友人と一緒にいて、そいつが「俺の叔父さんがさあ、」と親戚の話を始める。
『悪魔を憐れむ歌』1巻の感想と、創作におけるボーイズラブ要素に関して思うことについて
はじめに
作品の内容と直接関係のない、断りの言葉からはじめさせてもらいます。
この文章は男女の性別について問題のある考えを含んでいたり、それによって誰かを傷つける可能性があります。
また、本来明確に区別されるべきそれぞれ別々の感情を、混同している可能性もあります。
書いていてそう思うところがあり、自分の中でもともと性差や同性愛に関する意識が高くないという自覚もあって、そう感じながら述べるものになります。
じゃあ書くな、というようなものですし、最初に言えば許されるものでもないでしょうが、誰か「お前の考え方は間違っている」と強く思われる方もいるかもしれないので、最初に謝っておきます。すみません。
『悪魔を憐れむ歌』の感想について
梶本レイカ作、犯罪・警察漫画。
冒頭、雷雨の中で警察によってひとつの死体が発見される。全身の関節を逆向きに折り曲げられたたまれたその遺体は、すでに起きていた別の殺人事件の被害者と酷似しており、事態は「箱折犯」と呼ばれる殺人者による連続殺人の様相を帯びる。
しかし、その後犯人が捕まることはなく、8年の歳月が流れる。事件は風化しかけ、「箱折犯」は実在するかもあやしい存在として扱われていた。
署内でただ一人、いまだに解決に向け執念を燃やす刑事・阿久津は、あるとき同僚から事件について手がかりを得られるかもしれないと一人の医者を紹介される。
訪ねていった医者・四鐘は阿久津を丁重に迎え、阿久津が注目していた遺体の損傷について同様の見解を述べる。このことをきっかけに阿久津は四鐘を何度か訪問し、距離を縮めていくことになる。実はこの四鐘こそが、自身の追う「箱折犯」であるとは知るよしもなく。
本来なら警察から逃げる立場であるはずの四鐘が、なぜか阿久津に執心し、むしろ積極的に接触しようとする。追う者と追われる者が、片方が気づかないまま異常に近い距離感で接するのでものすごい緊張感があり、これがいつ決壊するのか、怖いような期待するようなである。
四鐘の殺人の動機も不明だったり、道警上層部がなんらかの理由によってこの事件を隠蔽したがっていたりと、他にもまだ謎がある。特に、主人公・阿久津が作品紹介によって「鬼」と表現されていること、彼が捜査の過程で同僚をひとり廃人に追い込んでいることが示唆されていることなど、当人の明るいキャラクターともあいまって、秘められている部分の多い作品である。
今後、そして最後に明らかになるものはなんなのか、期待して待ちたいと思う。
ここで特に触れておきたいのは、作品の中に流れる、人が同性だけに向ける特別な感情の気配についてである。
描いている方がボーイズラブの作家さんなので色眼鏡で見ている可能性もあり、作り手としては実はそういうつもりでないのかもしれないが、特に四鐘と阿久津が接する場面、四鐘が阿久津を診察しているところなど、そこには性的な関心も含めて、いくつか特別な感情が混じっているように見える。
俺は異性愛者なのでこれが理解できないかというと、実はそうではない。むしろ、この関係性にかなり惹かれるものを感じる。
これが性的な興味だけだったら絶対にそうはならなかっただろう。でも、ここには他にも、人間が同性にしか期待しない特別な気持ちがあるようで、そこにひきつけられるのだ。
この流れで例として扱うと怒られるかもしれない。でもわかりやすいので引き合いに出す。
俺がイメージするのは『ピンポン』におけるペコとドラゴン、ペコとスマイルの関係、もしくは、同じ松本大洋の『竹光侍』における瀬能と木久地の関係だ。あと、AMAZONのレビューで触れてる人がいたけど、同じ警察ものってことで『レディ・ジョーカー』の合田と半田の関係とかも。
もちろん、ここには恋愛の要素はない。ペコとドラゴンだったらどっちが受けなのかなあ、とかは別に考えない。
