SONICMANIA(ソニックマニア)2022の参加をあきらめたことについて

ソニックマニアずっと好き

 ソニックマニアというのはサマーソニック前日の夜から日付をまたいで夜明けまで開催されている、文字通り前夜祭的なイベントだ。

 会場は幕張メッセの中に屋内ステージを組む。コンクリートを打たれた、広くて暗い、無機的なスペースにレーザーや照明をガンガンに当てることで独特の浮遊感が生まれる。

 俺はこのイベントが好きで、2013年にThe Stone Rosesが来日して以来、ほぼ毎回参加している(ローゼスは2013年に観られて本当によかった。結局、あのあと再解散? してしまったし)。

 Marilyn MansonThe Prodigyも、Perfumeサカナクション電気グルーヴも体験したし、何よりKasabian! 人生で最高に楽しい思い出の一つだった。

 観客の群れでもみくちゃになりながらロックアンセムでばきばきのぐしゃぐしゃに踊るのが楽しいのはもちろん、疲れたらステージの近辺を離れて、会場後方にあるスペースでコンクリの上に座って、ぼんやり雰囲気を楽しむのもいい。

 特に、イベント終盤の明け方近くになると参加者もちらほら力尽きてきて、後方のこの空きスペースに、疲労感と満足感でまったりしながら、「まだ踊ってるやつらすげ~な~」って見ながら、俺ももう一回混ざりに行こうかな、という不思議な空間が形成される。俺はこれが好き。

 ソニックマニア、大好きだ。いつかまた行きたい。

 でも、今年は行かなかった。

誰のせいでもないが、幻想は失われた

www.summersonic.com

 ソニックマニアサマーソニックともに、今年はオンデマンドでも配信されている。感染症の拡大とは別に、仕事などで出られない人は必ずいるわけで、素晴らしい取り組みだと思う。今後もぜひ推進してほしい。

 

 ことわっておくと、これは誰を批判するつもりの記事でもない。アーティストも悪くないし、運営も悪くないし、参加した人も悪くない。

 あえて悪いものがあるとすれば感染症であり、それにまつわる俺の心境の変化について書いている。それは、「こんなに感染者が多いのに、音楽フェスなんてやってる場合か?」という疑問や怒りではなく、ある種の幻滅…と言っていいのか、なんというか、冷めてしまった、ということだ。

 あくまで、俺個人の話であって、他の人たちも同様に幻滅するべき、とはまったく思っていない。ただ、逆に言えば、俺にとってライブに参加するときに大切に感じていた夢は失われたので、まあ、それを悼(いた)む目的で書いている。

 

 ソニックマニア2022の開催が決まり、参加アーティストが公表されたとき、最初、俺は行くつもりだった。

 Kasabianという、フロントマンのトム・ミーガンがパートナーへのドメスティック・バイオレンスを犯したため脱退したUKロックの雄が、サージ一人の体制でどれだけすごいものを見せてくれるか観たかったし、電気グルーヴサカナクションも好きだし、Primal Screamも初体験したかった(サカナクションはその後、欠場)。

 ただ、その後感染者がどんどん増えてきて(下図)、「ありゃりゃ、これはちょっとまずいな」と思った。

 

(出典:日本国内の感染者数(NHKまとめ))

 

 ソニックマニアは屋内のイベントであり、もちろん換気は対策するだろうけど、ステージを観ているときのぐっちゃぐちゃの密度の中で、隣同士の飛沫を防げるものではないだろう。

 通常の呼吸だけでなく、あの空間にいれば必ず声を出す。マスクだって、熱気の中で体を動かしていたら、とてもしていられないはずだ。

 サマーソニックの運営は、ガイドラインでマスクの着用と声出しの禁止を呼びかけている。その中で誰かがマスクを外し、声を出すことを、黙認されていると取るべきではないし、ガイドラインに従えという人がいたら、それは空気が読めないのではなく、正論なだけだ。

 でも、あの熱狂の空間でそんなことしてられるか?

