早めに夕飯を食べたら、20時過ぎたばかりのおかしな時間に睡魔に襲われてしまい、しばらく横になっていた。
まどろみの中で出どころのよくわからない音をずっと聴いていた。何かが硬いものにぶつかるような、かつ、かつという音だ(怪談ではない。念のため)。
22時ごろに起きて暗闇を広げる窓ガラスを見ると、部屋の光に吸い寄せられたのかカメムシが一匹、こちらに腹を見せながらガラスをよじ登っていた。
部屋の中に入りたいのかもしれないがそうもいかず、足をかけているガラスはつるつるなのでずっとはりついていることもできなくて、やがて、力尽きたように落下していく。かつん、と音がする。これで正体が分かった。
数匹の蛾が闇の中で、燃え上がる炎に誘われて舞っている絵だ。光景の美しさももちろんだが、やがて近いうちに火の一端が虫の羽をかすめて、焦がして呑み込んでいくのだろうという、そういう予期を含めて鑑賞する作品なのだと思う。
本能ゆえに、蛾は自分を焼き殺す炎に抗うことができない。光に吸い寄せられるカメムシも同じだろう。
人間には知性があり、ほんの少し先のことが見通せるので、他の生き物を待ち受ける運命や徒労を眺めていることができるけれど、あくまでこの関係性において、ということだ。内側にある衝動や欲望をコントロールできないのは高い視点から見下ろせば人間も同じことで、『炎舞』もどこかの段階では、一つの「鏡」として見られることを望んでいる作品な気がする。
ところで、20時なんて早い時間に眠くなってしまったのは、日中、海の中に入って波にもまれもまれて遊んでいたからでもある。
そのせいか不明だが、少し眠って起き上がっても、身体のうちがわで水がたゆたっている感覚があるというか、なんだかゆるゆるしている。たった数十分、海に浸かっただけなのに、こんなことになってしまった。
生き物としてどうしようもなく衝き動かされていく得体の知れない原動力が存在の奥深くに埋め込まれている一方で、人生全体の比率で言えば圧倒的に大半を占める陸の生活で慣れていた身体感覚が、わずかな時間で崩れてしまってぐにゃぐにゃになる。生き物はよくわからないな、と思う。
以上、よろしくお願いいたします。