『「超」怖い話Μ』について

はじめに

 評価は次のように行います。

 まず、総評。S~Dまでの5段階です。

 S…価格、提供される媒体に関係なく手に取るべき。恐怖のマスターピース

 A…購入推奨。もしくはkindle unlimitedにあればぜひ勧める。恐い。

 B…購入してもよい。もしくはkindle unlimitedにあれば勧める。

 C…図書館で借りる、もしくはkindle unlimitedなら読んでもよい。

 D…読むだけ時間のムダ。ゴミ。(少なくとも俺には)。

 

 続けて、本の中で印象に残った作品を評価します。

 ☆…それ一品で本全体の価格を担保できてしまうような作品のレベル。

 ◎…一冊の中に三品以上あると、その本を買ってよかったと思えるレベル。

 〇…一冊に七〜八品あるとその本を買ってよかったと思える作品。

 

 最後に、あらためて本全体を総評します。

 

 こういう書き方をするのは、初見の人に本を勧めつつ、できるだけ先入観を持たない状態で触れてほしいからで、評価が下に進むほど、ネタバレしてしまう部分も増える、というわけです。よければ、こちらもどうぞ。

 実話怪談という「本」について - 惨状と説教

 

総評

 B。

 平山夢明/久田樹生/松村進吉作。2008年刊行。

 

 「超」怖い話シリーズ第12弾。平山夢明は今作で卒業となり、同氏を含めた三人の作品が収められている。

 

各作品評

 おりん…◯。んなアホな、という話だが、恐怖を過剰にあおろうとしない落ち着いた筆致なので、なんとなく納得してしまう。三段オチ的な構成の影響もあるかも。
 掘り猿…◯。恐怖というより奇談の類。猿の怪異が実在するのか、謎の男の不可思議な力で病気がそういう風に見えるのか、色々と想像させる。
 吐瀉物…◯。山は何があってもおかしくない感がある。たまたま異常に巻き込まれたのか、何かの警告なのか、判断がつかない感じもよい。
 莫迦だねぇ…×。語り手の老人はいわば加害者なわけだから、怪異による人死にの原因かもしれない人物から怪談収集頑張れよ、と言われても、「自分のこと棚に上げて何言ってんだよ?」という気はする。
 塚崩し…◯。平山夢明得意の「業界モノ」。軽妙な掛け合いにも関わらず妙な緊張感が溜まっていく感じは、落語の会話を思わせる。
 

あらためて、総評

 本としての出来は悪くない。そして、良くもない。それでも「Θ」よりは高く評価していて、各作品評で書いたとおり、ぽつぽついい作品はある。

 なお、一冊に収録されているのが計30編というのは、実話怪談というジャンルにおいてはかなり少ない(30編で「少ない」のだから、つくづく異様なジャンルだ)。

 つまり、1編が比較的長いということになるが、その分量を生かして恐怖を高められた作品は見受けられなかった。冗長なのだと思う。

 

 あと、実話怪談におけるある種のタブー? みたいなものに触れつつ、一点批判しておく。

 

 ① 作品の前半でオバケの存在が匂わされる。

 ② ある日、その存在感が特別に高まる。

 ③ 満を持して、グロテスクなオバケが襲ってくる。

 ④ 体験者気絶する。気づくと〇〇にいた。

 

 というのは、実話怪談における一つの黄金パターンである。

 気絶したあとオバケは続けて攻撃してこないの? というのは言うだけ野暮で、この形式自体をどうこう言うつもりはないが、『「超」怖い話Μ』はそれが多すぎる。

 本の中盤なんて、三つ連続でそういう作品が固まって体験者がそれぞれ気絶しており、当然、読み手としては恐怖を感じることはなく、ただ脱力した。

 実話怪談なんて、そもそもが真偽の疑わしいセンサイな世界観なのだから、その点は配慮するべきだと思う。

 

 第22回はこれでおわり。ちなみに、今回で平山夢明が関わる「超」怖い話のストックがなくなりました。お疲れさまでした。

 次回は、『第三脳釘怪談』を紹介します。以上、よろしくお願いいたします。

『「超」怖い話 庚』について

はじめに

 評価は次のように行います。

 まず、総評。S~Dまでの5段階です。

 S…価格、提供される媒体に関係なく手に取るべき。恐怖のマスターピース

 A…購入推奨。もしくはkindle unlimitedにあればぜひ勧める。恐い。

 B…購入してもよい。もしくはkindle unlimitedにあれば勧める。

 C…図書館で借りる、もしくはkindle unlimitedなら読んでもよい。

 D…読むだけ時間のムダ。ゴミ。(少なくとも俺には)。

 

 続けて、本の中で印象に残った作品を評価します。

 ☆…それ一品で本全体の価格を担保できてしまうような作品のレベル。

 ◎…一冊の中に三品以上あると、その本を買ってよかったと思えるレベル。

 〇…一冊に七〜八品あるとその本を買ってよかったと思える作品。

 

