『ブラックホーク・ダウン―アメリカ最強特殊部隊の戦闘記録』の感想について

はじめに

 なぜ今更、というのはおいといて。リドリー・スコットによる映画版ではなく、活字の方である。

 あるきっかけで手に取ったところ、これがめっぽう面白く、感想を書かずにいられなくなってしまった。

 

作品の舞台

 アフリカの崩壊国家として悪名高いソマリアが舞台ということ、ブラックホークと呼ばれるアメリカ軍の戦闘ヘリコプターが戦闘中に撃墜されたことなどが有名な内戦だと思う。

 いくつか補足すると、これに先立って起こった隣国エチオピアとの戦争が背景にあり(オガデン戦争)、敗戦によってソマリア国内の窮乏を生じさせたにも関わらず権力に固執したバーレ大統領に対し、反政府勢力が蜂起し大統領を失墜させた。しかし、今度は反政府勢力内のコンセンサスが整わないうちに、事務部門の有力者(アリ・マフディ・ムハンマド)が暫定政府の新大統領を宣言、これに軍事部門のトップであるアイディード将軍が反乱を起こし、ムハンマドを首都モガディシュから追放すると、自らが都市を制圧する。これを打倒し市民を解放するため、アメリカを筆頭とする多国籍軍が結成され、国際連合から派兵された(UNOSOM2)。『ブラックホークダウン』はこの作戦の一環を題材に扱ったものであり、アイディード将軍の捕獲を目標とする作戦の顛末を描いている。

 

感想

 まず大切なことは、記録としてとてもよく整理されていること。作戦に参加したアメリカ陸軍兵士はもちろん、市街でアメリカ軍の攻撃を受けたソマリア市民、民兵に取材したと思われる情報もあり、それらが時系列に沿って展開していく。

 作戦の本番であるモガディシュ市街における戦闘だけでなく、それ以前の出来事、戦闘後のアメリカ国内の出来事が説明されているのもいい。

 モガディシュの戦闘以前にもアメリカの軍用ヘリが撃墜されていたことははじめて知った。つまり、モガディシュの戦闘=「楽勝だったはずの戦闘でアメリカがドジを踏んだ案件」として一般に語られがちだが、状況はその前から十分剣呑だったのだ。

 

 作品は、一人のアメリカ軍レンジャーが上空から市街への降下に失敗し、重傷を負う不穏な場面から始まる。敵に落下を邪魔されたとかではなく、単純な不注意でそうなってしまった。

 それが作戦全体の今後を象徴するかのように、不測の事態が戦闘中に連続する。短時間で決着するはずだった作戦で次々に負傷者が発生し、それを救出するための行動がさらに状況を悪化させていくという悪循環が始まる。

 現場の兵士たちは通信機器で基地とやり取りしているが、意思疎通は必ずしもスムーズではない。それに由来する混乱が、同じアメリカ陸軍内の認識のズレ、不和を鮮明にしていく。

 例えば、従軍している兵士には陸軍の精鋭中の精鋭であるデルタフォース(Dボーイズ)もいれば、レンジャーと呼ばれる兵隊もいるのだが、デルタフォースはレンジャーたちを必ずしも歓迎していない。戦況を上手くコントロールできない半人前だと思っている。

 このように戦場の中に不協和があるかと思えば、軍部とアメリカ本土のホワイトハウスとの間にも温度差がある。

 なにしろ、政治家はこのUNOSOM2を国家の威信にかけて成功させなくてはならない。モガディシュの戦闘で戦死者が出ないように緊張しているのはホワイトハウスも兵士たちと同様だが、その理由は、死者が出ることでソマリアからの撤退を余儀なくされることを警戒しているからで、人命を尊んでいるからではないのだ。

 戦闘中のこのようなズレは、現場にいる者からすればたまったものではないが、各々の思惑を読者として追体験する場合は、非常にエキサイティングな体験になる。手に汗握る。

 そういう意味で、記録であり娯楽でもある作品なのだが、ときどき挿入される様々な市街の光景が、もう一段階この本を上に押し上げていると思う。アフリカという土地に対する先進国の偏見、無意識の見下しが、ときどき、わけのわからないものに対する恐怖に反転して噴き出している。

