ひまわりについて

 仕事中に業務がかったるくなったので、気分転換がてら、職場近くのスーパーにハード系のグミを買いに行くことにした。

 職場がある建物の敷地を出ようとして通りを見ると、一方から老人の腰かけた介助用の車椅子が、その反対側から乳児の収まった乳母車がそれぞれ押されてやってきて、すれ違うところだった。

 これまで生きてきて、意外と見そうで見なかった風景だな、と思う。行く道・来た道、という言い回しを思い出した。あとは、スフィンクスのナゾナゾとか。

 色々連想しながら、俺も通りに出た。

 俺の行く方向は車椅子と同じになった。乗っているのは高齢の女性。押している男性がハンドルを少し切って、車椅子を道の端に寄せていった。

 その先を目で追うと、ひまわりが一輪植わっていた。こんなところにひまわりが生えているのをはじめて知った。季節のためか、くしゃっと萎れかかったようなひまわりだったが、それでも、まだ力強い黄色をしていた。

 今日のような曇り空ではなく、晴れている日ならそれなりに見映えもしたろうな、と思ったが、よく考えれば快晴のときにこの道を通ったことだってあったはずで、結局そのときは気づいていないのだ。

 男性はひまわりの前で車椅子を止めて、女性に何か話しかけていた。女性は花に目をやって、特に感動したようには見えなかったが、こういう時間の過ごし方全体を漠然と楽しんでいるようではあった。

 

 グミを買った帰り道に先ほどのひまわりの前を通りがかったら、何というか、できすぎというか、母親らしい女性が小さい子どもを抱いて、子どもにひまわりを見せていた。

 子どもは、ひまわりにはそれほど関心がないようだった。この子の中で今の時間は、親が花を見せようとしてくるのからわざと目を背けて遊ぶ時間になってしまっているようで、母親の腕の中でぐにゃぐにゃしてふざけていた。

 確かに、どうってことないひまわりだもんな、子どもにはつまんないよな、と俺は思う。と同時に、考えるのだが、俺たちは一体いつから、(そして、あるいは、いつまで)ただ 花が道端に咲いているだけで、それを美しいと思うことができるのだろうか?

 いや、というか俺だって、こんなところにひまわりが咲いていることに今日まで気づかなかったわけで、もしかすると、こういう花の美しさというのは、誰かに見せてあげようと思ってはじめて、気づける類のものなのかもしれない。

 「せっかく見せてもらってるんだから、ちゃんと見ておいた方がいいぞー」と思って、俺は親子連れを通り過ぎた後、振り返って子どもの方を見た。子どもはまだ、ぐにゃぐにゃしていたが、不審な中年と目が合って恥ずかしかったのか、いーっ、という感じで歯を出して笑った。