不穏でいいんじゃないでしょうか。『ブルーピリオド』12巻の感想について

 ネタバレありです。

 

 冒頭で八虎の予備校時代の級友である桑名さんがカムバック。藝大に合格&以前の油絵ではなく彫刻科としての入学とのこと。

 専攻変えて藝大通っちゃうのかよ。すげえ。

 桑名さん、好きなんだよな。「配られたカードで勝負するしかない」というメッセージの代表格であるこの漫画で、各キャラクターのステータス、優劣を云々してもあんまり意味がない。ただ、器用さと苦悩を持っている点で八虎と似た者同士の桑名さんは、技術力という点では八虎を明確に上回っているという、世田介や八雲のような「真逆のライバル」とは違う意味でおいしい役どころだと思う。そういう人物が作中に戻ってくるのはワクワクする。

 

 この巻では主に、美術の権威性をめぐる問題が描かれている。

 日本の美術教育においてはトップの環境である藝大に身を置くことになった八虎だが、アートを学ぶ上でそれが最善なのか、それ以外の、いわば在野の世界があるんじゃないか、という疑問を大学2年目で抱くようになる。

 

 率直に言うと、これは少し残念な気がした。

 『ブルーピリオド』の前半戦では、藝大一本に志望をしぼって戦ってきた八虎の成長が描かれていた。この「藝大以外はない」という価値観が正しいかどうかは別として、八虎にとっては他の選択肢<藝大だったからこそ、ここまで物語があったのだと思う。

 それが入学2年目でなし崩しにあやふやになってしまった。それで、すこし戸惑った。

 ただ、藝大の立ち位置に疑問をつけることで、八虎から心理的なよりどころを失わせたい、というのは、以降の展開を考えると理解できて、そのことについてはあとで書く。

 また、大学生が在学中に方向性を急に失うのがリアルと言えばリアルでもある。俺も浪人の後に運良く第一志望の大学に入れたけど、2年になる頃には目的意識とか完全に腐ってたからな。

 

 美術における権威、反権威を象徴する人物として、新たに二人のキャラクターにフォーカスが当てられる。藝大副学長で新たな担任となる犬飼教授と、反権威のアート集団「ノーマークス」代表である不二桐緒(ふじきりお)。

 「ノーマークス」も美術雑誌に取り上げられたり、開催するイベントが著名人との交流の場になっていたりなど、反権威でありながら別種の権威ではあるんじゃないか? という批判はあると思うが、それはおいて、その代表である不二桐緒は美人で純粋、豊かな知識とカリスマ性で周囲を心酔させる人物。読むとわかる通り、かなり不穏なキャラクターだ。12巻の居心地の悪さの大半はこの不二から来ている。

 例えば、日常的に多くの展覧会に足を運ぶという不二が、たまたま印象に残っていた作品として八虎が以前描いた絵を挙げたり、イベントで居心地が悪そうにしている八虎の隣にひょいと出現したり…。

 八虎と不二はよく言えば波長が合っており、悪く言えば、八虎に接近しようとする不二側の意図を疑ってしまう。

 

 不二の正体には三つのパターンがあり得ると思う。

 1. 不二には悪意はなく、八虎を含む周囲にとってポジティブな影響を及ぼす人物である

 2. 不二自身に悪意はないが、結果として周囲にネガティブな影響を及ぼしている

 3. 不二には悪意があり、意図的に周囲にネガティブな影響を及ぼしている

 

 いまのところ、どれが正しいかわからない(俺は1と2の中間ぐらいだと思っている)。

 作者側からも、不二をどう解釈すべきなのか明確なメッセージは出ていない。例えば、「志村、うしろうしろ!」のように、作中の登場人物にはわからなくても、読者に向けて作家から警戒音が発されてるパターンはあるが、この不二についてはそれがはっきりとしない。

 そういうわけで、不二はかなり怪しいけど思い過ごしのような気もする。この不穏な感じを作者が狙ってやっているかわからないが、けっこう良いと思う。

 

 仮に不二が危険人物だったり、少なくとも、いまの八虎がハマりつつあるような盲従できる存在ではないとして、八虎がここから藝大=権威の方にもどるのは、物語的にはあまり面白くない。

 そういう意味で、藝大の象徴である犬飼教授が、いまのところ露悪的に描かれているのも良いと思う。不二はなんだか怪しいし、犬飼教授も腹の底が読めないし、俯瞰して見た場合の八虎は、かなり不安定な環境で、いま生きている。

 主人公だし、それはそれでいい。

 八虎は迷い、(あくまで合理的に)感情にドライブをかけていく様子が魅力的なキャラクターなので、そのタメとしておおいに行き場を失って欲しい、と思う。

 そういう意味では、八虎が藝大に幻滅する様子を批判したけど、それも物語的には必要な変化だったのだろうな、と思う。八虎がここから何を選んでどこに進むかわからないが、その前段階として不穏な感じで良いと思ったので、書いておく。