『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』の感想について ③

「デス・ゾーン」はどこから始まっていたのか?

 「登山家」栗城史多氏の半生と死を追ったノンフィクション。

 ①では登山界における異物としての栗城氏について②では彼についてときどき語られる、SNSが及ぼした多大な影響という言説について反証した。

 

 最後に、本のタイトルにもなっている「デス・ゾーン」という言葉について、想起したあやふやな思いのようなものを書いておく。

 本来の定義から触れておくと、本書によれば「デス・ゾーン」とは標高7,500m以上の高地を指し、生命がいるべき場所ではないと説明されている(wikipediaでは8,000m)。

 最期のとき、栗城氏はエベレストの7,400mあたりで撤退を決断し、下山中に滑落したと思われ、6,600mあたりで遺体として発見された

 つまり、栗城氏は登山的な意味での「デス・ゾーン」には差し掛かっていなかった。ここから俺が述べるのは、あくまで「デス・ゾーン」という言葉から想起した妄想のようなものだ。

 具体性を欠いた内容になるので、実際の死亡事故をダシに自分の思想を開陳するおごりを、あらかじめ謝ります。すみません。

 

 7,400m地点で撤退することを決めた栗城氏が、自分の足で山を下ろうとしたのは失策だった、という意見が本で紹介されている。滑落する危険性が高いからだ。実際、彼の死はそれが原因だったと思われる。

 栗城氏は、この7,400m地点で待機するか移動するかの二択を誤った。

 選択を誤ることが事故死に直結する領域。標高に関する定義とは別に、それも「デス・ゾーン」の一つの側面と言えると思う。

 しかし、この7,400m地点が本当に、生き死にを分ける「デス・ゾーン」だったのか、他の場所がそうだったのではないか、ということを俺は考えている。

 

 ここからは、人間の自由意志に関する観念的な話になる。

 俺が思うに、7,400m地点が生死を分ける「デス・ゾーン」たりうるのは、栗城氏にまっとうな判断力が残っているという前提の話だ。

 「危険だから待機する」という合理的な判断をその場所で下せる、そういう可能性が残されていて、はじめて生きるか死ぬかの余地が生じる。

 絶望的な状況に追い込まれ、本人に正常な思考が不可能になっていたとすれば、そこはもう生死を分ける「デス・ゾーン」ではない。

 残酷だが、事故に遭うことがほぼ確定してしまっている場合、「デス・ゾーン」を超えてしまっている、つまり、「デス・ゾーン」は空間であると同時に、そこにいる当事者の精神が正常かどうかに左右される。

 

 では、どこなら、まだ選択の余地が残っていたのか。どこならまだやり直せたのか。

 標高がもっと低い地点だろうか。

 あるいは、もしかすると、山に入る前ということさえあるのではないだろうか。

 入山した直後、まだ登り始めたばかりで、「いざ窮地に立ったときに自分の精神が正常に働くかどうか」を自覚できる人間はいないだろう。どんどんと歩を進めてしまうはずだ。

 つまり、スタート直後の地点でさえ、ある意味でその人は手遅れに近いことになっている。例えば、あたりの環境はまだ良好そのもので、自らの体力も気力も充実している(と思っている)としても、その人はすでに、最後の「デス・ゾーン」を通過してしまっているのだ。

 

 そうやって仮定してみると、入山する以前、下界で送っている日常のある瞬間が、選択の余地のある最後の「デス・ゾーン」だった可能性もあるのではないか。

 そんな風に思うのは、エベレストに挑戦して敗退を繰り返す栗城氏を、周囲の人間が繰り返し励まし、ときにはブレーキをかけるような言葉をかけ続けたのが、本書に描写されているからだ。

 エベレストを踏破するのに、極端に難しいルートを選ぶ必要はない。というか、栗城氏の今後の人生設計を考えるうえで、山にこだわる必要さえないかもしれない。

 言い聞かせられた言葉を栗城氏がどう受け取ったのかはわからない。しかし、山岳のプロフェッショナルや支援者、旧友と交わした、極地でも何でもない市街における会話が、もしかすると最後の選択可能性、生死を分ける「デス・ゾーン」だったのではないか、と思うと、人間の運命の過酷さに少し寒気を覚える気がする(最後に、個人の死を題材にして思考実験のようなマネをしたことをあらためて謝ります)。

 

 色々と書きなぐってきたが、それだけ印象的な本だった。

 センセーショナルな人物の半生と死、という面からだけ評価されるのは損をしている。

 この本は、「この社会で何かをかたちにしたい」「個人として強く生きていきたい一方で、周囲への感謝もしがらみもあわせて抱えている」というすべての人に何か思わせる作品だと思う。以上、よろしくお願いいたします。