『鬱ごはん』1巻の感想、もしくは自意識とかいう煮ても焼いても食えないものについて

 「2m?」

 旅行先の青森で入った寿司屋で、勘定に出てきた店のおばさんが言う。一瞬意味がわからなかったが、 俺の身長のことを言われたのだと気がつく。

 「そんなにないですよ。そのー、雪道でも平気なように底が高い靴を履いてるんで」

 「あ、それがプラスされてるわけね。すごく大きく見えたから」

 「僕、今朝東京から出てきて…。こっちは雪、積もってるんですね」

 「東京から。こっち、寒いでしょう」

 「寒いです」

 「東京は?」

 「東京はあったかいですね」

 帰り際、上着を腕にぶら下げたまま店を出ようとしたら、「外寒いから、中で着ていっちゃった方がいいよ」とご主人に声をかけられる。

 

 旅館行きのバスを待つ間、近くの商業ビルに入ろうとすると、ちょうどビルから出てくるところだった十代ぐらいの女の子が、中から扉を引いてそのまま俺が入るのを待ってくれる。「お先にどうぞ」だとすぐにわからず、またもや少し混乱してから「すみません」とかもごもご言って中に入る。

 

 30歳になって、いまだに地方で走っているワンマン電車の仕組みがよくわからない。

 料金のシステムとして、乗るときに整理券をとり、降りるときは列車先頭の運転手さんに一番近いドアで精算してから出て…ということをやらないといけないらしい。

 ただ、今回は青森まで行くのに八戸駅から切符を買ったからか一日乗車券みたいなものをもらっていて(言い訳はじまってます)、じゃあ整理券も精算もいらんね、つって電車の真ん中あたりのドアから降りようとしたら車掌さんに注意される。「次から、前のドアから降りてくださいね」

 めんどいんじゃ、地方ルール、とか思いながら駅の階段を降りていて、でも運転する側からしたら俺が一日乗車券の人かどうかなんてわからんし、そりゃ先頭ドア以外で確認できないんじゃそこで降りるしかないわな、と思う。

 

 人との触れ合いで、劇的な喜びなんていらなくて、ちょっと優しさを受けるだけでそれなりに満たされる。一方、激しい批判どころかささいな注意でさえ、もらうとけっこう根に持ってしまう。

 おかしいのは自分の方だとわかる分別は残っていて、自分でも自分に説教する。そんな状態。いまのところ。そんな前置きをふまえ、『鬱ごはん』の感想である(ようやく)。

 

 『鬱ごはん』は就職浪人である主人公 鬱野たけしが色んなところで色んなものを食うマンガである。主人公が飯を食うことを作品の中心に据えたマンガはたくさんあるが、その中で『鬱ごはん』の特異なところは、飯を食うという行為がまったくハッピーなものとして描かれておらず、それどころか飯を食うことによって最後は鬱野が基本的に地獄に落ちるという点である。

 

 なぜ鬱野は飯を食うことで地獄に落ちてしまうのか。運が悪いから?

 

 それもある。鬱野は、家で鍋を食おうとすれば停電になり、ざるそばを食おうとすればメンツユにセミが飛び込んでくるし、よさそうな花火スポットを見つたのでそこでカップ焼きそばを食おうとすればカップルに邪魔され暗い橋架下に逃げ込んでそこで焼きそばを食うはめになる。

 

 しかし、鬱野が地獄に落ちる最大の理由は、実は鬱野本人のこころにあるのだ。鬱野自身が、ある意味はじめから地獄にいるのである。

 鬱野がいるその地獄の名は、自意識という。

 

 人前でこうしたら笑われるのではないか。ここでこうしないと世間に負けたことになるのではないか。

 本当は誰も気にしていない、気にもとめない些細なことに鬱野はやっきになり、それが結果として、最初は単なる不幸と笑い飛ばせたはずのものが引き返しようのない地獄に変わって、きっちり自らを破滅させることになる。

 じゃあ極端に自意識過剰なこの男をあざ笑うのが『鬱ごはん』の正しい読み方かというとそうでもないのがこの作品のおそろしいところで、鬱野ほどではないにせよこの自意識という地獄に同じく落ちている同類にとっては、鬱野の戦いは非常にバカバカしい一方で、あるあるネタにもなりうるのである。

 松屋で飯を食い終わって「ごちそうさま」を言うタイミングであるとか、ミスタードーナツでなんとなく入り口からレジに向かってドーナツを取りながら流れていく感じになってるせいで流れの後半になって前半の(入り口近辺の)ドーナツをとりづらくなる感じとか、同じく自意識に苦しむ同属として、俺は鬱野の苦闘に共感するしかない。

 そして、そんな鬱野が幸運にも飯に関して人の好意にあずかれたときには心底「よかったな」と言いたくなる(本作中でいうと鯛焼きの「バリ」を勇気を出してもらう場面がそれにあたる。鬱野本人はそんなに幸せそうじゃないが)。

 

 飯を食うのは基本的に楽しい。しかし、それが生きるために欠かすことができないということを考えると、一部の人間には繰り返し訪れる避けようのない業苦と化す。

 『鬱ごはん』は、グルメ漫画が本来メインとする「食」をあえて副菜に転倒させ、この特定の苦しみを主菜としてもりもり読んでいく作品であると言えるだろう(うまくまとめようとしたけどたぶんまとまってないな)。

 鬱野ほど深くまでは落ちていないけど、同じ地獄の浅い階層でもそもそやっている者として、今作をおすすめしつつ、鬱野の今後を見守ることとする。以上。