『HUNTER×HUNTER』37巻の感想について。2026年に再び会いましょう

はじめに

 内容の考察は俺よりずっと頭のいい人たちが色々書いているだろうから、あくまでいち読者として「やっぱすごいねぇ」と感心したところを紹介していく。

 

表紙

 ホイ・コーロ国王の婚外子にして二線者、モレナ=プルード。

 37巻で一番ノックアウトされたのが、話の展開でも台詞回しでもなく、この絵だった。絶対に話しかけたくない顔をしている。この人が夜に自宅の前に立ってたら100パー泣く。

 劇中のモレナは、虚無的で無軌道であっても割りと明るい描かれ方をしていた印象があるけど、写実に寄せて描くと、この表紙のようなビジュアルになるのかもしれない。ただ、悪意のネテロ会長のようにベーシックな絵柄を壊し、違った雰囲気でキャラクターを描き直せるのも『HUNTER×HUNTER』という漫画の特徴なので、別に、本編でモレナがこんな具合に、リアルに描かれてもいいんである(ちなみに37巻にモレナは出てこない)。

 

リハンのかわいさに感じる無駄のなさ

 攻撃対象の情報を自分で推理することで攻撃力が上がる念「異邦人(プレデター)」を持つリハン。

 37巻でターゲットを攻撃した後に交わした仲間との会話で、別のターゲットに関する情報を聞かされてしまい、「そこまで他人から教わると『異邦人』が使えないんだけど…」とぼやく場面があってかわいい。

 それと同時に、無駄がないな〜と思う。このシーンで、「① リハンという冷徹な職業軍人に対して愛着を持たせる」「② リハンの能力を再確認する & 次のターゲット暗殺でリハンは主な任務を負えないというアナウンス」が済まされているからだ。

 作劇において合理性を突き詰めると、キャラクターが人形劇のようになって没入感がなくなってしまうのでは、と思うことが多いが、これは上手くやっててすげーよなー、と思う。もし今後、リハンが継承戦の中で死亡したら(大いにあり得る)、俺は冨樫の思い通り、ショックを受けるだろう。

 

HUNTER×HUNTER』における魂の扱い

 魂というか人格というか、が他人に乗り移る能力がしれっと出てきて、この辺の適当さも良い意味でずるいよな〜と思う。

 基本的に、この漫画を読むときは、死んだら終わりの一回きりの命のやりとりを読んでいるつもりでいる。だから物語の緊張感がすごいし、キャラクターが死んで脱落すれば悲しいし、「カミーラの能力ずりぃだろ」とか思う。

 でも、魂という生物学的な死では破壊されない概念が出てきて、「あ、死んでも完全に終わりではないらしい」と思う。

 ただ、この「魂」がうまい具合に存在感がないというか、37巻でも何人かキャラクターが死んで、さらには、わざと死んではじめて機能する自爆部隊みたいな連中が出てきても、ちゃんと悲しいし、こいつらヤベェな、という感じが残っている。

 そういえば、蟻編の最終盤でも魂という概念に触れてはいた。それでもやっぱり、キャラクターが死んだらショックなわけで、死と魂の扱いについて、その辺の重なり方が上手いというかずるいというか。

 

バショウのフリースタイルバトル

 確かに、得意そうだけど。

 これも作劇の合理性と関係あるのかも。物語の情報量をうまくどんどん圧縮していくと、どこかにこういうシーンを詰めこめる余白ができて、それが結果として、キャラクターへの愛着につながっていく。

 

キーニの自害

 優秀なキャラクターは、窮地におちいった味方を救える一方で、「こいつがいたら、この窮地を『解決してしまう』んだよな」という邪魔な存在でもあって、それを上手く間引いたなあと思う俺はドライだろうか。

 

「ね 危険でしょ?」

 大人になってわかることの一つに、仕事の現場においては問題を魔法のように解決できる能力やツールが求められる一方で、解決が行ったり来たりしながら少しずつ進むことを前提として培われた技術や、単に「あんまり早く進むとついてないんですけど」みたいな時間感覚が存在する、というのがある。

 もしも本当に、現場の問題を一瞬で解消してしまう存在が現れると、これまで蓄積されたものがいきなり無価値になったり、それが逆にデカい摩擦を生んでみんな疲れたりする(不効率なだけなんだから、黙って消えろ!というのが、正しいは正しい)。いまの継承戦で旅団がやってるのはそういうことだと思う。

 そういうのを少年マンガで描くのはすごいね〜と思った…けど、これって要はなろう系?

 

ツェリードニヒもさ、「いいやつ」だよな

 自分勝手で暴力的な殺人鬼として登場し、それはまあ、いまでもそうなんだけど。ただ、念の世界におけるビギナーとしてテータに教わる態度は優秀な生徒そのものだし、人間味だって持っていて、裏切られれば動揺する。

 物語というものが、現実の誇張ではあっても、そこから乖離してはならないとするなら、俺はやっぱりこういうのがいいと思うんだよな。クソ野郎でも、まともな部分をさしはさんでいくいくべきだと思う。

 第一王子のベンジャミンにも同じことが言えて、ただの冷徹な脳筋と見せかけて、部下の言うことはちゃんと聞くし、人望もあるという。そういう新しい部分を見せてくれる物語が好きだし、そういうのが「いいキャラクター」だと思っている。

 

センリツの3分間はツェリードニヒのアキレス腱になるか?

 これはもう、大勢の人が考察していると思うが書いておく。

 ツェリードニヒが10秒間の予知夢に目覚めたのと偶然同じタイミングで、センリツが王子脱出計画のため、「音楽によって聴いたものを3分間忘我させる能力」を使う。

 気になったのは、この場面で描かれている時間の流れと、描写されている置時計の時刻だ。

 ツェリが予知夢に入ったのが置時計で8時58分ごろ。ツェリはそこで、自分がテータに銃撃されるのを予知する(10秒間の予知)。

 ツェリはテータの裏切りに驚きつつ、撃たれるところから離れる。テータはこれに気づかないままツェリ(がいた場所)を撃つ。

 そこでセンリツの3分間の演奏が始まる。ツェリもテータも演奏の影響を受け、9時3分ごろに曲が終わり、同時に我に返る。センリツの演奏を差し引くと、テータがツェリを撃ったのは9時ちょうどあたりになる。

 

 あれ? と思う。

 ツェリが予知夢に入る(8時58分)⇒10秒間の予知⇒テータの銃撃(9時ちょうど)で2分間も経っている。予知通りにテータが動いた10秒間をいくらかふくらませても、それで2分もかかるだろうか?

 

 予想なのだが、ツェリの予知夢にはツェリ自身も把握していない空白の時間帯があるのではないだろうか?

 2分も経ってないだろう、というだけでなく、(絶必須という条件はあっても)ツェリの能力が強力すぎるため、どこかに制約が必要では、と俺は考えた。この辺が、センリツの介入によって、その辺がツェリと読者から迷彩されているのでは、という推測をしている。

 

サラヘル

 死の覚悟が決まってるのと同時に、日常の延長で軽口をたたく余裕もあるという、彼女が「ボケ」と表現した、まさに軍人だと思う。俺は、任務遂行の直前で人情が目覚めてしまうオチだと思うな。

 

 以上。面白かったです。では、2026年に再び会いましょう。