 最後に、あらためて本全体を総評します。

 

 こういう書き方をするのは、初見の人に本を勧めつつ、できるだけ先入観を持たない状態で触れてほしいからで、評価が下に進むほど、ネタバレしてしまう部分も増える、というわけです。よければ、こちらもどうぞ。

 実話怪談という「本」について - 惨状と説教

 

総評

 D。

 松村進吉/深澤夜/原田空作。2020年刊行。

 

 現在、「超」怖い話は、以前平山夢明とタッグを組んでいた加藤一が編著を務める干支シリーズと、松村進吉編著のもと、三人合同で書く十干シリーズの二つが同時に走っている(らしい)。
 今作は、その十干シリーズの方の最新作。
 評価はからい。後述。 
 

各作品評

 亀…×。地元に。触っちゃいけないオブジェクト、ないがしろにしちゃいけない風習があるなら。
 先に言え。理由と一緒に。
 先に言え。理由と一緒に。
 先に言え。理由と一緒に。
 2020年にもなって。
 10年以上前の怪談スレでもないだろうに。
 まだこんな「もどき」が出てくるのか。
 という話。
 記残…×。「子供や妊婦が不幸になると嫌な気持ちになりますよね」「はい。そうですね」
 というだけの話。
 淡日…×。『ジョジョの奇妙な冒険』第3部への熱いリスペクトを感じる話。
 優撫…×。「子供や妊婦が不幸に…」
 というだけの話。
 埋夢…×。「子供…」
 というだけの話。
 ここに誰かがいる…◯。会話が軽妙でよい。
 ドライブ…◯
 失せ物…◯。物が移動するという、割と無茶なことが起きているのだが、「一旦手元で確認する」というプロセスを挟むとなんか曖昧になってしまうのは不思議だと思う。
 引率…◯。オバケ側の動機がわからないところ、特に説明されないところがよい。
 眺めの良い部屋…◯
 テストパターン…◯
 ある店子…◯
 

あらためて、総評

 小さい子供の不幸に関する直接的な表現があるので、読みたくない方はおやめください。

 

 今作は三人の書き手による作品群から構成されているが、そのうちの一人による作品全般に、きわめて強い不快感を抱いた。

 個人の趣味や方向性として波長が合わない、ということではなく、ちゃんと整理して批判するべきものだと感じたので書いておく。作家には猛省して欲しい。

 

 当該の作家の怪談では、小さい子供や妊婦、場合によっては胎児まで、弱い存在が次々と理不尽に不幸な目に遭う。

 そういうことを題材として扱うな、ということではない。むしろ、実際にそういう重大な悲劇があったのなら、世に送るのが実話怪談の役目だろうと思う。

 

 ただ、実話怪談というのは、言い換えれば、目に見えない力やオバケが実在することを主張する作品だ。そもそもが疑わしいところから始まっているのだから、話の中に矛盾や瑕疵がないか、厳しく見られることになる。

 大きな不幸であれば尚更で、深刻なテーマを扱うなら、そういう惨事が本当にあったことを読み手に納得させることに、書き手は心血を注ぐべきだ。

 

 そのうえで(もし可能なら)聞きたいんだけど、「本稿を書き起こすに当たり」「幾つかの書物や文献を紐解いた」んだよな?

 じゃあ、今はもうない村で行われていたという陰惨な祭事について、似たような事例は見つからなくても、作者がどういう資料を期待してどこの文庫や図書館のどういう記録を調べ、どれだけの数にあたり、「目的の祭りじゃないけどこういうケースは見つかった」かは書けるよな?

 書くべきだよな? 実話怪談のディテールって、そういうことだよな?

 

 あるいは別のケース、子殺しの母親を扱った怪談で、彼女が身ごもる胎児にいつも「特殊な畸形が見つかる」って?

 じゃあ、それがどんな畸形か、話の流れで耳にしてないはずがないし、書けるはずだよな?

 「特殊な」なんてぼかした表現しなくても、それが個人の特定につながるわけじゃないし、書けるはずだ。

 障害にも色々あるだろうけど、それはどんな異常で、生育のどのタイミングで発覚して、女性の配偶者はどういう反応を示して…書くべきことが無数にあるよな? それが、実話怪談のキモってやつだよな?

