続き。
そういうわけで、ようやく、強さとか衝動とか使命ではなく、もちろん善でも悪でもなく、「空虚さ」というヒーローの本質に焦点を合わせた作品が登場した。
『劇光仮面』、仮面の内側をさらけ出し、マスクとその中の「無」をひっくり返す、空洞ど真ん中だ。
主人公は29歳のアルバイト、実相寺 二矢(じっそうじ おとや)。自らの存在を空虚と表す彼が、定職を持たないという点でも空しいと言うのは短絡的すぎるかもしれないが、彼の周囲にいる人々と比較すると、やはりそこにも空しさ込められていると感じてしまう。
彼の友人たちは、一流企業のサラリーマン、警察官、国立大学の研究者(ポストドクターという点では不安定だけど)…といった具合に、立派な肩書きを持っている。
彼女らと比べれば、実相寺はやはり、何者でもない。
しかも29歳だ。ヒーローの栄冠と年齢は厳密には関係ないが、周りと比べて何者でもない29歳、という存在はあまりに無防備で生々しい。
しかし、当の実相寺自身は、自分を空虚と表現することに一切のためらいなく、そして断言する。この空洞こそが強さだ、と。
余談だが、「二」と書いて「おと」と読ませるのは何が由来なんだろう。昭和の時代、実際に二矢で「おとや」と読ませる右翼の活動家で殺人を起こした人物がいたが、他にも、「甲乙丙」の順番で二番目が「乙」というのもあるかもしれない。
『劇光仮面』を読んで、こう感じた。
面白い漫画はたくさんある。
しかし、読んでいて「何かすごいことが起きている」と感じさせる作品はほとんどない。
『劇光仮面』には、この「ことの起こり」を感じさせるものがある。これは、二十代の前半に読んだ『進撃の巨人』以来だ。あと『へうげもの』か。
十代の終わりや二十代のはじめに読んだ作品とがっつりシンクロするっていうのは、まあわかる。
ただね、俺は三十半ばを過ぎて、まだ、漫画でそういう体験をするとは思わなかったよ。『チェンソーマン』とか『夢中さ、きみに。』もかなりのものだったが、ここまでじゃなかった。
俺は漫画大好きだし、読んでて興奮することは多いし、なんなら人生が変わるほどの衝撃をいつも期待している。
でも、俺の感動がどうこうじゃなく、「何かが起きてるのを目撃し、そこに立ち会っている」と再び感じるのは、うすうす諦めていた。それぐらいには、俺はもう基本的に、「そこまで漫画じゃなくなっていた」。『劇光仮面』にはそれを上書きするヤバさがある。
『劇光仮面』の主人公である実相寺たちは学生時代、特撮美術(ウルトラマンや、仮面ライダーの世界)の愛好部を結成していた。そのうちの一人が最近亡くなり、実相寺たちが葬儀に参列するところから物語は始まる。
その後、実相寺は故人の遺言に従い、仲間たちの助けを借りて特撮のスーツを「実装」、スーツに施された器具と日本刀を使い、故人が愛用していた怪人の着ぐるみを両断する。
この時点で、かなり謎が多い。
友人はどうして死んだのか。
いくら特撮とはいえ、実相寺のスーツにはなぜ、ここまで強力なギミックが仕込まれているのか…(圧縮した空気で真剣を高速で打ち出すことができ、『シグルイ』の流れ星に似ている)。
物語はその後、実相寺たちの過去やもう一人の旧友との再会へと進み、そこで1巻が終わる。
謎はまだある。
母校に残された落書きで「人斬り」と罵倒される実相寺は、過去にどんな事件を起こしたのか。
また、実相寺が自分の部屋にそのヌード絵を飾っている、彼の母親と彼はどういう関係性なのか。
数多くの点が不明だが、実相寺たちの過去の思い出が少しずつ明かされていくのと、彼らの会話で語られる特撮の美学で物語はまとまっている。
これから何が起きるのかは、まったくわからない。現在のダウナーな雰囲気のままに青春の清算を描くのか、それともまだ波乱があるのだろうか。
シグルイの「流れ星」が使える特撮スーツ(「劇光服」)の攻撃力は明らかに異常だし、何が目的なのか、地道に体を鍛え続けてきたらしい実相寺の真意もよくわからない。
警察になった友人の一人が見ていた家族失踪事件の報道も相当キナ臭く、物語がこれから暴力的な方向に展開する気配はある…けど、まだあまりに、不明瞭だ。
とにかく、「何かは起きた」。空虚が中心にある何かだ。
それは、他の1万個の物語で主人公が崇高な使命を受け継ごうと、他の100万個の物語で主人公がこの世界に怒りを抱こうと、描かれることのない「何か」だ。そして、本当のヒーローの物語だ。俺はそれがどうなるのか見たいと思ってる。