『Dr.STONE』の完結に寄せること、もしくは『Dr.STONE』の主人公は誰であったのか、ということについて 1/2

今週のお題「SFといえば」

一人欠けてもかぶは抜けない

 いきなりだが、みなさんは『おおきなかぶ』を知っているだろうか。

 地面に植わった巨大なかぶを抜くために、じいさんがまず挑戦し、無理なのでばあさんを呼び、二人がかりでも無理なのでばあさんが孫娘を呼び、最後は猫がネズミを呼んできて全員で引っ張ったら抜けた、という話である。

 俺は『おおきなかぶ』が好きなのである。

 なぜ好きかというと、力の大きさが違う者たちが、一つのミッションをクリアするための価値としてはみんな等価である、という思想があるからである。

 かぶを抜くのに必要なパワーが100だとすると、おそらく全員のパワーを集計したとき、一番大きく貢献しているのはじいさん、一番小さいのはネズミだろう。じいさんが30ぐらいだとすると、ネズミはせいぜい1か2ぐらいだと思われる。

 もしもここでじいさんがリタイアすると、おそらくかぶは抜けない。ミッション失敗である。

 では、ネズミがリタイアするか、そもそも参加しなかった場合はどうなるだろうか?

 同じく、ミッションは失敗なのだ。ネズミの貢献はじいさんの1/10以下なのに、「どちらを欠かしても成功できない=このミッションにおいては両者の価値が等しい」という奇妙な現象が起きるのである。

 俺は、これが本当に面白いと思う。別に、「だから、知恵や金のある連中(じいさん)は、俺のようなほぼ無益な人間(ネズミ)にも気を遣えよ」ということではない。

 ネズミが仕事を嫌がるなら、ノミやシラミを代わりに10匹集めてこれるように世の中はできているので、基本的にネズミはじいさんに逆らえない。ただ、そういう世の中のオーソドックスな渡り方とは違う、どこか別の次元で、じいさんとネズミは確実に等価になる、そういう予感があるのも事実で、だから俺は『おおきなかぶ』が好きなのである。

 

Dr.STONE』完結。最高に面白かった。おつかれさまでした。

 謎の石化光線によって文字通り地球上の人類が全滅し、すべての文明と道具が崩壊した新世界で、科学知識と体力を武器にイチから人間社会を復興する大規模クラフト漫画。26巻で完結。おつかれさまでした。

 結末については大団円という以外は書かないので、今回はこの作品について、以前から、ずっと思っていたことを整理しておくことにする。

 

 記事の冒頭で、なぜ『おおきなかぶ』の話をしたかというと、『Dr.STONE』の物語の運び方がとてもよく似ているからだ。

 この作品にはたくさんの登場人物が出てくる。

 彼女ら、彼らはどれも一芸があって、ものをよく知っている者がいれば体力だけは誰にも負けない者、同じ身体能力でもタフネスというより武力に秀でた者、同じ武力でも肉弾戦が得意な者と銃撃戦が得意な者、という風に細かく分かれている。

 そして、彼らのどれにも、必ず見せ場がやってくる。その章をクリアするためには、彼女/彼の存在がなければ攻略できなかった、という状況が絶対訪れるのだ。

 これはすごいことだと思う。もちろん、リーダーであり万能の科学者である千空や、天才的な機械運転の技術と行動力にカリスマ性を備える龍水、人心掌握と交渉に長けたゲンなど、多くの場面で活躍できる強力なカードはある。

 ただ、その一方で、明らかにポンコツだったりクセがある銀狼やマグマ、陽といったキャラクターが欠けていても、どこかで物語が詰んでいる。他の者でもどうにかなった、ということがない。

 その状況なり才能なり、彼らがそのときそうしなければならなかった、という場面が必ず来る。だから『Dr.STONE』は『おおきなかぶ』に似ているのだ。

 

 では…というここからが本題だ。

 では、こうやってどのキャラクターにも見せ場が来る物語は「面白い」のか?

 

 必ずしも面白くはない。

 そこが難しい。ここからそういう話をする。