天国について

天国に行きたいか?

 死んだ後に行く天国というのは、どういう場所なんだろうな、と考えることがある(ちなみに、俺自身は無神論寄りで、特定の信仰を持たない)。

 そもそも、天国に行ったとき、俺は何歳の姿になるのだろうか? 死んだときの年齢なのだろうか? それとも、好きな年齢のときの俺なのだろうか?

 そして、天国には他の人たちもいるはずなのだが、そのとき彼ら・彼女らはいったい何歳のその人たちでいるのだろうか? その人たちも、自分の好きな年齢の姿でいるのだろうか?

 

 俺にはこれまで、幸せだった時期というのがあまりなく(幸せだった出来事はある)、あえて挙げると、本当に10歳以前にさかのぼってしまう。であるから、例えば天国の俺が10歳に戻ったとして、俺の父母に天国で会うことを考えてみる。

 俺としては、今の自分の姿が10歳なのでその頃の40代の父と母でいて欲しいが、二人には二人の「この時代のこの姿」というのがあるとすると、年齢とか時期が食い違ってしまう。

 俺、10歳。母も10歳。父だけ80歳とか、そういうことになるかもしれない。

 10歳のお袋と80歳の親父に会ってもなあ、と天国にいる10歳の俺は思う可能性がある。…と、これは逆の立場にも言えて、80歳の父としては40代の俺に会いたいのかもしれないし、どうもうまいこと行かない。

 

 どうすればいいかというと、天国が一人一人、別々にあればいい。

 俺の天国では、俺は10歳で父と母は40代。

 父の天国では、父は80歳で母も80歳、俺は40代。

 母の天国では母は10歳、俺と父は、もしかするといないかもしれない(いて欲しいが)。

 もちろん、神の用意する天国だから全く別の魔法のようなロジックで動いていてもおかしくないが、どうも今の理性では、天国は個々人に分かれているもの、という方が腑に落ちる。

 だから、思う。天国って孤独だなあ。どれだけそこで幸せで、もう何の心配もなくても、本当にいるのは自分だけなのだから。

 

はてなブックマーク、ミュート機能導入 

bookmark.hatenastaff.com

 はてなブックマークは、ユーザーの投票形式でプラットフォームにニュースやウェブ記事を表示し、それにコメントをつけることができるSNSの一種だ。気に入ったユーザー(ブックマーカー)をフォローしてコメントを確認したり、誰かのつけたコメントに星をつけたりすることができる(twitterのふぁぼに該当する)。

 以前から、「特定の話題や人物に関するニュースをトップ画面に表示させたくない」という意見が一定数あって、運営がそれに対応してくれたかたちだと思う。

 

 ヘビーユーザーでありながらこう言うのもなんだけど、俺は、仮に利用者が不快になろうとも利用時間の合計が増えるならいかなる手でも使うという点で、すべてのSNSは邪悪だと思っている。

 普通に考えると、不快な体験が続けばそのサービスから去りそうなものだが、そうもいかないのが人間の不合理なところで、不愉快なニュースにわざわざコメントをつけ、かえって怒りを増幅させたりする。そして、SNSを提供する側としては、利用時間が増えるならユーザーが怒ろうがなんだろうがかまわないのだ。

 

 SNSがユーザーの快適さを気にかけるのは、不快さが利用時間や利用者の減少につながっていると判断した場合だけだと思う。

 そういう意味で、今回のはてなブックマークの動きは興味深くて、もしかすると、ユーザーが減っているのかもしれない。ユーザーがうなぎ上りに増えているなら、こういう手は加えないはずだ。減少していることの一因に、「見たくないものばかり出てくる」というのがある、運営がそう判断したのではないかと思う。

 

 SNS等で自分に快適な環境をセッティングした結果、表示される内容が偏り、さながら泡に閉じ込められたようになってしまうことをフィルターバブルという。

 自分にとって不都合な情報でも、それが正しく、俺たちの立場をうまくバランスしてくれるものなら視界に入るべきで、フィルターバブルが完成するとそれが果たせなくなってしまう。そうすると、同じような意見を持つ人たちとしか接点が生まれず、考えが極端になる危険性がある。

 それはまずい。そして、もっと根本的に、情報=他者と接触しているのに快適なだけ、という状況そのものが、上で書いた「天国」のように孤独で横暴な世界観と同義なんじゃないか、という気がする。

 つまり、ただ快適なだけの環境というのは、同じことを考えている者同士で集まっている、というグループですらなく、本当はたった一人なんじゃないか、と思う。

 そう考えると、少しヒヤリとする。

 俺は10歳でいたいから、あなた(両親)は40代でいてくれよな、と俺が願うときの両親が、本人たちとは無関係のがらんどうでしかあり得ないように、環境を突き詰めていくと、集団でさえやがて分解してしまうのではないだろうか。

 

 …というのは妄想に過ぎない話で、ありがたく、いくつかの話題についてミュートさせてもらおうと思っている。でも、こういうことを進めていくと、と考えたときの「ヒヤッ」とする感じも覚えておくつもりでいる。