でも、例えばペコが卓球がバカ強い女子だったとして、男子であるドラゴンがペコとの勝負でああいう心境にたどりつけたか、もしくはスマイルがひそかにすさまじい才能を秘めた女子だったとして、スマイルに追い抜かれた男子のペコが頂点で待つスマイルを追ったかというと、これは成立しないか、まったく別の物語になったと思う(悪鬼のような女剣客・木久地はちょっと見たいけど)。『レディ・ジョーカー』の合田と半田の交流、激突も、同性同士でないとたぶん成立しないだろう。
男は男にしか救ってもらえないところがあるというか、もしくは単に救われないと思いこんでるだけなんだけど、でも結局この思い込みが強固すぎて実際男にしか救ってもらえない、男同士を通じてしか腑に落ちない部分があると思う。
自分と同じ性別である誰か、ということが重要だ。バカらしいかもしれないけど、同じでないと納得できないのだ。
ここに、それが性の対象であるかどうかが加わると、ときとして作品自体がまったく別のジャンルに分類されてしまう。でも、相手を恋愛対象として見る作品であるかどうかに関わらず、実は共通している部分がある。
そこには、同性ゆえの憧れや悔しさ、その果ての納得や成長など、同性だけに寄せてしまう激しい期待が存在する。そして、こうした感情の存在は異性愛者でも理解し、強く実感することができる。
『悪魔を憐れむ歌』の作中で、阿久津が「自分は箱折犯の存在を必ず証明してみせる」と当の犯人自身である四鐘の前で宣言したときの四鐘の表情が、とても印象に残る。犯人として追い詰められる怖れでもなく、といって爆発するような歓喜でもなく、なにかまぶしくて美しいものを見たようなその顔。
四鐘にとって阿久津がどういう存在なのかまだはっきりとわからなくて、この表情の奥にあるのは感動なのか、期待なのか…。でも、たぶんこの表情は阿久津が言ったからこそなのだと思うし、たぶん阿久津が女性ではダメだったんじゃないかな? と思う。
仮にここに恋愛感情が混じっていたとしても、それでいっぺんに「理解不能」にはならない。『ピンポン』や『レディ・ジョーカー』とはもちろん違うけれど、なんというか、領域を接するものであり、まったく異質なものとしてとらえる方がむしろ正確ではない、という感じで、この作品を見て、楽しんでいる。
この漫画は暴力描写が多い。また肌の質感などキャラクターの画が生っぽいため、合わない人もいるだろうと思う。なによりボーイズラブ要素を忌避する人もいるでしょうし。
でも、同性間のギリギリするような緊張感と、それゆえのカタルシスの予感はむしろ他の「非・ボーイズラブ」作品と共通する部分でもあって、他の生き方ができなかった不器用な者同士が互いに代わりがきかない役目を与えあった果てに激突するのを題材とするのが好きな人は、読まないと、きっともったいない作品だと思います。
最後に、もちろん同性間のみで生まれる感情について男だけに制限する必要はなくて、女性同士でも同様のこと、あるかもしれない、ということを申し添えます。『鉄風』とかそうなんだろうか? 未読なのでわからないですが。おわり。
Go レイリ Go! 『レイリ』4巻の感想について
はじめに
豚カツが好きで、カレーも言わずもがな好きで、果たしてこの二つを一緒に食ったらどれだけ美味くなるのかしらん、なってしまうのかしらん、と思ってカツカレーを頼んで食うと意外とそうでもない。
せいぜいが、まあカレーとカツ一緒に食ったらそれはそうなるよな、という域を出ていないというか、なんならカレーを純粋にルーと米の配分に気をつかいつつ食ったり、カツをソースとカラシつけて合い間にキャベツはさんで食ったりした方が美味いよな、ということになったりする。
いや、美味いけどね。カツカレー。
『レイリ』4巻の感想
というわけで、『レイリ』、戦国の世で一人の少女が家族を戦禍で失い、自らも敵を殺して殺して最後に死ぬべく戦う漫画の第4巻である。