 

 書けるはずなのだ。「本当にそういうことがあったのなら」。「弱い者の不幸を適当にでっち上げて実話怪談と名乗ってるだけじゃないのなら」。

 

 透けて見えるようだ、と思う。

 弱い者が理不尽に災難に遭うという深刻な不幸と、それを実話として世に送るなら絶対に伴うべき誠実さの欠損。

 その異様なズレが、単に、「弱者が、できるだけたくさん、不幸に遭ったら読者が嫌な気持ちになるだろうな」という安直な発想から生じているのが、透けて見えるようなのだ。

 ただ、実話怪談の作家として、書くべき事実の積み重ねに対する感性があまりに鈍すぎる、という可能性もある。「嘘つき」か「下手くそ」か、どちらが正解か、俺にはわからない。

 わからないから、悪いが、より自然な解釈である前者を選ばせてもらう。万が一後者であるなら、次の本からは改善されていることを期待する。

 

 各作品評を見ると、当該の作家の作品以外は良い怪談もある(『亀』は上記の理由でいただけなかったが)。

 しかし、今回批判したような作品が一部にあると、本全体の印象に影響する。そういう意味でも、あまりに罪が深い。

 一方で、実話怪談というジャンルの中からこういう作品をくくり出して批判し、(俺自身のために)どこが気に入らないか整理することは、今回の企画の目的そのものだった。だから、感謝の意も表しておきたいと思う。

 

 第21回はこれでおわり。次回は、『「超」怖い話Μ』を紹介します。以上、よろしくお願いいたします。

 

『黒木魔奇録 狐憑き』について

はじめに

 評価は次のように行います。

 まず、総評。S~Dまでの5段階です。

 S…価格、提供される媒体に関係なく手に取るべき。恐怖のマスターピース

 A…購入推奨。もしくはkindle unlimitedにあればぜひ勧める。恐い。

 B…購入してもよい。もしくはkindle unlimitedにあれば勧める。

 C…図書館で借りる、もしくはkindle unlimitedなら読んでもよい。

 D…読むだけ時間のムダ。ゴミ。(少なくとも俺には)。

 

 続けて、本の中で印象に残った作品を評価します。

 ☆…それ一品で本全体の価格を担保できてしまうような作品のレベル。

 ◎…一冊の中に三品以上あると、その本を買ってよかったと思えるレベル。

 〇…一冊に七〜八品あるとその本を買ってよかったと思える作品。

 

 最後に、あらためて本全体を総評します。

 

 こういう書き方をするのは、初見の人に本を勧めつつ、できるだけ先入観を持たない状態で触れてほしいからで、評価が下に進むほど、ネタバレしてしまう部分も増える、というわけです。よければ、こちらもどうぞ。

 実話怪談という「本」について - 惨状と説教

 

総評

 A。

 黒木あるじ作。2020年刊行。

 

 現代の怪談から近代の民話調のもの、テープ音声にまぎれ込んだ怪異を書き起こした変わり種から、昨今のテレワーク事情を題材に扱ったものまで、様々な怪談が収録されている。

 黒木あるじの怪談の特徴として、怪談それ自体を少し高みから見ているというか、俯瞰しているような構造をしていることが挙げられる。

 例えば、怪談一つ一つが単独で完結せず、個々の作品同士が結びついていて別の全体像が浮かび上がってくる、という構成は、他の作家ではあまり見られない。

 また、最初はありきたりな怪談が語られ、「よくある類の話だな」と思わせておいて、最後にもう一段意外な方向に作品が展開する、という手法もよく登場する。

 怪談における恐怖の演出について、新しいものを貪欲に追及している作家。そういう風に評価できると思う。

 この作品は、kindle unlimitedで読めます。

 

各作品評

 奇録、あるいは鬼録…〇

 しかつき…〇。民話の色合いが濃いが、怪異による祟られ方がまったくわけがわからず、極めて不気味な話。

 きつねつき…〇。同上。

 困…〇

 讐…〇

 燃…〇

 誰…〇

 

あらためて、総評

 総評Aはいくらか甘くつけさせてもらった。

 

 最初に断っておくと、黒木あるじのことは作家として好もしく思っている。上で書いたとおり、怪談を通じて恐怖を表現する方法について、常に新しいものを追及している意欲的な書き手だと思う。

 ただ一方で、作家としてのこうした長所が、ある種の弱点に反転してしまうところがあるという気もしている。

 どういうことかというと、他の作家の怪談では見受けられないような珍しい技法が、そのまま、どうやって読者を怖がらせようとしているかという書き手の意図を如実に表してしまい、読んでいて冷める瞬間があるということだ。

 

 これは、実話怪談というジャンルのどこに魅力を感じるか、という話にもつながってきて、かなり難しい。

 俺は、乱暴な考えではあるが、実話怪談の味わいの一つは、説明のつかなさにあると思っている。実話怪談には、ある程度理不尽で、底の知れないものであって欲しい。

 そういう恐怖を描き出すとき、話の書き手には、できる限りその姿を「隠していて欲しい」。正体のわからない恐怖に触れたいと望むとき、作家の側が何をしようとしているかがハッキリしすぎていることは、その妨げになることがある。

