結局、一番怖いのは「映画」ということですよ…『NOPE』の感想について 1/2

※ この記事に人種差別の意図はありませんし、私個人もあらゆる点で反対する立場ですが、以下の文章がそう読めてしまったら私の想像力や知識の不足です。すみません。

 

はじめに

 めちゃめちゃ面白かった。世の中的には、まあまあって評価みたいですが。

 カテゴリーとしてはホラーとかSFだと思う。ただ、どのジャンルかよりも、描きたいものというか、テーマの方が重要な作品だと思っている(それが何なのかは後で書く)。

 

 雰囲気的には、『メッセージ』(ばかうけみたいな形の宇宙船がやってくる、船のかたち以外はすごくシリアスで面白いSF)とか、一番最初の『ジュラシック・パーク』に近い気がする。マジで。

 強大で得体の知れない存在。すごいパワーを持つだけでなく、行動の目的が理解できないもの。

 こうしたブラックボックスをどうやって理解し、コントロールするか(もしくは、できないか)、これがテーマの一つだと思う。

 ちなみに、タイトルの"NOPE"とは否定や、「あり得ない」の意。

 

あらすじ

 アメリカの田舎で馬牧場を経営する黒人の親子が、外で馬の世話をしている。そのとき、馬に乗っている父親の周囲で地面から無数の砂煙が立つ。

 どうも、何かが上空から大量に落下してきて、それが地面に当たっているらしい。馬がゆっくりと歩き出して、息子の目の前で父親は落馬し、地面に崩れ落ちる。

 父親は病院に搬送されるが、上空を飛んでいた飛行機から落ちてきた硬貨が頭部を直撃していて、亡くなってしまう。

 季節が変わって、息子(OJ)は映像作品に馬を出演させるための調教師として、馬と一緒にスタジオに呼ばれている。しかし、他の参加者が動物の扱いを心得なかったせいで馬がトラブルを起こし、仕事を白紙にされてしまう。

 スタジオに同席していた妹のエメラルド(通称はエム)と一緒に牧場に帰ったのち、OJは妹に、父の死因となった硬貨は飛行機が落としたものではないと思う、と告げる。

 この一帯の上空を「なんだかわからない巨大なもの」が住み家にしていて、人や馬を狙っており、コインはそこから落ちてきたんじゃないか、とOJは推測している。

 実は、父の死以降、牧場の経営は苦しくなっていて、近郊にあるテーマパークに馬を買い取ってもらって存続している状態になっている。エネルギッシュで目立ちたがりなエムの提案で、二人はこの「空にいる何か」の撮影に挑み、一攫千金を目指す。

 

嘲弄(ちょうろう)について(動物に向けて)

 物語の冒頭で、旧約聖書の一説が引かれている。

「私は汚らわしいものをあなたに投げかけ、あなたを辱め、見せ物にする」-ナホム書3章6節)

 ここで「私」と言っているのは旧約聖書の神、「あなた」というのはメソポタミアにあるニネベという街の指導者に向けて呼びかけている(と思う)。私(神)が導く軍勢によってニネベはいずれ破壊され、あなた(指導者)は敗北して名誉を失う、ということだ。

 これを『NOPE』に当てはめるとどうなるか。

 この映画では、動物が繰り返し、人間によって利用される場面が描かれる。もっと強い言い方をすれば、おとしめられ、搾取されている。

 例えば、OJが飼育している馬はスタジオの撮影でトラブルを起こしてしまうのだが、その背景には、現場の配慮が欠けていたのがある。また、ゴーディという名前のチンパンジーの場合はもっと悲惨な事態を起こす。

 ゴーディはアメリカのホームドラマに出演していたのだが、あるとき、共演者たちから受けるストレスが限界に達し、撮影中にむごたらしい暴力事件に発展する。馬たちやゴーディに対する人間の姿勢と、先に出てきたナホム書の言葉を組み合わせると、まず、人間たちが動物を利用し、見世物にしている、というのが見える。

 ただし、この「私は汚らわしいものをあなたに投げかけ~…」は、深読みしようと思うと、かなり違ったものが見えてくる気がする。そのことについては2/2で書く。

 

嘲弄(ちょうろう)について(黒人に向けて)

 ここから、ネタバレを含む。

 

 

 

 

 

 

 『NOPE』の中で嘲り(あざけり)の対象となっているのは、動物だけではなく、黒人も軽んじて見られていると思う。

 OJの馬がスタジオでトラブルを起こしたとき、現場のスタッフは黒人であるOJの注意にまったく配慮をしなかった。ただ、これだけでは映画のメッセージを受け取るのに弱いので、もう一つ挙げるなら、OJの妹であるエムの言葉がある。

 人間が作った最初期の映画に、『動く馬』というものがある。そして、エムによると、このとき騎手を務めた人物は黒人だったのだという(これが史実かどうかは知らない)。

 つまり、映画というのはある意味で、黒人から始まっている。しかし、この人物は名前はもちろんのこと、騎手が黒人であったことを覚えている人は誰もいない、とエムは続ける。

 

 『NOPE』を「軽んじられている黒人」というテーマから観るのが重要だと思うのは、そこに政治的なメッセージがあるなら理解したい、と俺が思ったからだが、もっと単純な理由がある。

 それは、映画の世界から忘れ去られた黒人が映画にカムバックする、という風に物語を観た方が、『NOPE』はずっと面白いし、興奮するからだ。

 

 映画が佳境に入り、「空にいるもの」(新たに、"Gジャン"という仮称がついている)を撮影する作戦が本格化する。狙ったポイントにGジャンを誘導し、この怪物からできるだけ早いスピードで逃げながら、その様子を映像に残すことになる。

 ちなみに、Gジャンは宇宙人というより宇宙生物だ。あまり、その正体をめぐる部分に期待して劇場に行かない方がいいとは思うが、個人的には気持ち悪くって好きです。エヴァ使徒か? と言われるとよくわからないけど(影響を受けているらしい)。

 このGジャンの特性として、その付近にいる電子機器はすべて機能を停止してしまう、というものがある。ビデオカメラも、自動車やオートバイなども動かなくなる。

 それでも、Gジャンを撮影しようと思ったら、どうすればいいか。電力を使わない映像機器と、電気を必要としない乗り物を使うしかない。

 つまり、大昔の、手回しフィルムと、馬。『動く馬』の時代に帰ってくるのだ。『動く馬』から忘れ去られた黒人が、もう一度、古くからの手法で映画を「取り戻す」ことになる。

 映画の終盤で、OJはGジャンから追われながら、荒れ地を真っすぐに、馬を駆って走っていく。怪物から逃げる光景がエキサイティングなのはもちろんだけど、「OJはいま、失われたものを取り戻そうとしているんだ」と思って観た方が、『NOPE』は絶対に面白い。

 

 ただし、だ。これは、考えようによってはかなり危険な鑑賞方法だと思う。

 それは、歴史的な正しさや相手の政治的主張の検証を一度、脇において、「とりあえず、相手の言っていることが正しいと仮定してストーリーを追った方が面白い」ということだからだ。結構危ういところがあると思う。

 だから、みんなもこうやって観たらいいよ、とは言わない。俺はこう観た、という話だ。

 

 そして、実際のところ、『NOPE』は黒人による単純な反撃なのか、というとよくわからないところがある。

 それが監督の意図なのか、作品が生んでしまっている齟齬なのか不明だが、ちょっとここは気になるぞ、という部分があるので、それは2/2で書く。

 

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