原作の岩明均は『寄生獣』はもちろんのこと、『ヒストリエ』で新刊が出るたび「ああ、月日が経つのは早いなあ」と毎回実感させられながら買わざるを得ない作家であり、作画の室井大資は知名度こそ岩明均には劣るだろうけども、『ブラステッド』から入って『海岸列車』も『秋津』も素晴らしい、最近では自身が原作となった『バイオレンスアクション』も最高な、好きかどうかで言ったら俺の場合室井さんの方が好きなくらいの漫画家で、じゃあその二人が組んで漫画描いたらどうなってしまうの、俺はどうなってしまうの、というのが『レイリ』だった。だったんだけれども。
正直に言う。1巻、2巻と「あれ?」というのがあった。
こんなこと言うのは分をわきまえていないかもしれなくて、これはもう自分の子供の肉食わされたり殺されて死体処理の槽の中に落とされて石灰ぶっ込まれたりしないと許してもらえないかもしれないけど、正直そこまで面白くなかった。単につまらないというより、ハードルが上がりすぎてて、それを超えるには至らなかった。
まず『レイリ』は展開が遅い。
戦地に赴いて派手に死にたいはずのレイリなのになかなか肝心の戦闘が始まらない。また、家族を殺されて虚無的になった戦闘少女というキャラについて、これを短篇ですぱっとまとめるわけではなく変に尺をたっぷりとって描き始めると、まあ戦国時代だからそういうヤツもそこそこいるんじゃないの、という凡庸さが目立ってくるというか、レイリとは果たして注目する価値があるキャラなんだかそうでもないんだかよくわからないことになってしまう。
あと、これは俺が日本史音痴だからというのもあるんだけど、レイリが所属する陣営である武田家について、信玄亡き後の戦国時代におけるポジションがどうもよくわからず、仮にレイリというキャラを抜きにして、歴史的に見た大きな物語としても、作中で何が起きているのかもよくわからない。
レイリ個人に注目しても、あるいは史実に焦点を当てても、結局なにが起きてるのかよくわからないまま2巻まで来てしまった。3巻でようやく血戦がはじまって、少し面白くなったけども。
で、4巻である。端的に言う。4巻、面白かった。
徳川家康とその背後にいる織田信長ににらまれ、レイリの命の恩人である岡部丹波守が窮地にいる状況。レイリがその影武者を務め、自らの主君ともするところの武田信勝は岡部守を救わないと決断するが、レイリはこの考えに反し、独断、丹波守が籠城する高天神に向かう。
信勝に顔立ちが似ていて、剣の腕が立つ。それだけが、レイリが信勝の影武者を務められる理由であって、それはそのまま、俺のような読者がレイリの物語に付き合う理由でもあった。そして、その理由はこう言ってはなんだがそれほど心に訴えてくるものではなかった。
しかし。到着した高天神にて、並み居る武将を前に信勝顔負けの戦略論をぶったシーン、これがとてもよかった。死にたがりのレイリの性格と、彼女が示した能力の高さと、物語的にようやく天秤が釣り合って、自分では死にたいのに周りを力づけることもできるようになって、この娘はこの後どうなるんだろう、と久しぶりに物語のこの先が読みたくなった(偉そうなこと書いていすぎる。スミマセン、スミマセン)。
さらによかったのは、レイリが独断で高天神に向かおうとするところを、信勝の側近でありレイリ自らひそかに思いを寄せる? 相手でもある土屋惣三に止められ対峙する場面で、勝手に行ったら死罪、と宣告する土屋に対し、だったら斬れ、とレイリは言う。
二人は一度剣を交わしたことがあって、土屋の方が強いのだが、いまのレイリにはそういう実力とはまた別の凄味がある。もちろんお互い憎しみあってはいないけど、それぞれが戦国時代の一介の兵士として、自らの恩人や主君に対し軽んじることのできない忠義を抱えている。向き合いながら徐々に緊張感を増す二人の表情を、ひとコマひとコマ切って画面に落としている。
以前だったら、ただでさえ展開が遅いのにここで時間かけないで…と思っていたはずのシーンで、それが評価が逆転してしまったのは、俺の中で『レイリ』の見方自体が大きく転回させられたからだと思う。この二人が組んだのに、あんまりだな? という以前の評価が完全にひっくり返った。ちなみに、ここはレイリの表情の画もすごく良かった…。
