まあまあなことについて

 22時ぐらいに眠気に耐えられず横になったら、当然そのまま起きられず起きたら午前4時。寝なおす気にもならないで、そのまま起きている。

 基本的に、ずっと寄る辺がないというか、この世界でずっと身の落ち着けどころがなく、あたふたしているうちに時間が過ぎ去ってしまう。それで呆然としてしまうことも多く、周りからは泰然としているように見られるという変な齟齬が生まれているのだが、とにかく生きていて割としんどいなあという感じなのだけど、夜が明けていくのを見るのは好きだ。いまこの瞬間、この世に生まれてどうでしたか? と質問されたら、普段だったら「え…」と引きつった笑いで無言になるだろうけど、ガラス窓の向こうの闇がうっすら明るくにじんでいくのを見ていると、「まあまあです」ぐらいは言える。けっこうポジティブ意味だ。世界は夜が明けるからまあまあだ。この文章を書き終えたらコンビニまでコーヒー買いに行こうと思う。ところで、夜明けをよく「白み始めた」と表現するが、暁光の最初もっと薄紅とかオレンジとかの感じで、なかなかカラフルだ。

 このまま何事もなくいくと、俺は俺の両親の死を看取るわけだけど、父と母はこの世を去るとき、この世に生まれて、まあまあだった、と思って去っていくだろうか。すでに去った人たちは、まあまあだったな、と思って去っていったのだろうか。みんなどうなんだろうか。

 そりゃ、満面の笑みで親指立てて去っていったならそれが一番だが、まあまあでした、ぐらいは言えるといい。他の人にも俺にもそれを望んでいる。そうできない人がたくさんいると知っていても、

 夜明けの力はものすごく、書いてる十数分で空は複雑な彩りからもはやほぼ白。俺はコーヒー買いに行って、買って飲んだらまた寝ると思う。