『裏バイト:逃亡禁止』95話の感想、もしくは労働なんぞやについて

はじめに

 「黒岩案件」開始の感想はこちら。

sanjou.hatenablog.jp

労働なんぞや

 文字通りの新章となった「黒岩案件」決着。

 内容にはほとんど触れないし、オチもほぼ書かない。ただ、「労働」というものについて、なんとなく気づいたことがあったので書いておく。

 

 

 以下、ネタバレを含む。

 

 

 結末に少し言及すると、最後の最後で、ここまでにあったことはすべて、前段階に過ぎなかったことが判明する。主人公二人にとっての「労働」と「仕事」は、そこから始まることがわかる。

 わかる、というのがポイントだ。

 なぜかというか、これまでの裏バイトで、主人公たちは自分が何をさせられているのか理解していないことが多かったからだ(悪意や罠が潜んでいることばっかりだからでもある)。

 彼女たちは、自分たちの何に対して報酬が支払われているのか、あまり理解していなかった。なんだかわからないうちに始まり、なんだかわからないうちに終わったものから対価を得ていたのだ。

 別に、それが悪いわけではない。「仕事」とは、正体を知っていようが知らなかろうが、雇った側の要望を満たしたら支払いがあるものに過ぎない…そう言えばそれだけのことだ。これを書いてる俺だって、自分の仕事の全体像は知らないし。

 

 自分の果たした務めが社会にどのような影響を与え、自分は何を捧げることで報酬を得ているのか。

 強く意識するべきだとは思わない。他人に誇れるような立派な仕事以外は息苦しくなってしまう気がする。

 ただ、否応なく、自分がやっていることに向き合わされる瞬間もある。「仕事」には。

 そして、そこから(いくらか逆ギレ的に)、どうせやるなら、自分の務めをちゃんと理解していた方が、いい働きができるんじゃねえか、という瞬間もある。「仕事」には。

 今回のエピソードには、それが鮮やかに表れていたような気がする。

 「裏バイト」には生命という最大のリスクがかかっているので、かえってそれ以外の点で、自分たちに何が求められ、どこに給与が支払われているのか自覚できないことが多いのだが、今回は明らかに違った。

 これから自分たちが何をしないといけないのか、ゾッとするほどクリアな状況で、主人公たちは(たぶん)過去最大級の対価が支払われることになる。

 

 もう少し書く。

 

 『呪術廻戦』で七海建人が「労働はクソ」という言葉を発していた。

 では、少し視点を広げて、人生そのものはどうだろうか? ということだ。

 もちろん、答えは人によるだろう。俺が思うのは、「労働はクソ」という意見を持つ人は、人生自体についても割とペシミスティックな見方をする傾向があるのではないか、ということだ。ナナミンも「労働はクソだが、人生そのものは楽しい」というタイプには見えなかった。

 

 労働と人生はかなりの部分で重なっている。

 起きている時間のうち、だいたいを俺たちは働いて過ごしている。睡眠時間だって「明日の仕事のために早く寝るぞ」とか、「今週の疲れを取るためにゆっくり休むぞ」とか思っているわけで、周辺的に労働の中に組み込まれている。

 こうなると、労働と人生はほぼイコールだ。現金が支払われるものだけではなく、家事や育児、学生としての活動や共同体への参加だって、広い意味では労働と言える。

 俺たちは、生まれてからずーっと働いているのだ。

 

 では、労働と人生はどこで区別されるのだろうか?

 単純に、その終わりに対価が支払われるかどうか、ということだと思う。

 仕事の最後には給与が払われるが、人生の終わりに報酬が払われることはない。

 宗教とか思想であれば、死に何か、苦労の対価にあたる価値を認めることもあるかもしれないが、そうでない場合、死は死でしかない。嫌なことを書いて申し訳ないが、「25日の給料のために頑張るぞ」というやつはいても、「いつか死ぬために頑張るぞ」というやつはそれほどいない(別にいてもいいけど。信仰というのはある程度、そういう死から逆算する発想のことだ)。

 

 その結果として、次のようなことが起きる。

 まず、労働と人生がほとんど重なっていてイコールだとしても、労働は完全にクソになりうるが、人生はクソにならない。

 というか、俺たちは人生がクソだということをなかなか認められない。

 なぜかというと、人生には終えたときの報酬がないからで、「クソなうえに、頑張って終えたからといって対価があるわけでもないもの」に自分が囚われているというのはあまりに悲惨だからだ。

 どれだけ、クソみたいな人生だ! と嘆いている人でも、心底からそう言っているわけではないと思う。俺たちは、人生そのものの価値をどこかで信じている。

 その終わりに対価がないゆえに。

 

 反対に、労働は対価があるからこそ、その中身は果てしなくクソになりうる。流行りの「ブルシット・ジョブ」とは違って、ただ、どこまでも危険に、過酷に、尊厳を軽視したものになりうる。

 対価があるからこそ。

 対価のために頑張る者がいる限り、仕事の中身がどこまでクソになるかには下限がない。

 話は急に戻るが、『裏バイト』95話の結末にはそういう思わせるところがあった。前回の感想でも書いたとおり、特定の業界を卑しめる意図はない。ただ、あれは常軌を逸している、ということだ。でも、給与が支払われた以上、主人公の二人はやりおおせたんだろう。

 もちろん、支払いがなければやらなかっただろうけど、あるならやる。支払いがあればいいというものではないが、いずれにしても、支払われるならやるやつはいる。

 嫌な気持ちになるどうしようもなさが、あの結末にはあったと思う。

 

 エンディングでもう一つ急展開。もしかすると、終わりが近いのかもしれない。まだ読み足りないけどなあ。