 ユニークで、それゆえに書き手の狙いが前面に現れがちな黒木あるじの作風は、そういう意味でギリギリというか、意外と諸刃の剣であるような気がする。

 怪談が持ち込む恐怖が、こうした作者の意図を覆い隠すほど強烈であればなんの影響もないが、『黒木魔奇録 狐憑き』における各作品の恐ろしさは、ところどころでそれを覆いきれていなかったとも感じる。

 

 もう一つ、今回の本で、黒木あるじ自身が直接怪異を経験している場面が多くあることも気になった。

  『あめのせい』における、PCの画面に映ったもの。『傾向』における異常な藁人形。『二時』における、棚に置いてあるのが全部落ちてきたという本、『じみてる』における文字化けしたメール…。

 別の記事で、作家自身が怪異を体験しているケースをボロクソ批判したように、俺はそういう怪談を嫌う。憎んでいるといっていい。

 自身で怪奇を直接体験しているなら、それを写真なり映像なりにして持ってきた方がはええじゃん。

 文章に起こすなんて、なぜそんな、まどろっこしいことするの?

 っていうか、ぶっちゃけ嘘くさいんだよな、そういうの。

 正直そう思っている。

 

 もちろん、文章とそれ以外のメディアでは、表現できる恐怖の質が違う。それぐらいはわかる。

 ただ、実話怪談というのは突き詰めれば、「オバケの存在証明」だと俺は思っている。

 この世にいないはずのオバケが実在することを信じるために、また、自分ではオバケを体験できないために、我々は怪談を読む。

 そしたら、怪異が目の前にあるのに文章なんかで説明してる場合じゃねえじゃん。写真や動画に撮ったら一発じゃん。

 そんなの加工でいくらでもそれらしく作れるわけだが、それ言ったらそもそも、文章で怪異を報告される方が100倍信用できねえわ。

 怪談作家が自身で霊体験(特に何かが物質としてあとに残る経験)をしておきながら、それをわざわざ文章で説明しようとすることは、ロジカルに詰めると、実話怪談そのものへの疑いにつながっていく。怪談という世界自体が壊れる危険をはらむ。

 だから、俺はそういう怪談を好まない。俺の中の一線の話だ。

 

 第20回はこれでおわり。次回は、『「超」怖い話 庚』を紹介します。わりとからい評価になるかもしれません。以上、よろしくお願いいたします

 

黒木魔奇録 狐憑き (竹書房怪談文庫)

黒木魔奇録 狐憑き (竹書房怪談文庫)

 

 

『「超」怖い話Κ』について

はじめに

 評価は次のように行います。

 まず、総評。S~Dまでの5段階です。

 S…価格、提供される媒体に関係なく手に取るべき。恐怖のマスターピース

 A…購入推奨。もしくはkindle unlimitedにあればぜひ勧める。恐い。

 B…購入してもよい。もしくはkindle unlimitedにあれば勧める。

 C…図書館で借りる、もしくはkindle unlimitedなら読んでもよい。

 D…読むだけ時間のムダ。ゴミ。(少なくとも俺には)。

 

 続けて、本の中で印象に残った作品を評価します。

 ☆…それ一品で本全体の価格を担保できてしまうような作品のレベル。

 ◎…一冊の中に三品以上あると、その本を買ってよかったと思えるレベル。

 〇…一冊に七〜八品あるとその本を買ってよかったと思える作品。

 

 最後に、あらためて本全体を総評します。

 

 こういう書き方をするのは、初見の人に本を勧めつつ、できるだけ先入観を持たない状態で触れてほしいからで、評価が下に進むほど、ネタバレしてしまう部分も増える、というわけです。よければ、こちらもどうぞ。

 実話怪談という「本」について - 惨状と説教

 

総評

 S。
 平山夢明作。2007年刊行。
 
 「超」怖い話シリーズ第10弾にして、初の平山夢明単著。
 もう一度言う。
 「超」怖い話シリーズ初の、平山夢明単著である。
 
 加藤一とタッグを組んでいた従来の形式から離れたためか、本全体から、平山夢明単独の意図…というか、もはや強烈な意志を感じる構成になっている。詳しい評価は後述。
 
 この実話怪談の本を紹介するという企画には、いくつか、目標にしていることがあった。
 一つ。俺の好きな怪談作家である我妻俊樹の作品をできるだけ紹介すること。
 一つ。「実話怪談」というおおざっぱにくくられがちなジャンルの中にも様々な書き手がいることを整理すること。

 一つ。そうした整理を通じて、俺の好きな作家のどこが好ましいのか、嫌いな作家のどこが心底嫌いなのかを明確にすること。

 この、『「超」怖い話Κ』について紹介することは、そんな目標の中の一つだった。第19回にして達成することができた。
 

各作品評

 孫娘…◯。後述。
 実験…◯
 一銭狸…◯。後述。
 衣…◯。同上。
 案内を乞う者…◯
 マリヤちゃん…◯。惨事スレスレなんだけど、なんか一粒ぐらい笑いの要素が混じっている感じ。
 前かご…◯。ヒールとバッグの見つかり方。ホラーのはずが、これも、なんでだよとちょっと笑ってしまう。
 シャボン玉…◯
 自死…◯
 猫と半分…◯。針が刺さる描写には美しさを感じる。緊張感。情景が目に浮かぶよう。
 