 できない参加者も大勢いるだろう。それが自然だ。

 だから難しいのだ。だから「なあなあ」になる。それは避けられないことで、俺はそれで守れない人間や運営を責めても仕方がないと思う。

 もしも誰かが「マスクしようや。決まりなんだからよ」と言ったら、それが100%正しいし、本来なら、参加者全員がそうするべきなのだ。

 一方で、できないなら来るな、というか、できないやつが一定数いるんだからそもそも開くな、というのも難しいから、この話は面倒くさくて大変なのだ。それは、一部の人たちから生きる理由や飯を食う手段そのものを断ち切ることだから。

 

 ここからが本題になる(それほど合理的な話でもないので、何を言ってんだ、という人もいるだろう)。

 感染者が増大して、行くかどうか考えたときに、俺はふとこう思った。

 「アーティストとライブの参加者は、どちらが感染するリスクが高いのだろうか?」

 空気感染の危険性があるのは、基本的に人間同士の距離が2m、長くて10mという情報が多い。

 アーティストのいるステージには広さがあるし、観客とも一定の距離が保たれている。おそらく、演者同士の陽性チェックもしているだろう。そこまで危険はなさそうだ。

 一方、観ている側はそうではない。ケタ違いに密度が高いし、横にいる相手が陰性か陽性かもお互いにわからない。つまり、「具体的に何倍」とは言えないが、ステージよりも観客の方が圧倒的に感染リスクが高い。

 

 それはいいことなのか?

 ライブという空間において、タレントと客の関係はそれでも壊れないものなのか?

 

 これを読んでも、ピンと来ないという人がおそらく多いと思う。俺も自分で、書いていて驚いている。

 つまり、感染のリスクについて考えた結果、いまの状況でのライブは、アーティストと観客の関係性を(俺個人としては)維持できない、と思ったのだ。

 スター ⇒ star(星)、アイドル ⇒ idle(偶像)という言葉に表れているとおり、あの人たちは本来、規格外の存在だ。平等の立場ではないと思うし、金を払って拝ませてもらっている(別に、対価を払ってるんだから対等だ、という意見があってもいいけど)。

 それでも、俺はライブの空間というのはアーティスト単独では生み出せず、観客との融合の中でつくられるものだと思う。その場で一緒に形成するものだと思っている。

 そのときに、いまの社会に強大な影響をふるっている病気に感染する危険性を観客がより多く負って観ている、それは、ライブとしてあるべき姿なのか?

 実際のところ、フロアでライブを見ることがどの程度のリスクなのか、数字で計測できない(誰にもわからない)。

 ほぼ確実に言えるのは、日常生活よりも高いということで、よく言えば「それでも、感染らない可能性が高い」し、悪く言えば「どの程度安心か危険かさえ不明」ということだ。

 その上に、アーティストと一緒に熱狂の空気は築けるのか?

 

 築けるだろう。俺は無理、というだけの話なのだ。

 繰り返すが、アーティストと観客は平等ではないと思っている。

 でも、ライブという空間で、どんなスターもアイドルも、こちらに託すしかないものがある、とも思っている。その点で、俺たちは同等なんだ、だからあの一体感なんだ。そう信じていた。

 観客がはるかに高いリスクを負ってつくられるいまのかたちを見て、感染症がその幻想を壊してしまった、という話だ。

 

それでも、幻想は生き返るので

 アーティストも平等に感染のリスクを負うべき、ということではない(そんな無茶な)。あえて言えば、「開催しない方がいい」としか言えないかもしれないが、それではアーティストや運営会社は生活できなくなってしまう。

 今の時点の結論はない。だから、俺は誰も責めない。

 開催という選択を止めろ、と断言できないし、開催すれば人は来る。そして、来た人の一部はルールを守れない。しかたがない。馬鹿にしているわけでも皮肉でもなく、そういうものだと思う。

 ただ、「このかたちである限り、あれは俺の中では『ライブ』じゃねえ」という人間はいる。俺のことだ。

 こうである限り俺は永遠にライブに行けない。それは困る。

 

 これでいい、とアーティストも運営も考えてはいない、と信じている。

 それが、「陰性証明必須、マスク絶対厳守」というベタなルールの追加なのか、「感染数がもっと増えたら次回は中止」なのか、「オンライン配信の体制強化」なのかはわからない。

 でも、俺の中のスターやアイドルを求める幻想は、必ず、都合よく生き返ろうとするだろう。だって、やっぱり観たいもん。スペシャルで、世界で一番カッコよかったりきれいなものを。

 またいつか、行ける日が来るのを祈っている(感染症が終息するのが一番いい)。