その後レイリは高天神に到着、さらに、どん詰まりになっていた戦局に突破口を開いてみせ、さらなる活躍を見せる予感とともに4巻は終わっている。さあここから、あらためて死にたがりの部分をどう取り込んでくるかが見たいと思う。4巻にしてついに、いいぞ、『レイリ』、と思う。以上。
よいこのみんな、映画館で綾野剛のガンアクションと半ケツを観よう! 実写版映画『亜人』の感想について
はじめに
100点。
まあ、どこを採点の基準に据えるか、観に行った動機は何か、というのももちろん関係あると思う。
だから言いなおす。「ほーん、『亜人』実写化すんのか。綾野剛が肉体改造して佐藤役で、『るろ剣』で評判良かった佐藤健が永井圭でドンパチか。じゃあいっちょ冷やかしてくるか」、が理由の人、その人なら100点。絶対満足します。
あらすじ
何やっても死なない。
登場人物紹介
・綾野剛 as 佐藤
何やっても死なない亜人の一人で本作のボスキャラ。この映画に100点をあげざるを得なくなった、今作最大の立役者。
以前から綾野剛についてはスピードワゴンの小沢が俳優をやるときの芸名が綾野剛と言ってはばからなかった私ですが、この映画で確信したので白状する。
俺はあなたのファンです。
自動小銃、アーミーナイフを武器に多人数相手に大立ち回り。撃って、走って、ぶった切って、また撃つ(ときどき自分自身も。なぜかというと、亜人にとっては死亡≒ベホマだから)。
この映画では戦闘シーンでアッパーな電子音楽がかかるんですが、その曲がガンガンかかってるなかでドンパチやって無双するその存在感はもう本来の主人公を食いかけてるというか、元々原作からして「敵」ではなくあくまで別の勢力という描き方をされている役どころだと思いますが、まさにこの実写版でももう一人の主人公と言ってよいと思います。
中盤で破れた服から鍛え上げられた二の腕がのぞく場面があって、すげー、と思ってたら、さらにすごい、上半身マッパで登場するシーンが後半に用意されていた。というか若干ケツも出ていた。
細マッチョよりいくらか厚めに盛った、欲張り筋肉。隣で観ていた女性が息を呑んでいた。こういうのが好きな女性と男性の方はこれだけでも観に行った方がよいと思います。
原作キャラクターのイメージどおり、かというと個人的にはそうでもなく、ちょっと若すぎる気もするし声が低すぎる気もするし、漫画版ではただの戦闘狂の遊び人なのが、映画では亜人として普通の人間に復讐するみたいな動機もあるのかな? とわからない部分もあったけど、とにかく綾野剛、最高にハマっていました。素晴らしい。
ちなみに、今作のエンドロールにはライザップのロゴがクレジットされてました。あの肉体は結果にコミットした結果だったのでしょうか?
・佐藤健 as 永井圭
何やっても死なない亜人で本作の主人公。原作とは違い、成人男性として設定されていますが、ムキムキの綾野剛と正面からの肉弾バトルが続くので、この翻案は成功でしょう。
年齢以外にも、亜人だと判明するまでの過程がごっそり省略されていきなり人体実験されてたり、原作の友人である海斗にいたっては存在さえしなかったりと色々相違点がありますし、ただの研修医のはずがいつの間にか頭がキレて格闘もできるステゴロ軍師になったりしてますが、そんなのカンケーねー、本作の綾野剛とがっぷり四つで組めてそれが観ていて面白ければ、この永井圭もこのストーリーも、全然ありです。
上では綾野剛に存在感で食われかけてると書きましたが、完全に食われなかったのはこれがむしろすごくて、まあ本当にスタントなしでこれやったんですか、というアクションを負けじと連発する(手すりの上走るやつとかすごかった)。
ちなみに彼も作品の最終盤で、「綾野さん、あんただけにケツを見せさせたりしませんよ!」と言わんばかりに半ケツを披露しているので、やっぱりそういうのが好きな女性と男性は行った方がいいと思いますよ。