 総体では、これはやはりものすごい悲劇だったと言える。アメリカ軍として救出するはずの市民は、政府の側について兵士たちを攻撃し、兵士たちもそれに反撃せざるを得なかった。

 結局、アイディード将軍を捕らえることもできなかった。

 要人を何人か捕縛したため、作戦が完全に失敗したわけではない。しかし、アメリカ陸軍は想定を超える被害を受け、軍用ヘリコプターに搭乗していたパイロットが殺害され、モガディシュ市街を引き回される映像が報道されたことをきっかけに形成された世論を跳ね返せず、1994年にソマリアから撤退することになる。

 ソマリアは、現在は政府軍とイスラム過激派との小競り合いの状況にあり、死者も出ている。20世紀中に兵を引き上げたはずのアメリカは政府軍の側で無人爆撃機を飛ばし、過激派の掃討を行っているようだ。このへんの事情はよくわからない。

 

 以上、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

悪夢について 6

 主張先で古書の大型チェーン店に入った。
 巨大な棚に本が無数に並べられている。同じタイトルの本がいくつもあったり、逆に、きっとあるだろうと思っていた本がなかったりすると、何やらむずむずしてくる。
 本屋という場所は、本質的にポルノに似ていると思う。
 それは、買い手の期待があって、目指しているものに出会えるかは偶然性に左右されて、結局そこにあるもので満足するしかないからだ。それでも血眼になって探す感じが過剰に強調されるような気がして、それが大型古書店の居心地が悪いところだ。
 ふと、◯◯さん? と誰かが人に呼びかけているのが聞こえた。
 自分に声をかけられたような気もしたが、もちろん名前が違う。そのまま店内を歩き続けていると、また、◯◯さん? と、今度ははっきりと自分に呼びかけられた。
 自分がそちらを振り向くと、レジ列に並んでいたひとりの女性が、こちらを見つめて親しげな笑みを浮かべていた。
 少しずつ、表情が困惑のそれに変わっていく。小さく、すみません、と謝る女性に、自分は思わず尋ねた。
 「誰か、私にとても似ている方がいるんですか?」
 そうなんです、と萎縮したように口にした女性は、◯◯さんの人となりを語り始めた。
 その口調はやがて、いくらか熱を帯びて、◯◯さんがいかに優しくて、頭が良くて、勇敢な人物か、という話に変わっていった。
 自分はというと、意外とそれを聞かされて悪い気はしなかった。別人とはいえ、自分にそれだけ似ている人間がこうまで褒められているのが、なぜか好ましいことに思えた。
 古書店を出たあと、自分は帰りのバスが出るバスステーションに向かった。
 そこは屋内にあって、夕方だというのに照明がまったく点いておらず、真っ暗な中を車道のヘッドライトが不規則に照らしているような状態だった。小型のコインランドリーのように狭く、いくつかの椅子のほかはなにもなかった。
 ひどく雨が降っていた。雨粒と道路から巻き上がった水しぶきが、ガラス扉に複雑な模様を作っている。
 やることもなく、自分はガラス越しに外の様子を眺めていた。
 ひどい雨だというのに、外でバスを待っている女性がいた。その姿をぼんやり見ていると、彼女の右手側からもう一人、別の女性がやってくるのが目に映った。
 近づいてくる女は、バスを待っている人に、とてもよく似ている気がした。
 バスを待っている女性は、もう一人の女に気づかない。近づいていく女の手にハサミが握られていた。刃の部分が光に照らされるのを拒むように暗かった。
 「やめろ!」
 自分はガラス戸越しに叫んだ。ハサミを持った女が、女自身に似たもう一人の女性を刺した。何度も繰り返し刺した。
 自分は震えておぼつかない手で携帯電話をつかみ、警察を呼ぼうとした。ハサミを持った女がこちらに向かってガラス扉に体当たりしてきた。扉が壊れそうなほどの嫌な音を立てた。

