マルク・デュガン『透明性』の感想について

あらすじ

 西暦2068年、グーグル社は個人情報の取得を対価として人々に様々なサービスを提供する事業を推し進めていた。体調を含む個人的な情報をリアルタイムで企業に送信することで、個人は完全に透明な存在となり、このようにして収集されたデータが形成する強力なアルゴリズムに支えられて、人類は安心と繁栄を謳歌していた。

 主人公は一人の女性エンジニア。自社サービスをグーグルに身売りした後に同社を辞めた彼女は、複数の同志とともに「個人から吸い上げた情報を元に新しい強靭な体に人格を再構成し、人々に永遠の生命を与える」という計画を世に公開することで、世界中の産業、経済と宗教に大きな混乱をもたらす。

 彼女が約束する永遠の生命は、人間全員が享受できるわけではない。そこに参加可能か否かは彼女の開発したアルゴリズムによって決定され、その基準と到来する新しい世界をめぐって、女性はグーグル社長、各国権力者、宗教的権威、そして自らの夫と対話を交わす…という話。

 

感想

 読み終わって、割と奇書の類なんじゃないかと思った。

 以下、ネタバレを含む。

 

 

 

 

 奇書というのは、この作品の見え方というか、視点が大きく2度転回する構成だからだ。

 約220ページほどの作品だが、まずこのうち200ページぐらい、率直に表して、退屈な文明批判が続く。

 2000年代前半〜2020年あたりの出来事を2068年に反省する、という体裁になっているが、未来の視座を先取りしている感のない、まあ現代でも普通に言えるような内容だ。SF的なギミックにも特に飛躍がなく、2068年という舞台設定の必要性はあまり感じられない。

 

 最終盤で、一つ目の転回が起きる。

 作品の題名にもなっている個人の「透明性」は抗いようのない時流であると同時に、テクノロジーによるある種の救済を人類に与えるものだったが、それに対する個人の反逆と代替となる希望が、かなり悲劇的なかたちで描写される。

 二つ目の転回は最後の数ページで描かれて、作品の構造自体が変わってしまう。それとともに、物語の90%以上にわたる21世紀批判がなぜ、ああした凡庸なものであったのか、得心がいくようになっている。

 

 二度目の転回でも、描かれているのは個人の反逆であるように読んだ。

 ただ、一つ目の転回が「技術的な支配から人間はどう逃れるか」という文明をテーマとする構図だったのに対し、二度目の転回で示されているのは、「(時代を問わず)そもそも、人間の内面を完全に捕捉することは可能なのか」という人の精神に関する構図になっている気がする。

 言い換えると、一つ目の対立は「追ってくる文明に捕まらないように逃亡する」というかたちで危機と希望を描いているが、二つ目は、「テクノロジーで把握も救済もしようがない孤独がある」というかたちで絶望と希望のうらおもてを描いている、という気がする。

 延々と続いた文明批判云々は最後の二度の転回に向けて敷かれた長い前フリであると言えて、この変調がかなり力を込めて、えいや、と転がす感じで二回起こされるので、その感覚が奇書、という表現につながったのだろう。抒情的な表紙からは少し意外な、けっこうヘンテコな読後感。まあ、そういう感想であった。

 

 以上、よろしくお願いいたします。