はじめに
評価は次のように行います。
まず、総評。S~Dまでの5段階です。
S…価格、提供される媒体に関係なく手に取るべき。恐怖のマスターピース。
A…購入推奨。もしくはkindle unlimitedにあればぜひ勧める。恐い。
B…購入してもよい。もしくはkindle unlimitedにあれば勧める。
C…図書館で借りる、もしくはkindle unlimitedなら読んでもよい。
D…読むだけ時間のムダ。ゴミ。(少なくとも俺には)。
続けて、本の中で印象に残った作品を評価します。
☆…それ一品で本全体の価格を担保できてしまうような作品のレベル。
◎…一冊の中に三品以上あると、その本を買ってよかったと思えるレベル。
◯…一冊に七〜八品あるとその本を買ってよかったと思える作品。
最後に、あらためて本全体を総評します。
こういう書き方をするのは、初見の人に本を勧めつつ、できるだけ先入観を持たない状態で触れてほしいからで、評価が下に進むほど、ネタバレしてしまう部分も増える、というわけです。よければ、こちらもどうぞ。
総評
A。
我妻俊樹作。2018年刊行。
我妻俊樹祭り、第二弾の『忌印恐怖譚 くちけむり』である。
怪異であることは間違いないが、オバケであるかと聞かれるとわからない、ヘンテコな怪談。
我妻俊樹が持ってくるそんな作品の本質を、俺は、読者の抱えているうす暗い記憶や感情とシンクロすることで、メチャクチャなのに、なぜか「わかってしまう」ことだと思っている。
それに加え、今回『くちけむり』を読み直してみて、新しい発見があった。
この記事ではそのことを書く。詳しくは、「あらためて、総評」で。
ところで、2018年はこの『くちけむり』と次作の『めくらまし』、二冊も我妻俊樹の実話怪談が上梓されていた。すごい年だったのだ。
各作品評
あらためて、総評
『夢の続き』について。今回の殺意枠(その本の中で、明確に読者を怖がらせる決定打を期待されている作品)と言ってよい。
とにかく、激烈に禍々しい。
夢に登場する男が悪意をぶつけ、嘲笑っているのは話の体験者だが、それはそのまま、我妻俊樹と読者との関係にも置き換えられる二重の構図だ。ここまで殺る気で来てくれるなら本望。
で、『人の道』と『死んでるんでしょ?』である。
『人の道』で、体験者はある場面で突拍子もない提案をされる。
人間というのは不思議なもので、理性と呼ぶべきか単なる認知のバグなのか、いきなりわけのわからない選択を与えられると、従うべきかどうか一瞬考えてしまう。
そんなもの、単に無視して放っておけばいいのだが、なぜかそれも負担だったりして、怪異(もしくは悪意)もそのためらいにつけこんでくる。
そして、『死んでるんでしょ?』。こちらでも、脈絡のないショッキングな言葉が体験者、そして読者に襲いかかってくる。
これも人間の奇妙なところで、どれだけ支離滅裂な言葉のパターンであっても、俺たちはそこに何かの意味を読み取ろうとしてしまう。
その動機が「理解したい」なのか、「相手に反論したい」なのかわからないが、人間はそういう反応を取ってしまいがちなのだ。言葉というものに関して、そういう風にできてしまっているのである。
シュールレアリスムにもそういう機能を利用した技法があるが、俺は我妻俊樹も、自らの怪談で似たようなことをやっていると思う。
読み手のどういう感情、自己嫌悪なり罪悪感なりをターゲットにするか決め、そのうえで、絶妙に「わからないけどわかる」、壊れかかったような言葉や作品をわざと投げ込んでくる。そのベースにはたぶん、言葉と人間をめぐる洞察があって、この人はそれを武器に使っているのだ。
『くちけむり』ではそんなことを思った。
第35回はこれでおわり。次回は、『奇々耳草紙 憑き人』を紹介します。以上、よろしくお願いいたします。