ClipOCRから一太郎Padに変えたことについて

はじめに

 表題のとおり。以上。

 

というのもナンなので

 以前から、本を読んでいて残しておきたいところのメモにClipOCRを使用していた。

 知らない人のためい説明しておくと、画像内の文字を識別して、テキストに変換してくれるアプリである。無料であるうえ、精度も非常に高く満足していた。

 しかし、使用を継続しているうちに、次のような不満点を感じるようになった。

 

・動作が全体的に重く、スクロールするとき、ガタ、ガタ、という感じになる

・不要になったテキストデータを削除しようとするとアプリがほぼ確実に落ちる

 

 これは使ってらんねえ、ということで代替になるアプリを探してみたが、どれも有料だったり、縦書き(対象が本なのでたいていそうなのだ)に対応してるか不明だったり…。というところに、浮上したもの候補があった。一太郎Padである。

 

 一太郎か…というのが率直に言うとあった。

 大変失礼ながら(メーカーさんほんとすみません)、事務所で、「お前ら早くwordを受け入れろよ」というジイさんたちが惰性で使ってるソフト、というイメージである。

 その名前を冠するアプリの実力ってどんなもん? と思っていたら、ところがどっこい。

 使い始めてみれば、動作は軽いし、精度も99%方狂いなし。そして、一覧画面で複数選択すれば不要になったデータを一括で削除できる。画像データ、気がつけばたくさん溜まっていきがちなので、これはありがたい。

 そういうわけなので、上に挙げたような不満がClipOCRにある人は一太郎Padに変えたらいい。少なくとも、『ページの写真を撮る』『アプリでテキスト化する』『範囲選択して他の文書に貼り付ける』使い方なら、一太郎Padでストレスなくできる。

 

 もちろんこの手のアプリに便利さを求める希望には果てがなく、可能なら、複数選択した画像データ内の文字を丸ごと認識し、一つのテキストデータとしてまとめて吐き出す機能があるとなおよい。一つずつ変換していくのがストレスなのだ。

 あとは、取り込んだ画像データを一週間くらいで自動的に消していってくれる機能がつくと嬉しい。現代人のぐうたらここに極まれり、で、削除するのさえめんどくさかったりする。

 これら機能つけてくれたら、月300円まで出す…というか、現行の他アプリでできるやつがあるならすぐに乗り換えたい。とりあえず、今のところは、ClipOCRより一太郎Padが良い感じ、ってわけで、以上、よろしくお願いいたします。

一太郎Pad

一太郎Pad

apps.apple.com

『奇々耳草紙 死怨』について

はじめに

 評価は次のように行います。

 まず、総評。S~Dまでの5段階です。

 S…価格、提供される媒体に関係なく手に取るべき。恐怖のマスターピース

 A…購入推奨。もしくはkindle unlimitedにあればぜひ勧める。恐い。

 B…購入してもよい。もしくはkindle unlimitedにあれば勧める。

 C…図書館で借りる、もしくはkindle unlimitedなら読んでもよい。

 D…読むだけ時間のムダ。ゴミ。(少なくとも俺には)。

 

 続けて、本の中で印象に残った作品を評価します。

 ☆…それ一品で本全体の価格を担保できてしまうような作品のレベル。

 ◎…一冊の中に三品以上あると、その本を買ってよかったと思えるレベル。

 ◯…一冊に七〜八品あるとその本を買ってよかったと思える作品。

 

 最後に、あらためて本全体を総評します。

 

 こういう書き方をするのは、初見の人に本を勧めつつ、できるだけ先入観を持たない状態で触れてほしいからで、評価が下に進むほど、ネタバレしてしまう部分も増える、というわけです。よければ、こちらもどうぞ。

 

 実話怪談という「本」について - 惨状と説教

 

