はじめに
主旨はこちら。
以下、捨てたもの
MARVELコラボ
何年か前までパズルアンドドラゴンズをプレイしていて、「おお、この漫画のコラボが来るのか!」と楽しむという、とても健全な盛り上がり方をしていた。
映画作品ともよくコラボしていたので、ふと、「しばらく遊んでないけど、MARVEL作品ともコラボしたことあるのかな?」と思ったのだった。
していた。
ただ、キャラクター一覧を見ると、『X-MEN』の登場人物も入っているようだ。『X-MEN』はMARVELなのである。
一方、映画作品として展開される、いわゆる◯◯シネマティック・ユニバースでは、多くのMARVELキャラクターとX-MENとは完全に切り離されている。その辺に業界の複雑さを感じる。
ただ、資本主義、もしくは、よく言えばファンの期待に応えようという熱意は、こういう「大人の事情だからしょーがないね…」という世間のあきらめも、いつか来るプロモーションの起爆剤にしてしまうというか、何年後かに世界観がスクリーンで交わって(そして、版権に関する契約書も交わされて)、ファンたちが無邪気に「すっげー!」という未来がきても、まあ驚かない。いや、やっぱり驚くかな。
ポケモンコラボ
さすがに、こことはコラボしていない。
全然関係ないが、俺はいつか、ポケモンの本編がスマートフォンで遊べたらいいな~と思っている。
交換も対戦も指先のタップ一つ。なんらかのかたちで、膨大な数のプレーヤーがフィールドに同時に接続していて、そこで起こすアクションのすべては、常にSNSで共有され続ける。
そういう未来が俺の願望であると同時に、実は、自分のゲーム史において本当に大切なタイトルに対する暗いサディズムでもあって、ポケモン本編がスマートフォンに来たら、それは何かの歴史の一つの終わりになるだろうな、と勝手に思っている。
エッジランク
フェイスブックにおいて、自分のニュースフィードの表示を決めているアルゴリズムをこう呼ぶらしい。
よく、利用者ごとにカスタマイズされるSNSの表示については、いわゆるフィルターバブルに閉じ込められる負の面が強調される。ただ、はっきり言って現代の情報の大半は無価値、もしくは気が滅入るものばかりなので、こういうフィルタリングがなけりゃやってらんねえだろ、とも思う。
一方で、そもそも、こういう取捨の仕組みがなければ確実に溺れてしまうような、今の世界の情報量自体が不健全で、もう根本的にどっかおかしいだろ、という考えもある。
なんていうやり方だぁ
昨年のオリンピックのとき、TBSアナウンサーの安住氏がNHKの方針を批判して発した言葉。
なまねこなまねこ
元ネタは宮沢賢治の『蜘蛛となめくじと狸』。
邪悪さにも色々種類があって、異常な怪物のように、コミュニケーションが不可能な邪悪さもあれば、表面的に言葉をとりつくろって、一見すると意思疎通ができそうな邪悪さもある。
個人的には、暴力性や悪意を隠さない人間よりも、何かの言葉を発して危険性をカモフラージュしてくる相手の方が嫌いである。それは、騙される危険性があるからではなく、そういう作戦を取るところに相手の罪悪感みたいなものを感じて、生理的に不快だからである。
ちなみに、それは自己嫌悪の話でもある。
ワイマラナー
美しい生き物がいるものだ。
クエビコ
日本神話の神々の名前というのは、とても「日本」を感じる響きがある。
ちなみに、俺は日本の文化にも寺社仏閣にも、ほとんど愛着はない。
様々なる意匠
小林秀雄の文章。学生時代に読んでいたせいか、題名をいきなり思い出した。題名以外は何一つ思い出せない。
以上