『度胸星』の感想、もしくは「神」を描くことについて 1/2

今週のお題「SFといえば」

神に会ったことがあるか?

 『へうげもの』を描いていて、いま『望郷太郎』を描いている山田芳裕のSF作品。よく、マンガ好きの間で「打ち切りになってしまったけど、いまでも再開を望んでいる作品」として挙げられる。

 俺も待っている。『望郷太郎』はもちろん好きだが、これが完結したらぜひ『度胸星』を描いて欲しい。版元やサイズが変わっても売られ続けているというのは、それだけ、この作品が途中で終わったのがいかに間違いだったかの証明だと思うんだけどな。

 

 物語の舞台は、人類が火星にまで有人飛行できるようになった未来(正確には、2000年代初頭に描かれた「未来の2020年頃」。現実は結局、フィクションに追いつけなかったことになる)。

 はじめて火星に人間が降り立とうというそのとき、テレビの中継ともども、宇宙飛行士たちとの通信がとぎれる。映像を観ていた地球側には知るよしもないことだったが、そのとき火星にて謎の物体(のちに「テセラック」と命名される)が出現し、それが宇宙船を破壊、クルー数名を殺めていた。

 火星で何が起きているかわからないまま、地球から、今度は火星のクルーを救出するための宇宙飛行士が選抜される。トラック運転手であり、同じく運転手であって亡き父の「火星まで運送をやりたい」という願いを果たそうと、三河 度胸(みかわ・どきょう)という青年がこのミッションに挑む、という話。

 

 細かいあらすじや結末については触れない。同じ山田芳裕の『へうげもの』やSFが好きだったら、まず間違いなく面白いと思う。これが打ち切られるのか~、というのは俺も思った。

 今回、ここで挙げた理由は、作品そのものの面白さもあるが、「神」という存在をかなり正確に描写していると思うからだ。

 

 SF・ファンタジー要素のある漫画作品ではときどき「神」、もしくはそれに近いものが出てくる。

 『鋼の錬金術師』の「真理」とか、『BLAME!』の統治局、封印されたエピソードなので深く言及できないが、某ダークファンタジーにおける「魔の◯◯◯」とか、羽生生純の『青』という作品に出てくる「人に生った実を食う巨大な手」とか、そういうものだ。そして、『度胸星』のテセラックもその中に含まれる。

 

 え、それだけ? と思う人もいるだろう。

 だって、神って立場だったり属性であるキャラクターはいっぱいいるのに。

 でも、そう、それだけなのだ。なぜかというと、これは俺が「神」だと思うものの定義にかかっている。