総評

 S

 我妻俊樹作。2016年刊行。

 

 我妻俊樹祭り、第四弾の『奇々耳草紙 死怨』である。

 俺は、現時点でこの本が我妻俊樹の最高傑作だと思う。本当に、本当によくできている。

 

 我妻俊樹の怪談の本質は、読み手自身のうす暗い記憶や感情をひそかにつかまえてしまうことで、メチャクチャな怪異を飲み込ませてしまうことにある。

 それが、前回紹介した『憑き人』ではあまり通用しなかったので参ってしまったわけだが、『死怨』の場合は割とわかりやすいと感じた。詳しくは、「あらためて、総評」で。

 

 この本はkindle unlimitedで読めます。 

 

各作品評

 
 もう、捨てるところがない。いずれも良く、すべてが『行旅』『蛇長蛇男』へとつながっていく。
 
 巳の字…◯
 緑竹輪…◯
 カロリー…◯
 かんのん館…☆。後述。
 スロット…◯
 ミミちゃん…◯
 小さい客…◯
 亀のシール…◯
 山の城…◯
 渡るな!…◯
 らくだ屋…◯
 蚊…◯
 遺影の人…◯
 街の祠…◎
 びわ湖…◯
 行旅…☆。後述。
 上司の遺言…◯
 同意…◯
 知らない女…◯
 夜を明かす…◯
 目黒駅…◯
 幽霊はいません…◎。「いませんから本当に。疑ってますか? それじゃあ今から確かめにいきますか? ええそうしましょうね。幽霊がいないってことを確認しましょうね。それがいい」。声に出して読みたい日本語。
 蛇長蛇男…☆。後述。

あらためて、総評

 上でも書いたが、素晴らしい、のひと言に尽きる。最高傑作だと思うし、怪談=恐怖、という固定観念と慣習を完全に超えている。
 
 『死怨』で描かれているのは、第一に、境界をまたいでしまうことへの恐怖だと思う。正常と異常とを区切る仕切りが、まず鮮烈に浮かび上がっている。
 けれども、この本の本当にすごいところは、その後にやってくる。本の後半には、境界をまたげないことへの悲しみと、またいでしまったあとの安らぎが続いて描かれるのだ。
 
 怪談というのは、突き詰めれば、「この世(人間の世界)とあの世(オバケの世界)がせめぎ合う」話である。話のパターンには色々あるわけだが、どの作品でも、結局はそれがテーマになる。
 二つの世界が接している以上、境界というものがそこに発生するわけだが、基本的に多くの怪談は、あの世が境界をまたいで侵入してくることによって成立する。
 理由は単純で、それは、人間の側がオバケの側に境界をまたいだりしたら、普通は死んでしまったり気が触れてしまったりするからである。体験者が死んだり狂ったりすれば、語り手になるものがいなくなってしまう。
 しかし、繰り返すが、怪談とは「この世とあの世がせめぎ合う」話である。
 つまり、上手くできるなら、別に存在したって構わないのだ。こちらからあちらに行ってしまった話、あるいは、行こうとして行けなかった話が。
 そして、我妻俊樹はそれに成功した。
 
 『かんのん館』について。家族が「あっちに行ってしまった」話。『憑き人』の『3周年』といい、我妻俊樹はたまに、こういう性的にどぎつい怪談を書く。
 
 『街の祠』と『行旅』は、あっちに行こうと思って行けなかった話。
 オバケの世界に行かずに済んだなら安心するべきなのだが、話の中には、向こうに行けなかったことへの奇妙な寂しさが漂う。『死怨』の体験者には、どことなくこの世に所在のなさを抱いている人たちが多く、それがまるで、「また、なんとなくこの世に残ってしまった」という感覚につながるのかもしれない。
 