 以下は全て後述する。
 地下で声…◎
 布団…☆
 殲滅…☆
 上へ上へ…☆
 

あらためて、総評

 「超」怖い話シリーズ初の(そして実は最後の)平山夢明単著となったこの作品は、ある意味で、恐怖とはこういうものだと平山夢明が信じているもの、そのものだと思った。
 上で書いたとおり、本全体を通して、構成に対する強い意志を感じる。
 その信念みたいなものに、どこまで共感できるか。その意図をどこまで堪能できるか。
 読み手としてその狙いに付き合い、味わうことができれば、これ以上ない恐怖を体験できる。実話怪談というジャンルにおける一つのマスターピースだと思う。
 
 『孫娘』について。
 実話怪談の(一部の)愛読者というのは本当に変なやつらで、オバケのことなんて信じていないリアリストでありながら、その存在を感じて心底怖がりたい、という食い違った願望を持っている。
 作者はその倒錯した欲求に対応しなければならない。
 ただ、なにしろ基本的には現実的な連中なので、オバケが出ました、人が呪いで死にました、ハイ怖いですね、というだけの展開をきわめて嫌う。「何を非現実的なこと言ってるんだよ…」と呆れられてしまうだけだ(それを好んで読んでるのは自分たちなのに…)。
 そういう相手には、怖いんだかヘンテコなんだか、よくわからない話を持ってきてぶつけるのが効果的だったりする。
 『孫娘』もそんな話だ。オバケが堂々と登場する一方で、最後に登場する老婆のひと言によって、話の焦点が絶妙に狂ってしまう。
 結局なんの話なんだよ…? 良い意味で苦笑させられる。
 しかし、実は平山夢明の技巧によって、「オバケの実在」をひそかに飲み込まされてもいるのだ。現実主義者であるはずが、少し笑いを織り交ぜられたせいで、オバケを自分があっさり受け入れたことに気が付かない。
 そういう意味で、恐慌が渦を巻く、この本の終盤への下準備にもなっていると思う。
 
 『一銭狸』『衣』は恐怖というより奇談の類で、民俗的な話。ここで書かれていることを嘘だの本当だの言ってもしかたがない。
 しかし、「怪異は実在する」という土台が、ここでも着実に固められているとも言える。個々の話として読んでも面白いが、ある意味、すべては後半戦のために、という読み方も可能だと思う。
 
 そして、『地下で声』『布団』『殲滅』『上へ上へ』の四連続がやってくる。
 この構成に意図を読み取らないことは難しい。本の前半から、困惑や苦笑いといった怖さ以外の感情を利用して読者に刷り込まれてきた「オバケの実在」が、本の最終盤になってついに、恐怖の猛威を振るう。
 評価は、『地下で声』に◎、続く三作品にすべて☆をつけた。こんな本は、おそらくもう現れないのではないだろうか。
 
 『地下で声』『布団』『殲滅』、どの作品も、語り手以外の第三者が恐ろしさを伝えるのに大きく貢献している。
 実話怪談というジャンルは、どれだけ怖い体験であっても、死んでしまった者・心を病んでしまった者は語り手になれない、というジレンマを抱えている。恐ろしすぎる経験は、言い換えれば貴重な体験とも言えるのだが、当事者が全員再起不能になってしまえば、それを語ることは誰にもできない。
 しかし、だ。
 逆に言うと、一人でも正気を保てれば、残りは地獄の底まで行っても話として成立する、ということになる。
 『地下で声』の同僚。『布団』の友人たち。『殲滅』における語り手のかつての恋人たち。彼らは全員破滅した。
 唯一、語り手だけが生き残り、そのおぞましさを報告することに「成功した」。この三作品は恐ろしさは、破滅した者たちの存在に大きく支えられている。
 ちなみに一番ショッキングだった一節は、『布団』の「感極まったような歓声をあげた」。もう、感動を覚えるぐらいの絶望感があった。
 
 この三作品に共通している邪悪さは他にもある。どれも、わけのわからない巨大な仕組みのようなものに巻き込まれているという点だ。
 オバケや怪異とたまたま波長が合ってしまった、というレベルではない。彼女たちは、何か圧倒的に太刀打ちできないものの端っこに、不幸にも組み込まれてしまった。
 怪談とは、究極のところ、オバケを怖がるものではない。
 オバケはもちろん怖いだろう。しかし、それは、自分もいつかオバケと出くわして破滅するかもしれないという世界観に引っ張られたから恐怖を感じるのだ。
 読者はオバケではなく、世界そのものを怖がっているのだ。
 『地下で声』『布団』『殲滅』は、オバケの登場と同時に、この世界自体の闇の底知れなさを示している。そういう点で、あらためて賛辞を贈る。
 
