俺たちは悼むのがたぶん下手なのだと思うことについて

 故人の周囲を傷つける内容、自死という行為、死への言及を含む文章です。

 

 先日、亡くなった芸能人について報道のあり方が色々批判されている。

 おそらくは自死だと思われるその方の情報について、守られるべきガイドラインに沿っていないとか、事務所の近くまで行って様子を撮影するのは問題だとか、マスメディアのあり方に疑問を示す人が多い。

 

 基本的に賛同するのだけど、俺は、その方の亡くなった後の扱われ方については、あまりにも多くのことが不快で、まるで理解したくなくて、自死ガイドラインに沿ってどう報じるかとか、取材のしかたがどうかとかは、その大きな不気味さの一端に過ぎないと思っている。

 

 その方への感謝を示す言葉がインターネットで散見されて、生前の活躍を特集するテレビ番組が企画されているというのもどこかで見た。

 俺はそれが嫌でしかたがない。

 その方が所属していたグループや、家族や、ファンの人たちには本当に申し訳ないが、傷つけることを承知で言う。

 事故でも病死でもなく、自死を選んだ人間に対して、亡くなってからまだひと月も経たないうちに、その死に向けて「感謝」としてラッピングされたものが製作されること。

 亡くなった故人に向けた「感謝」と言いながら、それを見るのはまだ生きている側にいる俺たちで、自分たちでつくった「感謝」と題されたものを自分たちで見て死者に「ありがとう」と言うこの世の中、それに関係した人間、すべてが不愉快だ。お前らのことが嫌いでしかたがない。

 

 自死とは何なのか、どう定義するか、俺には決められない。

 本人にとって、それは言葉にならない衝動なのかもしれないし(そういう意味では、自死を「選んだ」という言い方も適当ではないかもしれない。俺たちは「選んで」突発的な行動をすることはできない)、深い絶望だったのかもしれないし、もしかしたら、親しい人たちを傷つける表現かもしれないが、当人にとっては「希望」だったのかもしれない。わからない。

 

 大切な誰かが自死を選んで、その周囲の人たちが置かれた状況を、どう表すべきかもわからない。

 ただ「助けられなかった」なのか、「助けられたのに気づけなかった」なのか、「助けようとして届かなかった」なのか。

 「自分たちだけが生き残ってしまった」というのもあるかもしれないし、反対に、「一緒にいたのに勝手にいなくなられた」という怒りのようなものもあるかもしれない。

 もしかすると、ここに挙げたものは全然答えにかすってもいないのかもしれない。

 俺にはわからない。

 俺には二重の意味でわからない。俺は大切な人を自死でなくしたことがないし、もしもそういう状況に直面しても、自分の状況を言葉で説明できるとは思えないからだ。

 何もわからない。その人の自死の真相も、その周りにいる人々の現状をどうとらえるべきかも、世の中がこれからどうするべきかも、俺にはわからない。

 

 わからないが、死んで一ヶ月もしないうちに、「ありがとう」ではないだろう。

 死んで数週間で「ありがとう」ではないだろうが。

 その人はこの世から離れるために自分で自分を死なせたんだ。

 いくらかの偶然はからむにしても、事故のようなアクシデントでもなければ、肉体の病と闘って倒れたわけでもないんだ。

 その人は自ら命を閉じたのだ。俺もお前らも、この世の人間は全員その人を救えなかったのだ。

 生き続けることがいいことだ、というナンセンスな前提を、あえてもう一度、あらためて確認し、俺たちが全員「死ぬより生きる方がいい。ましてや、自分で死ぬより生きる方がずっといい」という答えを共有するなら、亡くなった方について、俺たちは全員、その人が間違った答えに身をまかせるのを止められなかったのだ。

 その結末にかける言葉がなんで「ありがとう」で、テレビ番組の特集なんだ。ふざけるな馬鹿野郎。

 

 それはどうしようもない、避けようも止めようもないことだったかもしれないし、絶対に、誰かがその死の責任を問われるべきではないと思う。

 それでも、ひどいことを言えば、俺たちは全員、「この世界で生きるに足る理由ではない」と判断されたのだ。それでその方はこの世を去ったのだ。そうじゃないのか?

 

 俺はものすごく、はらわたが煮えている。

 自死をどう定義しようと、残された人たちをどう見つめようと、そこから出てくる答えが「亡くなって数週間でありがとう」ではない。断じてない。

 報道のしかたがどうとか、マスメディアがどうとか、その指摘は間違いではないと思うが、ピントがずれている。

 もっと巨大に、根本的に、この世界で自死を見つめる視点そのものが狂っている。

 お前らは全員狂人だ。もし、お前らが全員まともだって言うなら、狂っているのは俺一人だが、それならそれでいい。

 お前らは正しく、自分で自分を死なせてしまった、亡くなるときの胸中が苦痛だったのか解放だったのかわからないが、故人に対して「ありがとう」と言って生前の映像を観て故人を悼んだらいい。

 仮に俺が気狂いでも人を憎む権利ぐらいはあると思うので、俺はお前らのことを心底憎悪している。クソ食らえだ。