 そして、『蛇長蛇男』である。ある意味奇跡のような、語り手自身があっちに行ってしまった話。
 もちろん死んでしまったわけではないし、狂ったと断言もできないが、体験者は完全に向こうにわたってしまった。我妻俊樹はすさまじい話を持ってきたものだ。
 冒頭から体験者が抱える生きにくさが通奏低音のように流れていて、そこに不穏なものが徐々に積み上げられて、世界がどんどん歪んでいく。
 最後まで読み通すことで、読者としてはもう救いようのないところまで事態が達してしまった絶望感があるが、体験者の方は果たしてどうだったろう?
 もしかして、最後の最後にマイナスはプラスに反転したのだろうか? であると、この話は実は救済を描いているのだろうか?
 恐ろしく、不安そのものであるのはまさに怪談だが、一方で、その範疇をあきらかに超えている。オールタイムベストというか、実話怪談にはこういうことが可能、という正真の傑作といえる。
 
 第37回はこれでおわり。次回は、『奇々耳草紙 祟り場』を紹介します。以上、よろしくお願いいたします。

 

奇々耳草紙 死怨 (竹書房文庫)

奇々耳草紙 死怨 (竹書房文庫)

 

『奇々耳草紙 憑き人』について

はじめに

 評価は次のように行います。

 まず、総評。S~Dまでの5段階です。

 S…価格、提供される媒体に関係なく手に取るべき。恐怖のマスターピース

 A…購入推奨。もしくはkindle unlimitedにあればぜひ勧める。恐い。

 B…購入してもよい。もしくはkindle unlimitedにあれば勧める。

 C…図書館で借りる、もしくはkindle unlimitedなら読んでもよい。

 D…読むだけ時間のムダ。ゴミ。(少なくとも俺には)。

 

 続けて、本の中で印象に残った作品を評価します。

 ☆…それ一品で本全体の価格を担保できてしまうような作品のレベル。

 ◎…一冊の中に三品以上あると、その本を買ってよかったと思えるレベル。

 ◯…一冊に七〜八品あるとその本を買ってよかったと思える作品。

 

 最後に、あらためて本全体を総評します。

 

 こういう書き方をするのは、初見の人に本を勧めつつ、できるだけ先入観を持たない状態で触れてほしいからで、評価が下に進むほど、ネタバレしてしまう部分も増える、というわけです。よければ、こちらもどうぞ。

 

 実話怪談という「本」について - 惨状と説教

 

総評

 S

 我妻俊樹作。2017年刊行。

 

 我妻俊樹祭り、第三弾の『奇々耳草紙 憑き人』である。

 あんまり触れたくないことなのだが、言わざるを得ないことなので、以下のことを話す。

 俺は、我妻俊樹の怪談の本質は、読み手のうす暗い記憶や感情をひそかにつかまえてしまうことで、メチャクチャな怪異を飲み込ませてしまうことにある、とずっと書いてきた。
 しかし、『奇々耳草紙 憑き人』には(比較的)それがあまり感じらない。ひたすら情景が鮮やかに浮かび、鋭く突き刺さってくるだけだ。
 こういうことをやられると、顔が歪んでしまう。
 なにしろ、「何が怖くて」「良かったか」、ちゃんと言葉にして説明するために記事を書いているわけだから、よくわからないけどメッチャ良かったです、としか言えないのは全然意味がないからだ(「あらためて、総評」に続く)。

 

 この本はkindle unlimitedで読めます。 

 

各作品評

 カラオケ林…◯
 こしあん…◯
 たのしいたのしい…◯
 3周年…◎
 遺跡公園…◎
 黄色い女…◎
 穴へ…◯
 資料館…◯
 髪の毛…◯
 父親とドライブした山…◯
 薔薇の女…◯。嫉妬、なんだろうか。自分に似たもっと完璧なものは、オバケでも不愉快に感じるらしい。
 赤ちゃん…◯
 〒…◯
 雄鶏…◯
 猫供養…◎。後述。
 死ぬ地蔵…☆。後述。