 『上へ上へ』は美しい。
 本当に美しい。
 それは、他の作品が持つ恐怖とのコントラストでもあるし、あるいは、世の中そのものの邪悪さを表した『地下で声』『布団』『殲滅』に対して、ひたすら個人的な救済が描かれているという対比でもある。
 今回、この『「超」怖い話Κ』は、構成に対する平山夢明の強いこだわりを感じる、と書いてきた。『上へ上へ』を最後に配置したことによって、あらためて、実話怪談という一冊の本を作るうえでの、一つのフォーマットが完成している気がする。
 
 第19回はこれでおわり。次回は、『黒木魔奇録 狐憑き』を紹介します。以上、よろしくお願いいたします

『琉球奇譚 マブイグミの呪文』について

はじめに

 評価は次のように行います。

 まず、総評。S~Dまでの5段階です。

 S…価格、提供される媒体に関係なく手に取るべき。恐怖のマスターピース

 A…購入推奨。もしくはkindle unlimitedにあればぜひ勧める。恐い。

 B…購入してもよい。もしくはkindle unlimitedにあれば勧める。

 C…図書館で借りる、もしくはkindle unlimitedなら読んでもよい。

 D…読むだけ時間のムダ。ゴミ。(少なくとも俺には)。

 

 続けて、本の中で印象に残った作品を評価します。

 ☆…それ一品で本全体の価格を担保できてしまうような作品のレベル。

 ◎…一冊の中に三品以上あると、その本を買ってよかったと思えるレベル。

 〇…一冊に七〜八品あるとその本を買ってよかったと思える作品。

 

 最後に、あらためて本全体を総評します。

 

 こういう書き方をするのは、初見の人に本を勧めつつ、できるだけ先入観を持たない状態で触れてほしいからで、評価が下に進むほど、ネタバレしてしまう部分も増える、というわけです。よければ、こちらもどうぞ。

 実話怪談という「本」について - 惨状と説教

 

総評

 B。

 小原猛作。2020年刊行。

 

 琉球奇譚、のタイトル通り、沖縄を舞台とする実話怪談集。

 ユタや神人と呼ばれる、現世と異界をとりなす人々が身近にいる生活。作中に沖縄方言が頻繁に登場することもあって、その土地の雰囲気が色濃く伝わってくる。

 戦慄するほど怖い話はない。どちらかというと、柳田国男とか小泉八雲のような、民話めいた奇談が多い。

 ただ、風景や人物の描写は細部まで詰められており、ちゃんと取材なさってるんだろうな、という印象がある。セリフの書き起こし方も、実話怪談というフォーマットとしっかりかみ合っているという意味で、レベルが高い。

 

 この本はkindle unlimitedで読めます。

 

各作品評

 預言者…×。個人的に、大きな災禍に対して後出し(かどうかわからないけど)で怪奇・オカルトと結びつけてくる話がすごく嫌いなので。

 マブイグミの呪文…〇。「どんな気持ちだったのだろう、自分が死ぬ場面をそばで見るというのは。」。心霊の体験者の心に、恐怖以外の感情が残る話は好き。

 マブヤー落とし…〇。

 お盆を運ぶ…〇。特に沖縄関係ないようでいて、沖縄だったらこういうことがあってもおかしくないか…という、不思議な話。

 アチキとヌルキの女…〇

 ウヤファーフジとブサーの対決…〇。昔話の世界。会話の運び方が巧み。

 耳だけが…〇。これまでの沖縄的奇談から、唐突にぽっと抜け出している感じがしてよい。

 こぶし大の穴…〇。同上。

 にんじん…〇

 松川奇譚…〇

 

あらためて、総評

 沖縄というと、怪異について独特の扱い方、風習を持っている土地としてのイメージがある。

 大変失礼ながら、読み始める前は、そういう印象になんとなく乗っかっただけの作品なのでは、という警戒心を抱いていた。

 実際読んでみれば、そんなことはまったくない。沖縄の雰囲気や風習はもちろんベースにしつつ、そのうえで、語り手の人柄や現場の雰囲気が伝わってくる、誠実な怪談を書かれていると思う。

 総評で書いたとおり、読んだことを後悔するような強烈な恐怖はない。民話のような、どこか少しだけ能天気で、良い意味で読み手をぽい、とうっちゃって終わってしまう話が多いと思う。

 

 なお、第三部「ユタと神人の話」については、端的に言って合わなかった。

 個人的に、実話として読み続けるには、化け物についてこなれたものとして描き過ぎていると思う。また、会話の描写も、これそのものは作者の持ち味だと思うが、この章では寸劇じみた要素が強すぎると感じた。

 

 第18回はこれでおわり。次回は、『「超」怖い話Κ』を紹介します。以上、よろしくお願いいたします。

 