・城田優 as 田中功次
俺は実は城田優のお芝居をちゃんと観たことがありませんでした。ただ、ここまで男前でガタイもよいと、かえって役者として何かの役にハマるのは難しいのではないか、などと大変失礼なことを勝手に思っていました。
結論から言うと、今作の田中役は非常によかったと思います。綾野剛の右腕として高い作戦遂行能力を持ちながら、どこか芯がぶれている(これは原作どおり)。しかし、完全無欠でなく適度にボロボロになっていく姿にものすごい色気がある(これはたぶん城田優本人の資質)。
大ボスに綾野剛、主人公に佐藤健をあてたのは配役として誰でも思いつくというか、まあ安全なところ行ってる感じがしますが、田中に城田優をキャスティングしたのは相当ファインプレイだと思いました。
玉山鉄二 as 戸崎優
老舗の名店が創業以来継ぎ足し続けた秘伝の無能のタレに骨の髄まで漬けられた無能の中の無能、映画版戸崎。
切った啖呵がことごとく裏切られ、張った策がことごとく綾野剛にブチ壊されていく様は圧巻であり、冷徹というより単に自分で直接手を汚せない見かけ倒しの人、という印象にしあがっています。途中、あまりにふがいないので政治家の先生方に説教される場面がありますが、期待されてる内容が映画版戸崎には荷が重いというか、原作では敵に翻弄されつつもスマートさが損なわれないキャラクターのに、映画、特に物語の前半は完全にポンコツです。
ただ、ストーリー後半で自分も直接戦闘に参加しだしてからはそれまでの汚点を挽回してかなりよかった。もっと初期から戦闘官僚として描かれていれば全然印象違ったのになあ。
演じる玉山鉄二、僕はファンなんですが、今作では可もなく不可もなく、です。原作ではもっと線が細いイメージなので。ちなみに病気の恋人についてはほんの少し焦点が当たったぐらいでした。
・川栄李奈 as 下村泉
原作どおりの髪形にして失敗したパターン。どうしても川栄ちゃんによるコスプレ感にとどまってしまったというか。
アクションはすごく頑張ってますが、かえってこの頑張ってる感が、少し興が冷めるところもありました。激しい動き見せるにはタッパも低すぎるかな。
ボロクソ言ったけど、後半になるにつれて観る側の目にもなじんできて、けっして悪くはありませんでした。むしろしり上がりによくなった感じ。普通に考えるとあの体格で城田優とドツキあうとかおかしいんですが、しっかり迫力ある格闘になってたのがその証拠です。まあ何が言いたいかというと、とりあえず俺にも腕ひしぎをかけてくれないか。
・浜辺美波 as 永井慧理子
原作どおりの髪形にして成功したパターン。はじめて観た女優さんですが、かわいかった。でも、病気で入院していたという設定なのに病室出てきた後もピンピンしてるのはどうなのか。
ちなみに彼女以外の圭の家族について、映画版でも母親の存在が言及されていますが、結局出てきませんでした。
・千葉雄大 as 奥山
元々フォージの社員という設定だったんでしょうか? 原作読んだけど忘れてしまった。
その他の感想
・IBMの戦闘シーン、カッコよすぎ。
亜人は、IBMと呼ばれるジョジョのスタンドのようなものを操作して、自分と一緒に戦闘に参加させることができるのですが、このシーンがすごいカッコよかった。
黒い粒子がぶわっとふきあがって人型に固まり、敵のIBMと殴り合う。人間同士が展開する銃撃戦と並行してこの格闘戦が行われ、双方入り乱れることで、戦闘全体にものすごくメリハリが出る。
基本的にこの映画における戦闘って、やってることは毎回そんなに変わらないのですが、まったく飽きが来なかったのは、IBMの描き方によって一切単調になることがなかったからなのは間違いないです。
・フォージ重工
何をやってる会社なんでしょうか。簡単にセキュリティ突破されてたのでまさか危険物を取り扱ってるってこともないでしょうけど、バファリンの優しさの方とかを作ってんですかね。
・続編は?