あらためて、総評

 こんなことを実話怪談に対して抱くのはおかしいかもしれないが、「カッコいい」のだ、この本。
 本当に、めちゃくちゃかっけえ。ロックバンドが音楽シーンにざくっと突き刺した傑作アルバムのようにイカしている。
 他の作家の怪談とは明らかに異質で、もはや怪異と呼ぶのが適切かどうかさえわからない奇天烈さ。それが本当にドライで、こちらの反応を盗み見るようなところがまったくなくて、読者のセンスを打ち抜くことの確信だけがある。
 描かれているものの斬新さが印象的だ。
 『黄色い女』や『薔薇の女』なんて色彩の鮮やかさが主役みたいな話だし、『猫供養』の恐怖でも不安でもなく、なんと「歯がゆさ」が積み重なっていく感じ、『死ぬ地蔵』の入り組んだ設定…。
 怪談をそういうものを表現するツールとして使い、巧みに成功させてしまうところ。…この本には、こんなことしか言えないな。難しい。
 
 で、『猫供養』。悪行のマウンティングという意味不明な状況だが、体験者の方に応戦するつもりがないので成立もしないという、なんとも気持ちの悪い状況。
 降りかかるべき罰は待っても訪れず、性根を見透かされたと思いきや誤解も重なり、どんな方向にも事態が解決しないという、アンチカタルシスきわまる作品。
 
 『死ぬ地蔵』は、実話怪談とは思えない心理戦(?)が展開する作品。
 俺たちは、目の前の怪異をどんな理由で説明することもできる。しかし、その本当の理由を探し当てることは絶対にない。
 ポストモダン的というか、実話怪談の最後まで行って、また戻ってきたような傑作。
 ところで、この話の体験者もどこかおかしい。いかれてる話者に取材するときは、その異常さにフィーチャーするより、静かに距離を取ったみたいなこういう具合が好きだな。
 
 第36回はこれでおわり。次回は、『奇々耳草紙 死怨』を紹介します。以上、よろしくお願いいたします。

 

奇々耳草紙 憑き人

奇々耳草紙 憑き人

 

『忌印恐怖譚 くちけむり』について

はじめに

 評価は次のように行います。

 まず、総評。S~Dまでの5段階です。

 S…価格、提供される媒体に関係なく手に取るべき。恐怖のマスターピース

 A…購入推奨。もしくはkindle unlimitedにあればぜひ勧める。恐い。

 B…購入してもよい。もしくはkindle unlimitedにあれば勧める。

 C…図書館で借りる、もしくはkindle unlimitedなら読んでもよい。

 D…読むだけ時間のムダ。ゴミ。(少なくとも俺には)。

 

 続けて、本の中で印象に残った作品を評価します。

 ☆…それ一品で本全体の価格を担保できてしまうような作品のレベル。

 ◎…一冊の中に三品以上あると、その本を買ってよかったと思えるレベル。

 ◯…一冊に七〜八品あるとその本を買ってよかったと思える作品。

 

 最後に、あらためて本全体を総評します。

 

 こういう書き方をするのは、初見の人に本を勧めつつ、できるだけ先入観を持たない状態で触れてほしいからで、評価が下に進むほど、ネタバレしてしまう部分も増える、というわけです。よければ、こちらもどうぞ。

 

 実話怪談という「本」について - 惨状と説教

 

総評

 A

 我妻俊樹作。2018年刊行。

 

 我妻俊樹祭り、第二弾の『忌印恐怖譚 くちけむり』である。

 怪異であることは間違いないが、オバケであるかと聞かれるとわからない、ヘンテコな怪談。

 我妻俊樹が持ってくるそんな作品の本質を、俺は、読者の抱えているうす暗い記憶や感情とシンクロすることで、メチャクチャなのに、なぜか「わかってしまう」ことだと思っている。

 それに加え、今回『くちけむり』を読み直してみて、新しい発見があった。

 この記事ではそのことを書く。詳しくは、「あらためて、総評」で。

 ところで、2018年はこの『くちけむり』と次作の『めくらまし』、二冊も我妻俊樹の実話怪談が上梓されていた。すごい年だったのだ。

  