琉球奇譚 マブイグミの呪文 (竹書房怪談文庫)
 

 

 

『忌印恐怖譚 みみざんげ』について

今週のお題「読書感想文」

はじめに

 評価は次のように行います。

 まず、総評。S~Dまでの5段階です。

 S…価格、提供される媒体に関係なく手に取るべき。恐怖のマスターピース

 A…購入推奨。もしくはkindle unlimitedにあればぜひ勧める。恐い。

 B…購入してもよい。もしくはkindle unlimitedにあれば勧める。

 C…図書館で借りる、もしくはkindle unlimitedなら読んでもよい。

 D…読むだけ時間のムダ。ゴミ。(少なくとも俺には)。

 

 続けて、本の中で印象に残った作品を評価します。

 ☆…それ一品で本全体の価格を担保できてしまうような作品のレベル。

 ◎…一冊の中に三品以上あると、その本を買ってよかったと思えるレベル。

 〇…一冊に七〜八品あるとその本を買ってよかったと思える作品。

 

 最後に、あらためて本全体を総評します。

 

 こういう書き方をするのは、初見の人に本を勧めつつ、できるだけ先入観を持たない状態で触れてほしいからで、評価が下に進むほど、ネタバレしてしまう部分も増える、というわけです。よければ、こちらもどうぞ。

 実話怪談という「本」について - 惨状と説教

 

総評

 A。

 我妻俊樹作。2019年刊行。

 

 怪異であることは間違いないが、オバケであるかと聞かれるとわからない。

 「よくわからないもの」としか表現しようがないものに人々が巻き込まれて振り回される、我妻俊樹ならではの作品である。

 そこで起きる出来事には、説明らしい説明がほとんどない。しかし、かすかに心当たりがあるような(そうでもないような)ギリギリの線がある。

 

 心当たり。

 そうなのだ。我妻俊樹はたぶん、読者が無意識に抱えている心当たりをフックに使っている。

 ノスタルジー。さびしさ。罪悪感。自分でも遠い昔に忘れてしまったそういう感情に波長を重ねて、我妻俊樹は怪談を送っている。

 だから、意味不明なようでいて、まったく違う。他の、単に支離滅裂なだけの怪談を「不条理」というパッケージで提供する作家と違い、我妻俊樹の怪談はメチャクチャなのに「わかってしまう」。

 読み手が「わかってしまう」ことを知ったうえで、ある意味でその感覚を人質にとって、異常を描き出し続ける。そういう作家だと思う。

 

 この本はkindle unlimitedで読めます。

 

各作品評

 どの作品もよいが、特に印象に残ったものを挙げる。

 カットバン…〇

 パーティー…〇

 チコちゃんの傷…◎。後述。

 休憩室…〇。

 自転車の写真…〇。

 蝋人形の蝋人形…〇。

 つくし…〇。

 マリン…〇。

 蛍光灯…〇。

 骨壺…〇。

 手の足…〇。

 お喋りな運転手…〇。

 うどんすき…〇。

 屋上の話…〇

 キヨミ…◎。後述。

 ガタガタ…◎、でも×。後述。

 

あらためて、総評

 去年最初に読んだときの評価は、もっとカラかった。今回あらためてレビューするにあたって読み直し、やっぱり我妻俊樹はいいな、とずっと好意的な印象を覚えた。

 はじめて読んだときの感想が、なぜそういうものだったのか。

 やっぱり、俺は我妻俊樹の作品を読むたびに「さあ、今から恐怖で俺を殺してくれ」と願っているのだと思う。

 『みみざんげ』には残念ながら、そこまでの怖さがなかったが、なんにせよ、俺の我妻俊樹の本に対する願いはそこにある。「俺を思いっきりぶっ飛ばして、俺の見ている世界までめちゃめちゃにネジ曲げてくれ」、とどうしてもそういう気持ちで臨んでしまう。

 そんな怪談作家、他にほとんどいない。それだけ俺にとって特別なのだ。

 

 『チコちゃんの傷』について。上の総評で自分の考えを書いたが、我妻俊樹の怪談の本質は、奇妙さというよりも、読み手のおぼろな記憶をひそかにつかみとってしまう力にあると思う。

 『チコちゃんの傷』には、その一端がなんとなく見える気がする。

 主人公がある日、妙なものに気がつく。それをきっかけに、この妙なものが世間に拡散する。最後は、主人公までその妙なものに取り込まれてしまう。

 不気味なものが増殖していくことでこちらの不安をさらにあおる一方、それが多数を占めていくことで、その中に含まれない自分への焦り、心配のようなものが生じる。それと一体になるのは当然不快なのだが、同時に、平穏でもあることがわかっている。

 この怪談の根本には、なんとなく、誰でも持つそういう心の動きがある気がする。

 

