自分たちだけが善、あとは駆逐されていい悪、という単純な世界で幸福に生きているし、そこから抜け出る必要性を感じていない。
俺も色々言ってはいるが、たぶん、複雑さを受け入れる許容量を持たない。
一方で、本当にそれを持っている誰かがこの世界のどこかにいることは漠然と信じている。今はそういうことを考えている。