  この本はkindle unlimitedで読めます。 

 

各作品評

 回転…◯。そんなんなってたら、まあ、そりゃあ無理ですよね、という。本来はそれどころじゃないのだが、よくわからない説得力がある。
 夢の家族…◯
 バイク…◯
 芋虫…◯
 人の道…◯。後述。
 夜と白菜…◯。野菜を見ていると段々人格を帯びてくるというか、人間に見えてくるというか、その感覚はなんかわかる。
 死んでるんでしょ?…◯。後述。
 蛾…◯。昆虫がわしゃわしゃに群れている様子を我妻俊樹が持ってくる怪談が好き。風景としてはおぞましいし、自意識を持ってる人間同士ではまずあり得ないのだが、それゆえそこに憧憬もあるというか。
 手首…◯
 アカブリタラツブリ…◯
 マッチョなヌード…◎
 夢の続き…☆。後述。
 腰抜け岩…◎。少年の頃の話というのがなんとも…。「尻女がいつ土中から立ち上がって襲いかかってくるかわかったもんじゃない」は名文。
 話しかけて下さい…◯

あらためて、総評

 『夢の続き』について。今回の殺意枠(その本の中で、明確に読者を怖がらせる決定打を期待されている作品)と言ってよい。

 とにかく、激烈に禍々しい。

 夢に登場する男が悪意をぶつけ、嘲笑っているのは話の体験者だが、それはそのまま、我妻俊樹と読者との関係にも置き換えられる二重の構図だ。ここまで殺る気で来てくれるなら本望。

 

 で、『人の道』と『死んでるんでしょ?』である。

 『人の道』で、体験者はある場面で突拍子もない提案をされる。

 人間というのは不思議なもので、理性と呼ぶべきか単なる認知のバグなのか、いきなりわけのわからない選択を与えられると、従うべきかどうか一瞬考えてしまう。

 そんなもの、単に無視して放っておけばいいのだが、なぜかそれも負担だったりして、怪異(もしくは悪意)もそのためらいにつけこんでくる。

 そして、『死んでるんでしょ?』。こちらでも、脈絡のないショッキングな言葉が体験者、そして読者に襲いかかってくる。

 これも人間の奇妙なところで、どれだけ支離滅裂な言葉のパターンであっても、俺たちはそこに何かの意味を読み取ろうとしてしまう。

 その動機が「理解したい」なのか、「相手に反論したい」なのかわからないが、人間はそういう反応を取ってしまいがちなのだ。言葉というものに関して、そういう風にできてしまっているのである。

 シュールレアリスムにもそういう機能を利用した技法があるが、俺は我妻俊樹も、自らの怪談で似たようなことをやっていると思う。

 読み手のどういう感情、自己嫌悪なり罪悪感なりをターゲットにするか決め、そのうえで、絶妙に「わからないけどわかる」、壊れかかったような言葉や作品をわざと投げ込んでくる。そのベースにはたぶん、言葉と人間をめぐる洞察があって、この人はそれを武器に使っているのだ。

 『くちけむり』ではそんなことを思った。

 

 第35回はこれでおわり。次回は、『奇々耳草紙 憑き人』を紹介します。以上、よろしくお願いいたします。

 

忌印恐怖譚 くちけむり

忌印恐怖譚 くちけむり

 

『呪術廻戦』13巻の感想について

はじめに

 今巻は波乱が頻出するので、未読の方は作品を先に読むとよい。おおいに感情を乱されるとよい。

 

感想

 あらためて13巻ですが、『呪術廻戦』という作品の魅力やコンセプトが濃縮された章になっていると思います。
 
 まず、相変わらずスピード感がどうかしていて、大変よろしいですね。
 宿儺の指をドラゴンボール的に大切に一個一個集めていくのが話の流れの一つだと思っていたら、それがいきなりベルマークのように大量に集まってしまい、宿儺、(一時的に)かなりの精度で復活、大暴れという。
 指回収、というわかりやすいロードマップを読者に示したうえで、高速でそれを巻いちゃう。いいですね。大いにやってくれ、という感じです。
 
