惨状と説教

誰か山から降りてきてほたえてから山に帰っていく記事。ブログ

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の感想とか、90年代の雰囲気とかについて ①

はじめに

 いまさら『序』ですか。

 そうなんです。

 

 本当にいまさらだと思う。

 理由を二つ挙げると、まず、もうすぐ新劇場版の完結編である『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』の劇場公開が終了するというのがあった(というか、多くの劇場ではすでに終わっているのだが)。

 俺は子どもの頃にTV版に強く魅了されていながら、新劇場版シリーズにはなぜか距離を取っているところがあって、『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』も未見なら、『Q』でさえ観ておらず、『序』『破』を十年以上前に鑑賞してそのままだった。

 それがここ数日で急激に、やっぱりこのシリーズの完結をスクリーンで観なくていいのか、という気持ちを抱くのと同時に、観るならこれまでの流れもさらっておくべきだろう、という悪い癖が出てきた。それで、いま慌てて見直している。果たして、『シン』をちゃんと劇場で観ることができるのかは、神のみぞ知る。

 

 もう一つの理由は、30過ぎて観る『エヴァ』が想像以上に自分の感情を揺さぶったから、というのがある。

 作品の内容というより、TV版の放送から過ぎ去った時間の流れが、ここに来て実感を伴って大きく俺を圧し潰そうとしている。

 十年以上前、まだ大学生の頃に観た『序』『破』は、「ああ、エヴァってこういう話だったよな」という印象だった。もちろんTV 版と異なるところもたくさんあったが、一種のダイジェストでもあった。小学、中学以来で観るエヴァンゲリオンを、「確認」として楽しむ余裕があった。

 今日観た『序』は、もうダイジェストではなかった。それは冷静な「確認」ではなく、あま苦い「追憶」になっていた。

 俺は、ものすごく久しぶりに90年代のことを思い出した。

 あれから二十年以上が経ったんだ。

 もう、俺は30代になった。なんてこった。

 なんてこった、と思いながらこの文章を書いてる。

 

感想とか、90年代の雰囲気とか

 あらすじとか細かい内容について、俺がいまさら言うことは一つもないだろう。

 あらためて観てみて、作品としての単純なおもしろさより(おもしろいですよ、もちろん)「ああ、こういうアニメだったな。そして、こういう雰囲気の時代だった」という感覚を強く抱いた。

 

 シンジの初陣で初号機が暴走して使徒を圧倒する場面は、たぶん、それまでのフィクションにおける戦闘の描き方としても、あるいは現代のものと比較しても、異質である気がする。

 追い詰められたキャラクターが覚醒して逆転するという構図自体はよくあるものだ。

 ただ、特徴的なのは、普通の物語ではこれまでに蓄積したストレスや前々から張られていた伏線が反撃というかたちで解消され、それが快感であるのに対して、シンジの初戦においては、俺たちは彼のことを予備知識を除けば知らないので、まだよく知らないはずの少年がいきなりブチきれて怪物を蹂躙するのを見せられるという点である。

 言い換えると、バトルにおける反撃の度合いとは、作品がそれまで溜めたある種の「負債」に比例しなければならない。フラストレーションとか、因縁とか、そういうものだ。

 まあ、そうしなければいけないということはないが、少なくともこれがちゃんと釣り合わないと、観ていておもしろくはない。

 しかし、シンジの初陣は脈絡のない逆上によって決着するはずなのに、なぜかおもしろい。

 これは、シンジが今回の戦闘に入る前から鬱屈を抱えていたことを、観ている側が暗に理解しているからだと思う。一方的な周囲からの期待、抑圧。それに対して上手く応えることも、あるいは反論することもできない自身への苛立ち。それは視聴者自身が現実に抱えている鬱屈でもある。

 共感を経由することによって、シンジは攻撃力に転換できるものを物語の外からも「調達」し、それを敵である使徒にぶつけることができた。物語における表面的な「貸し借り」以上のものを消費者から勝手に借りてきてしまうパワー、これは、時代を代表することになる主人公にとって重要な資質の一つだと思う。

 

 ただ、俺はこの戦闘を「おもしろい」と書いたけども、けっしてすっきりする勝ち方ではない。別に努力の成果だったり、敵との間に何か因縁があるわけでもないし、戦い方も異様だ。あんなに躍動感があるのにまったく爽快じゃない。

 もうすぱっと言っちゃうけど(っていうのは散々指摘されてきたことだろうから)、やっぱりあれはキレた子どもそのものだ。力のやり場がおかしな方向に噴出して、自分でももっと正しい怒り方があるのを知ってるのに、自制も知識もないからどうにもならない。

 だから、いまの自分がキレられない/かつての自分がキレられなかった代わりに初号機が暴走して忌々しい敵をボコるのを見るのは痛快かもしれないが、同時にとても痛々しい。攻撃される使徒の側も妙にタフなので、猛烈に圧倒している初号機の方がかえって錯乱しているようで、見ていてつらい。そういう矛盾した楽しさがある。

 

 いまの子どもや若者は、あの戦闘を見てどう思うんだろうか、と感じた。

 自分の代わりに初号機が怒っている、と思うのだろうか。ある日の自分と同じように、あるいは教室で見た級友や、ある日の家での兄弟のように、初号機も怒っていると感じるのだろうか。

 いまの子どもにとってあれは「カッコいい」のだろうか。

 子どもの頃の俺には「カッコよかった」けど、最近の若者のヒーローは、もっと明確に自分の考えや感情を言語化できるキャラクターなのかもしれないな、という気もする。実際のところはわからないけど。

 

 なんだか長くなっちゃったので、次に続きます。