100までについて

今週のお題「人生最大のピンチ」

 

 三つ子の魂百まで、ということわざがある。三歳までに形成された人格は、百歳になっても変わらない、という意味だ。

 三歳の頃に俺が今のこのようだったかというと、そうだったような気もする。

 これから百歳まで生きるとは思えないが、仮にそこまで生きていたとして、そのときも今のようであるかというと、そんな気もする。怖い話だな、と思う。

 

 人生最大のピンチというお題でこういう記事を書いたのだが、その中の一番最初の保育園の記憶について、もう少し続ける。

 一応整理しておくと、親にないしょで買い食いをして、買った菓子の出所を母親に聞かれ、とっさに「友達のお母さんに買ってもらった」と嘘をついたところ、母が友達の家にお礼を言うために電話をかけて俺の世界が終わった、という話だ。

 

 最近思うのだが、母は友達の家に電話をかけたとき、俺が嘘をついていることに気付いていたのだろうか?

 自分の嘘がとっさに出たのか、衝動的にお菓子を買ってしまって帰り道に頭を使って準備していたものだったのか、俺はあまり覚えていない。

 いずれにせよ、三歳ほど小さくはなくても、せいぜい五歳かそこらの年齢だったと思う。そのぐらいの歳の子どもが嘘をついているか、大人にはすぐ見抜けるんじゃないだろうか。

 俺は、母は気づいていたんだろうと思う。気づいていて、罰するためによその家に電話をかけたのだ。もちろん、万が一本当だった場合に向こうのお宅にお礼を言う必要はあったにしても。

 

 俺はそのとき傷ついたのだろう。

 三十過ぎてこんなことを言いたくないが、幼い俺はきっと、いろんな意味合いで傷ついたのだ。

 そもそも、与えられたお金をごまかして嘘をつくのがいけない。悪事なので、それをとがめられるのは当然と言える。

 しかし、それでも、もう少し複雑な話なのだ。

 子どもが嘘をついているとわかったら、電話をしてわざわざ第三者を巻き込むより先に、嘘をついたことを認めさせる方法はあるはずだ。俺はたぶん、罰として見せしめるために母が電話をかけたことを理解していて、そういう方法を取られたことにショックを受けたのだ。

 もっと甘えたことを吐露すれば、たとえ嘘だと見抜いていても、信じて欲しかったのだと思う。

 

 俺はこの年齢の男性としてはかなり母親と仲が良い方だが、この一件については母親のことを恨んでいる。そして同時に、それが逆恨みであることも、理屈としては理解している。

 子どもの嘘を罰するのは教育の一環といえばそうだし、そこで罰されたのは無邪気さや思慮の足りなさではなく、一種の狡猾さなのだった。もしも見逃すことで、それを助長するぐらいなら、手厳しく思い知らせた方がよかったのかもしれない。

 

 難しいのは、齢を重ねてみれば合理的に理解できることであっても、傷ついた、というあのときの実感は残り続ける点にある。

 深層の部分で、倫理が満足に機能してくれない。表面的にはとっくに許し、母の行動を理解してしまっている以上、もっと深いところで許すチャンスがない。

 自分が嘘をついた側である以上、許す、という表現もいびつだが、他に言いようがないのだ。そして、冷静に考えれば悪いのは自分だという理解と、整合の取れない感情が固着して、心中に残ってしまっている。

 

 いつの間にかすごく重たい話になってしまったが、もっと気が滅入るままに続けると、俺がこのことを芯から許し、トゲが抜けるのは、母が死んだときか、俺に子どもができて、その子が俺に嘘をついたときだと思う。

 そのとき、俺の中の五歳ごろの俺は、きっと母を許すことができると思う。

 そして、俺自身は知る由もないが、きっと俺も多くの、許しがたい無数の傷を母につけたのだろう。

 自然のままに年数が過ぎれば、おそらく母の方が先に死ぬ。俺は生き残り、母に俺を許す機会さえ与えられない。

 申し訳ないことだと思う。