2021年のブックマークについて ②

www3.nhk.or.jp 自分がいつ死ぬか(「殺す」という行為を意図的に他の生命を停止させることだと定義すれば、実質的には、日本国の認識する正義によって殺されるか)、執行の当日に知るのと事前に知らされるのと、どちらがよいのだろうか。

 本人たちが事前に知りたいというのなら、行政側の「あらかじめ伝える方が心理的負担が大きいから」という主旨とはかみ合わない。

 省庁側の主張は、問題として取り合うのが面倒くさいのでとりあえずこう言ってるだけだろ、という気がするが、直前に知らされるのが本当に苦痛なのかもよくわからない。星新一の『処刑』を思い出すような話だと思う。

 結局、俺はいつか自分も死すべき生命として、死刑囚という存在を終わりを考える一つの題材として扱っているわけなので、自身のそのグロテスクさにはちょっと辟易する。

 ところで、森達也の本を読んでいるときに、「死刑囚は死刑という罰に処されるのであって、懲役刑ではないのだから、実は収監される必要がない。自由に出歩いて、執行の日に帰ってくるのでも法文上は問題ない」という文章を見た記憶があるが、本当だろうか。

 

www3.nhk.or.jp 殺害された被害者の人数が二人以上かどうかを死刑のボーダーラインとする、いわゆる永山基準をふまえて考えると、三人の死者に対して検察の求刑が無期懲役というのも関心を引いた(法学の素人なので、てんで見当違いかもしれないけど)。

 いずれにしても、心神喪失とはなんなのか、そして、それに陥っていればなぜ無罪なのか、これは法律の世界の責任として、社会に伝える努力がもっと示されるべきじゃないかな、と思う(そういう概念の存在自体に反対するわけではなく)。

 

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 人生にもっとも大きな影響を及ぼす可能性が高く、肉体的にもっとも精力的な年齢に出産と育児というイベントが組み込まれていることに、世の中も政治も、まともに関心を持っているとは思えない(俺もそうだけど)。

 すごく子供が欲しくて自らの時間や体験を犠牲にしてもいい人、子供を持っても何も損なわれない(リカバーできる)ぐらい資産や環境に恵まれた人が中心になるわけだから、それは、人口はフツーに減るだろう。だってフツーの人はそのどちらにも含まれないもの。

 

bunshun.jp 実家で購読してるのをたまに読むと、週刊誌よりもネット記事よりもはるかに品がよくて取り扱う話題も広く書評も良く写真もキレイだ! と感動する。

 一方、毎月数千円出す気はしない、というのは俺が吝嗇なんだろう。

 興味のあるコーナーだけ選び取って千円弱ぐらい、PCやタブレットに配信します! というならどうだろう。どうかな。

 

karapaia.com 特定の知識は言葉という入れ物にしか保存されていないので、その言語が消滅すると知識もなくなる、という話。

 どこの国でも特定の言葉が使われなくなり、そこに込められていた概念や味わいが、ひっそりと誰にもわからなくなっていくということは起こっていると思うので、密林の少数民族に限った話ではないのかもしれないが、薬学みたいな具体的な知識であるところがミソなのだろう。

 一方、危機に瀕している言語のマッピングや数値化による可視化、みたいなことも記事からは読み取れるので、意外と、現代化によるネガティブな駆逐とポジティブな解明という、裏表のレースだったりするのだろうか。すぐこういう方向に持っていくの、あまりよくないクセだな。

 それにしても、滅んでいくものを惜しむ一方で、衰退に美しさを見出したりもしているようで、かすかに居心地の悪い話ではある。

 

anond.hatelabo.jp グミだらけだぞ、のところで毎回笑ってしまう。

 果汁グミとSOURSが好き。

 

anond.hatelabo.jp ヴェルディが好きだった。

 なんとなく、Jリーグキャンディ(コーラ味だった)や、缶バッジのついていたカップラーメンを思い出す。もう30年近く前の話だ。

 

anond.hatelabo.jp 集合知という割りに、知性も含めて書き手が強キャラすぎたため賛辞しか集まらなくて笑ってしまう。

 

anond.hatelabo.jp こんな記事を書いていた。

 何が気に入らなかろうと、法律の超エリートが判断してきたものの積み重ねを、法学の素人が何に基づいて批判すんだよ、というのはよくわからないでいる。

 

 以上。法律と言語(メディア)に関する話が多かった。