 あと人死にですね。
 死にましたね。壮絶に。
 いくらか話が横にそれるようなことを書くんですが、みなさんは漫画で読者をびっくりさせる一番簡単な方法はなんだと思われますか?
 俺は、重要なキャラクターを突拍子もないタイミングで死亡させることだと思います。例えば、『スラムダンク』の最終巻で「天才ですから」というセリフのあと、次のページで花道が爆発四散していたらメチャクチャビビると思います。
 でも、作家はもちろんそういうことを、普通はしない。
 その理由は、一つにはそんなことをして得られるもの、表現できるものが、これまで積み重ねたきたものと釣り合わないからですが、もう一つ、割と現代的な理由があると思います。
 それは、漫画というメディアに触れる読者の目がどんどん肥えてきている、あるいは、もっと悪い言い方をすれば、「読者を驚かせたろ」という作家の意図をあっさり見抜いて、寒いことすんなよ◯◯(作家の名前)、とため息をつくような嫌なやつが増えているからです。
 俺は以前、無印『BLUE GIANT』10巻についてこういう感想を書いていて、これは冷めてしまった、というような無感動ではないけれど、作者に対する、なんでこんなひどいことするの? という作品世界の裏側を作家自ら暴いてしまうことを責めるものでした。
 バトル漫画でも同じようなことは起きていて、重要そうなキャラ、強いキャラが次のページでいきなり死亡しても、最近の読者って、驚くよりも「え、こんな演出でビックリさせようと思ってるんか…」と作家に対してがっかりしてしまうところがあると思います。
 それでは、こういうスレた読み手でも驚愕できるように、「ちゃんと」「理不尽に」キャラクターを死亡させるにはどうしたらよいか。
 ありきたりな結論ですが、丁寧に作品世界を構築し、読み手を物語に没頭させるように心を配るしかない。そして、この作品世界の構築ってやつが、今巻3番目のキーポイントになります(下記)。
 
 『呪術廻戦』という作品の特色の一つに敵味方陣営の善悪がいまいち曖昧なところがあって、「悪い敵をやっつけた! 世界、平和!」みたいな読後感があんまりなかったり、釘崎がどう見ても悪役だったりする。
 この巻でもそういう印象があって、倒された仲間のことを想いながら呪術師たちを圧倒する漏瑚は、うっかりすれば「良いやつ」の方に見えます。
 両陣営の一方に肩入れすることがなく、それぞれの思惑が並び立って『呪術廻戦』はできている感じがしますが、この対立構造の真上から降ってきて全体を破壊・再構築する超暴力があります。宿儺です。
 宿儺の猛烈な強さによる恐怖の統制、というかたちで『呪術廻戦』の世界観は完成している感じがしますが、宿儺のにくいところは、個人の動機を持つ一人のキャラクターでもあるところです。
 宿儺は、作品世界の代表=作家が表現したい作家自身である一方、好き勝手に動いている単なる登場人物でもある。
 このバランスを上手くとることで、はじめて、宿儺にあっけなく殺されたキャラクターの死が作者によって都合よく用意されたものではなく、容赦のない暴力によるものだと読者は「錯覚」することができる。「作者に」ではなく、「宿儺に」殺された、と感じることができるわけです。
 おわかりいただけましたか。わからなかったかもしれませんが、俺も自分で言っていてよくわかっていない、のでしかたありません。まあ、そういうことです。
 
 いずれにしても、13巻は最高なので、みなさん読みましょう。
 余談ですが、13巻が面白すぎた単行本派が、勢いのままうっかりwikipediaを読んでは絶対にいけません。責めるつもりはないですが、どえらいネタバレが書いてあります。泣きそうです。
 
 以上、よろしくお願いいたします。

 

呪術廻戦 13 (ジャンプコミックスDIGITAL)

呪術廻戦 13 (ジャンプコミックスDIGITAL)