 『キヨミ』について。これも我妻俊樹らしい作品。おそらく、殺意枠として置かれていると思う。

 この社会での寄る辺のなさ、生きているだけでなんとなくついて回る加害者意識と、いつかそれに罰が下るだろうというかすかな予感。そういうものがこの怪談の底に流れている気がする(もしそうだとしたら、そんな作家、ほんとにほとんどいないよ…)。

 

 最後に、『ガタガタ』について。これもおそらく殺意枠な気がする。

 話のクォリティについては文句がない。我妻俊樹にしか送り出せない話だし、存分に怖い。

 一点だけ、割とマジな批判をする。

 怪談の最後を〆る文章は、こうなっている。

どなたか、この言葉の意味が分かる方はいらっしゃるだろうか?

 率直に言う。俺は、この言葉だけは言って欲しくなかった。我妻俊樹には絶対に言って欲しくなかった。

 

 我妻俊樹の怪談を読み、作中に登場した怪異について、「この怪異が意味するのはこういうことですよ」なんて説明できるやつがいるはずがない。

 俺はこの記事で各怪談の解説めいたことをやっているけど、こんなの俺が勝手に言っているだけで、正解かどうかなんてわからない。

 我妻俊樹の怪談のすごさは、ほとんど理解不能である一方で、それでもわずかなヒントのようなものを頼りに、読者がついていってしまうことだ。

 読み手自身のかすかな思い出、感情のナキガラみたいなものを人質にとられて、読み手は我妻俊樹の怪談を読んでしまう。怪異の正体がわかることは絶対にないが、読者は何よりも、それこそが楽しいのだ。

 我妻俊樹はそのことを理解してくれていると思っていた。というか理解しているだろう。

 だからこそ、作者の方から「意味が分かる方は~」なんて言って欲しくなかった、そういうことだ。

 

 第17回はこれでおわり。次回は、『琉球奇譚 マブイグミの呪文』を紹介します。以上、よろしくお願いいたします。

 

忌印恐怖譚 みみざんげ (竹書房文庫)

忌印恐怖譚 みみざんげ (竹書房文庫)

 

 

『「超」怖い話Θ』について

今週のお題「読書感想文」

はじめに

 評価は次のように行います。

 まず、総評。S~Dまでの5段階です。

 S…価格、提供される媒体に関係なく手に取るべき。恐怖のマスターピース

 A…購入推奨。もしくはkindle unlimitedにあればぜひ勧める。恐い。

 B…購入してもよい。もしくはkindle unlimitedにあれば勧める。

 C…図書館で借りる、もしくはkindle unlimitedなら読んでもよい。

 D…読むだけ時間のムダ。ゴミ。(少なくとも俺には)。

 

 続けて、本の中で印象に残った作品を評価します。

 ☆…それ一品で本全体の価格を担保できてしまうような作品のレベル。

 ◎…一冊の中に三品以上あると、その本を買ってよかったと思えるレベル。

 〇…一冊に七〜八品あるとその本を買ってよかったと思える作品。

 

 最後に、あらためて本全体を総評します。

 

 こういう書き方をするのは、初見の人に本を勧めつつ、できるだけ先入観を持たない状態で触れてほしいからで、評価が下に進むほど、ネタバレしてしまう部分も増える、というわけです。よければ、こちらもどうぞ。

 実話怪談という「本」について - 惨状と説教

 

総評

 C。

 平山夢明/加藤一作。2006年刊行。

 『超』怖い話シリーズ第8弾。いかにも実話怪談、という感じの、とらえどころのない話が多く集まっている。

 

各作品評

 鼠撒き…〇。んなアホな、という感じだが、第一作である『「超」怖い話A』に登場した『タラコ』と同じように、怖がらせるためには荒唐無稽を恐れてはいけない。

 ボール神…〇

 森…〇。意外なところに着地するのが良い話。

 ひきぬくにくいくび…〇。わけのわからないバイト、ということで、別シリーズである『東京伝説』感も少しある話。

 口笛…〇

 

あらためて、総評

 本としての出来は悪くない。そして、良くもない。

 総評で述べた「実話怪談らしい」という表現は必ずしも褒めていないものだ。というのは、ある程度あらすじが意味不明でオバケの登場が理不尽であれば、怪談というのはなんとなく「今風」になるものだからだ。

 しかし、単に今風なだけの作品は要らない。

 そういう作品が続くと読み手は、「ああ、まあ、それっぽいね」という自らの反応の繰り返しによって、次第に無感覚になる。読書に作業感が出る。

 そういう本なら山ほどあるのだ。『「超」怖い話』には、読み手をそうさせない文章の鮮やかさ、伝わってくる情報量、つまり迫力があったはずだ。

 Cをつけたのはそういう理由である。

 

 第16回はこれでおわり。次回は、『忌印恐怖譚 みみざんげ』を紹介します。以上、よろしくお願いいたします。