『ゴールデンカムイ』30巻の感想について

 30巻。次が最終巻とのことで。

 

 ここまで、めちゃくちゃ重厚な物語を読ませてもらってきた。2014年連載開始だから、ものすごく長期連載ってわけじゃないんだよな。

 でも、作者はもちろん、登場人物の一人一人にお疲れ様と言いたくなるこの感覚。

 堪能した。見守った。ただただ、楽しかった。

 

 30巻では、死神が激しく戦場を旋回している。重要なキャラクターがどんどん退場する。

 何人か、死んでしまったのも生き残っているのも含めて、気になった登場人物について書く。

 

以下、ネタバレ。

 

・二階堂浩平

 念願だった杉本との一騎打ちに敗れ、体が左右二つに裂ける。分かれた一方がもう一方に、ずっと再会を夢見ていた兄弟である洋平の姿を見ながら退場。

 以前から思っていたが、この漫画はキャラクターの死をバカバカしさと歓喜、そして救いを込めて描くのがなんて上手いんだろうな。

 『ゴールデンカムイ』の登場人物たちは、多くが正気と狂気、振り払うことのできない罪、自分をさいなみ続ける業のようなものをはらんでいて、それによって心が分裂してしまっている。

 彼らに訪れる死は、そういう狂気や罪業を純化したようなかたちでやってきて、たまらなく恐ろしい。

 それと同時に、もうこれ以上、自分と自分でケンカする必要はないのだと、死によって俺と俺はようやく一つになったんだと、この上ない優しさも感じさせる。

 キャラクターにとって、死が最高の見せ場であり救済だ、というのはあまりにダークでゆがんでいるようで、でも、そこに作者の愛を感じてしまうんだよな。

 

・尾形百之助

 最終巻ではまだわからないが、30巻時点では生存。

 右目が義眼となり、動かない右目と動く左目で感情や思考を表すようになった尾形。彼も、やっぱり「分裂」してしまっている人物の一人だろう。

 左右の目で方向がまるで合っていない、あの描写がやっぱりすごい(他の作品で前例あるのかな?)。

 これまで死亡してきた他のキャラクターたちが、殺人衝動や変態性欲、悪意や別の人格との間で分裂してしまった者たちだとすれば、尾形を二つに裂いているものはなんなのだろう? それは最終巻で明らかになるだろうか?

 

・鶴見篤四郎(鶴見中尉)

 鶴見。

 やっぱりというか、最後に触れておきたいのは鶴見中尉。31巻を読むまでわからないが、『ゴールデンカムイ』は最後は鶴見の物語である可能性さえある。

 「分裂」というテーマに沿って考えれば、鶴見は複数の対立構造によって、多重ではなく「多層に」分裂している。

 正気と狂気。

 慈愛と冷酷。

 挺身と利用。

 現在と過去。

 合理性の中に狂気をはらみ、優しさと冷徹さが同居する点で、鶴見と杉本は同類だし、誰よりも過去に縛られている点で、未来を目指すアシリパの究極のアンチだと思う。

 その鶴見は、30巻で一つの罪を赦す。

 もしかすると、部分的にはこれで、鶴見自身も解放されたのかもしれない。

 あるいは反対に、もう一つの罪も清算させなくてはならない、というかたちで、より自らを縛り付けたのかもしれない。わからない。

 この描写はマジですごかった。

 優しさを見せた人物が、次のページで冷酷な振る舞いに及ぶ、という演出はよくある。

 この場合、先に見せた優しさはいわゆる「フリ」であり、本質は冷たさの方にある。

 でも、30巻のあれは、優しさと冷たさが等価に見えた。

 後から描かれた処罰が、先に描かれた鶴見の、たぶん彼本来の優しさを覆いきれなかった。すごかったなー。すごかった。

 

 というわけで、次巻が最後。誰が勝ち残り、金塊は誰のものになるのか。楽しみ。