はじめに
当該期間に自分がブックマークした記事について、感じたことを再整理していく。
下落から上昇に大きく転じたことについて、「総理お疲れ様」+「これからの自民党に期待」による変動では、と分析している人がいて、俺もまあ、そうなのかな、と。
俺が現政権にわりと批判的なせいかもしれないが、そう考えると、政権に対する通知表としてのこれまでの評価とは純粋に比較できないので、あんまり意味のない数字だな、と思った。
葉っぱの色が変わるとか。おお、すげえな、と。
ただ、その変化を広大な森の中から検出するのはドローンに頼る仮定のようなので、そんなハイテク未来で植物の変化云々ってのは、やや本末転倒? な気もする。
黒人・白人間の医療格差の話。加入している保険が異なるのがカバーされる疾病の範囲に影響すること、医療従事者にも黒人に対する偏見があること、など、根が深い。
肌の色の違いは失職しやすさにも影響があるようで、ジョージ・フロイド氏もコロナ禍で職を失った方だったとのこと。
アウシュヴィッツにおいて、ユダヤ人でありながら同じユダヤ人たちを死のガス室に送り、同胞の遺体を処理していた者たちがいたという。『ゾンダーコマンド』と呼ばれるそうだ。
ゾンダーコマンドの存在は、ナチス兵士たちの罪悪感を薄める働きもあったのでは、と分析されている。このシステムによって、兵士たちは己の手を直接汚すことなく、殺人を被害者の同胞の手に委ねることが可能になっていた。
ナチス軍人の罪悪感をあいまいにする一方、手を下したユダヤ人にとっては罪の意識で自分を苛み、凶行に口をつぐんでしまいかねないという、悪い意味で完成度が高すぎ、なんというか、今日にも通じる手法な気がする。
本来、言うべきことはない。何も言わなくてもいいわけではなく、言葉にならない。
対策とかケアとかいうのも、重要ではあるだろうが、本質ではない気もする。
これもなんというか。みんな、なんでいなくなるんだろうな。
そういや、とある大手漫画雑誌の元編集者(大ヒット作も担当してた)の方、「ふらいんぐうぃっち」の面白さが自分には理解できなくて、「もう俺は若い才能を潰しかねない」って異動願いを出したそうで。若い感性の試金石になってるんだろうか。
— karzusp (@karzusp) 2020年9月10日
どんなに合わない漫画でも、とにかく、売れてる理由の言語化に常に挑戦し続ける生業なのかな、という想像のようなことをブクマに書いた。で、それがいよいよ機能しなくなったのが当該作品だったのかもしらん、と。
隠してもしょうがないが、俺は死刑反対論者で、それはいつか詳しく書くかもしれない。書かないかもしれない。
という感じなのだが、この判決には驚いた。
検察も、控訴しなかったということは法廷で勝ち目がないと判断したのだろうけど、そのことも含めて理解が及ばない。心神耗弱の扱いについては市民感覚ってやつとあまりに乖離しすぎていて、司法の専門家はちゃんと説明した方がいいと思う。
最高だよな、と。
俺も含めて、M-1決勝で初めて見た大半の人たちの「なんだよこいつら」って冷笑を、たぶん本人たちも感じていながら、そこから最初の爆笑をひっさらうまでの数十秒を想像して、毎回勝手に泣きそうになる。
しっかりした文章(訳者の力量もあるんだろうけど)。偉人のエピソードまでひょいと引用して見せる。
もうAIについては、そこで示される作業やパフォーマンスのクオリティではなく、その奥に俺たちと同じ知性を認めるかどうか、っていうか知性って、あるいは自我ってそもそも何? ってフェーズに入っているのかな。
俺は、か/さ/ひ/ろ、が好き。
批判はすれど、バカにしきっているわけではない。安倍総理について、当意即妙の受け答えを得意とする「弁士」ではないという前提に立てば、弁論に関しては凡人に過ぎない人物が重責を担い、答弁の場に長い年月立ち続ければ、こういう珍妙な言葉が蓄積されていくのは当然だよな、という、感慨みたいなものがある。
以上、よろしくお願いいたします