物語の最終盤、佐藤健との長い戦闘の末一時的に無力化された綾野剛が奇策で復帰したとき、「あれ、これもしかして綾野剛勝つんじゃねーの? これだけで完結しないんじゃねーの?」と思った。
付け加えると、このときの俺の気持ちは「まあそれならそれでいいけどよ…」というものだった。なぜか。それは、映画版『亜人』が面白かったから。
結局、ネタバレをしてしまうと最後は佐藤健が勝ち、作品も〆られるのだが、続けようと思えば続けられる終わり方でもあった。エンドロール直前の映像もちょっと気になるし…。
続編あるとしたら観に行きます。今作で亜人×実写版として思いつける描写はひととおりやってる感はあるし、二作目を撮ってまったく新しい要素を描くって相当難しいと思うけど、仮に焼き直しになっててもいいや。それくらいよかった、ってことで。次があったら中野くんの登場を希望します。
そういうわけで、長くなったけどあらためて100点。気になる人はぜひ行った方がよいです。おすすめ。以上。
『ジョジョリオン』の悪口を言うコーナーについて
ジャンルに限らず、とかく世間で名作とされているものの悪口を言うのはなかなか勇気のいることで、作品によっては信仰の域にまで高まった愛情を捧げる熱狂的なファンもいるくらいであるから、これはもう下手をすれば身に危険が及ぶ可能性さえあると言ってもよいくらいだが、もう思っていたことが抑えられないので言う。
だいたいジョジョリオンは戦闘がまったく面白くない。
それはまず、「こいつのスタンドには何ができるのか」が読んでいて全然わからないことによる。ジョジョにおける特殊能力がストーリーが進むにつれて拡大解釈されていくのはお約束だが、ジョジョリオンにおいてはこれが拡大されすぎて意味がわからなくなっている。
例えばつるぎのペーパー・ムーン・キングが相手の認識能力を誤作動させる能力なのか、スマートフォンを折り曲げてカエルを作ったように、ものを紙として扱える能力なのかわからない。
康穂のペイズリー・パークもよくわからなくて、ネットワークに潜入して情報を探知できる能力なのか、康穂自身や味方を正しい目的地や選択肢に導く能力なのかわからない。
後者だとすると、康穂はよく自身のスタンドにどちらを選ぶか、という質問を出されていて、スタンドが自動的に正解に誘導してくれるわけではなく本体にこうして考えさせるのなら、それは単に本体自身が状況を熟考して何かを判断するのと何が違うんだよ、と思う。
あとボーン・ディス・ウェイの何かを開閉する行為がスイッチになってるところとか、なんでそういう設計になってるんだかいまいちよくわからないところもよくないし、本体の人と能力の内容といまいち関連性がわからないところもよくない。
直近ではブルー・ハワイという人をゾンビにしてしまうスタンドと戦っていて、ゾンビって、過去にもうジャスティスでもリンプ・ビズキットでもやったじゃねーかと思う。まあ開戦直前の、一度遠くに離れたはずの子供がこっちにもどってくる間の使い方はよかったけど。すごいよかった。
だいたいジョジョリオンには作品として卑怯なところがあって、作品の序盤で、さあここでいったん仕切り直し、物語は始めからです、というところで唐突に脈絡なく「吉良吉影」の名前を出してきたりする。
この名前は、作中のキャラクターたちにとっては単にはじめて聞く人名に過ぎなくても、読者からしたら絶対に無視できない名前である。「おっ?」と思う。
こういうのはずるくないですか? 大御所が自分のキャリアを濫用しているというかね。もう、きったねえなあ、と思いつつ、「え? 吉良? どういうこと?」つって食いついてしまうよね。
そうだ、あと憲助オヤジのキャラがすぐ変わったのも気になっていた。
憲助は最初は裏のある感じのオッサンだったのに、一度主人公と共闘して以来いつの間にかいい感じの頼れる味方みたいな雰囲気になっていて、いい加減なんだよ、という。それにしても、田最戦で憲助が定助に対する心情を吐露する場面はよかったなあ。正直ぐっときた。ポーク・パイ・ハット戦のジョニィもそうだけど、男の悔し泣き描くのが上手いんだよなあ。
他にも常秀のミラグロマンのエピソードとか、ただでさえ本編の展開が遅いと言われてるのに、それをなんで脇道にそれてさらに遅らせるようなことをやるのか。自覚があるのか。このエピソードはとても不気味で、かつ悪党同士の醜い小競り合いなのに人間として最低限の矜持が垣間見えるところもあって、とてもよかった。
あとは虹村さんがレモンとみかんを混ぜるシーンとか、混ざるにしてもこうはならんだろ、と思うと同時に、こうなるしかないんだよな、だってこの混ざり方、見た目が強烈すぎるもん、とも思う。ケレンミというか、ジョジョでしかできないことをやってる感がやっぱりすごい。
とりあえず、上に挙げたような理由で俺はジョジョリオンを俺は批判する次第で、今後もどうせこんなような感じだと思いますから、何が言いたいかというとみんな読んだ方がいいと思いますよ。以上。
深い緑と青い春。『猿神のロスト・シティ―地上最後の秘境に眠る謎の文明を探せ』の感想について
はじめに
青春小説のフォーマットの一つに「探して、見つけて、そして失う」というものがあって、村上春樹とかポール・オースターとかよくこういう構成を使うのだが、逆に言うとこのフォーマットにならっているとその作品はぐっと青春小説らしくなるのである。
本当に? 仮にその舞台が猛獣ひしめく密林でも?
