俺と#KuTooについて

はじめに

 俺が#KuToo運動について最初に耳にしたのは、観ることなく垂れ流しにしていたテレビのニュースからだったと思う。

 「じゃあ、そんなにイヤなら履かなきゃいいじゃねえか」

 これが、反射的にとった俺のリアクションだった。

 俺の愚かなところは、仕事柄、脱ぎたくても脱げない環境もあるからこその運動なのだということ、一つの主義主張が起こるまでには慣習化された弊害との対立があり、それをふまえての今回のムーブメントなのだということに、想像がまったく働かず、「履きたくなきゃ履かなきゃいい」みたいなことを直情的にのたまう部分だ。

 それからニュースをちゃんと観て、ああいう靴を履き続けないとならない、そういう職場もあることを知った。

 ただ、続けて顔を出したのは、「自分と直接関係のない他人の苦しみには、同情はしても具体的な支援はしない」という第二の愚かさなのであった。

 まあ、その…頑張ってくれよな。

 つって、#KuToo運動については、俺の記憶の深海の暗闇に葬られていったのである。

 

 さて、その俺が昨年末から水虫を患った(ここから生理的に不快な文章が続きます)。

 はじめ小指の薬指の間に白いヒビのようなものが入り、「?」と思っているうちに、親指以外の4本の指の皮が、爪の生えた第一関節の部分を除いてめろめろとまくり上がったきた。

 医者行けよ、というものだがそうしなかったのは、赤裸になった4本の指がふしぎと痛くも痒くもなかったからで、俺は「困ったナ困ったナ」なんて言いながらへらへらしていたのである。

 

 異変は唐突に起きた。

 皮がめくれてバリアーがなくなったところに雑菌が入ったのだろう、ある日、4本の指が真っ赤に腫れる激烈な炎症を起こした。

 それはほとんど赤いキャッチャーミットのようであり、強い痛痒を訴えながら、触れると熱湯に浸けたような熱を放っているのがわかった。

 

 しかたねえ。俺は観念し、市販の水虫薬を塗って出勤した。

 

 午前中も痛みと痒みが続いた。昼、患部の様子を見るために靴下をめくって、俺は文字通り絶句した。

 公序良俗に反するためくわしくは記載しないが、俺の指は明らかに壊れつつあった。そして、それは朝方塗った水虫薬のせいと、なんとなくだが思われた。

 俺は急いでお医者に診てもらった。そして、市販の水虫薬が、成分によっては患部と相性が悪くかえって事態を面倒にすることがあるとそのとき教えてもらったのである。

 

 俺が安納芋のようになった自分の指を見て確信したことがある。

 例えば、これから指が回復するまでずっと、今まで通り革靴を履いて出勤し続けないとしたらどうだろうか。そういう職場なので革靴以外認められないとしたら。

 無理だ。

 これで革靴を履き続けたら、俺の指は間違いなく腐って落ちていただろう。

 

 俺はいま、仕方なくゾウリで出社している。

 社会人が革靴でいないのは…という抵抗感が自分の中にあったことは我ながら意外だったが、それと同時に、ようやく、深い記憶の底に沈めた#KuTooのことを思い出した。

 俺は結局いまゾウリを履いているが、同じように足のトラブルに襲われた人で、仕事柄、ゾウリとはいかない人もいるだろう。

 ゾウリは履けない、しかし靴を履いたら指が腐って落ちる、となれば治るまで休むしかない。しかし、これは俺のイメージだけど、従業員のクツにうるさい企業が、社員が有休を続けて取ることにいい顔をするとは、なんだか思えない。

 

 じゃあ困っちゃうじゃん、つって俺は#KuTooに思いを馳せている。

 思いを馳せても、じゃあ何を目指していったらいいのか、TPOとそれに合わせた服装、って通念の根本的な解体までが目的なのか、さすがにそれは賛同できねえ。

 …と思うけども、誰がどんな靴を履いてるとかは正直別にどうでもいい。結婚式だろうが葬儀だろうが、ゾウリでもなんでも好きなものを履いたらいい、とは思う。

 百貨店務めだろうが宿泊業だろうが冠婚葬祭業だろうが、好きなもん履いたらいい。俺はそんなん気にしないぜ。

 なんなら俺も革靴履きたくねえ。履かなくていいなら毎日ゾウリだ、なんて言いつついま足に軟膏塗ってる。

 以上、よろしくお願いいたします。