イエス。密林でもそうなる。なるったらなる。この『猿神のロスト・シティ』を読めばわかる。
感想
地球上のあらゆる土地が踏破され、まだ発見されていない未知の文明などとうていありそうもないこの21世紀。
しかし、南米はホンジュラスの密林――かねてより『シウダー・ブランカ(白い都市)』と呼ばれる幻の街の伝説がささやかれるこの地に、時代の進歩がもたらした技術が遺跡らしきものの観測に成功した。真実を確かめるべく、ジャガー、毒蛇、凶暴なアリが跋扈し、麻薬組織の勢力圏でもあるこの土地に、科学者、ジャーナリスト、元軍人たちの混合チームが挑む…
という本。
面白かった。先に不満な点を挙げると、本書の解説を担当された方が文中でも述べているとおり、仰々しく期待をあおる導入に比べて、実際の「探検」部分はかなり少ないこと。
この土地をめぐる歴史と筆者たちが今回の探索にこぎつけるまでの労苦はかなりページを割かれて語られるのだが、それが終わってさあいよいよ探検、と思って始まったジャングル内での生活や冒険にかかる部分は、わりとすぐに終わってしまう。
結局、調査を経て『シウダー・ブランカ』らしきものは見つかるのだが、以降は「あれ、もう帰っちゃうの?」というくらいあっさりと密林をあとに。つまんないわけじゃないんですけどね。あやうく毒蛇に噛まれそうになる話とか。でももうちょい期待してた。
ただ、実は面白いのはみんなが帰国してから。
チームのメンバーがそれぞれの国に帰った後、彼らは各国で同時多発的に謎の病気を発症する。
診断の結果、病気の正体は一種の寄生原虫だということがわかるのだが、この病気への罹患がひとつの重みを伴ってくるのは、彼らが現地での調査をとおして得た仮説に、「『シウダー・ブランカ』はどうやら病の流行が原因で遺棄された場所であるらしい」というものがあることによる。
500年ほど前、まさに彼らと同じ欧米人によって、天然痘やチフスといった病原体がこの地に持ち込まれた。欧米人自身は抗体を持っているが、現地の人々は免疫がなく、これらに感染してなすすべく死んでいく。『シウダー・ブランカ』もおそらくはそうした経緯の中で生活の場として機能しなくなり、葬られた。
それがときを経て、今度は欧米人の方が、吸血性の虫を媒介に感染する別の病に苦しめられる側になったわけで、ここにはつい報復という言葉が浮かんでしまう(筆者自身もそう書いている)。もちろん科学的にみればこれが呪いとかではないのはわかるんだけど、何か教訓的な話でもある。
作品の終盤、『シウダー・ブランカ』の探索から一年後、筆者はもう一度現地を訪れる。
自分たちの行いは、考古学的な「発見」であるが、それと同時にひとつの「破壊」なのではないか、貴重な自然環境を不可逆的なかたちで開拓してしまったのではないか、といううしろめたさが彼の中にあったことが、文中では語られている。
はたして彼の不安どおり、一年ぶりに訪れた密林は人の手によって開発され、前年訪れたときよりも生活しやすい環境へと変じていた。
この描写が妙にいい。毒蛇と吸血昆虫うようよで夜はまったくの闇が降りる野蛮な世界。そういうものでも、いざ変わってしまうと自分のなかに愛着があったこと、もう取り戻せないことへの寂しさがあることがわかるらしい。
作者はここでかつてのチームメイトと再会するんだけど、そこにも少しよそよそしさが感じられて、人と場所というのはやっぱりセットで、場所の方が変わってしまえば人と人との関係性も以前のようにはいかないという、ここにも不思議な悲しさがあってよかった。
胸躍る冒険、というには少し活劇の要素が少ないが(実際、考古学とアドベンチャーとを区別しなくてはいけない、という意見が本書には散見される)、深緑と泥沼の死地を舞台にするわりに妙にせつない読後感があり、なかなかよい本でした。
ソニックマニア2017の感想について~Kasabian編~
Kasabian…『異次元』。